『インド音楽序説』
拙訳の『インド音楽序説』が出版されてすでに2年になろうというのに、今になってこのような文章を書くのは気後れがする。ただ、出版までの経過や遭遇した問題点などをこうして紹介しておくのも、今後同じような仕事をされる人にとっては役に立つかもしれない。とはいえ、これは単なる個人的な感想をだらだらと書いたものなので、時間つぶしにでも読んでいただければと思う。
原著であるB.C.Devaの"An Introduction to Indian Music"の翻訳出版の動機については訳書のあとがきでも触れた。原著をすらすらと読めるほど英語の読解力に乏しいので、時間をかけて、うんうんうなりながらでも日本語にしておけば、人にインド音楽のことを紹介するとき楽だろう、というのが理由その1。日本語で読めるまともなインド音楽理論および概説書がそれまでなかったのが理由その2。いちおうバナーラス・ヒンドゥー大学音楽理論学科に「留学」したことになっているが、実はほとんどなにも系統だてて勉強していなかったのでその勉強もかねよう、というのが理由その3である。と書くといかにもちゃんとした動機であるかに思われるかもしれない。実際は、単に時間がありあまっていたからというのが正直なところだ。日本人のインド古典音楽演奏家などというものは、まず忙しいはずがない。
訳出で大変だったのは、わたしの英語力では癖のある原著の英語の解読がまるでパズルを解くようなあんばいで苦労したことは当然としても、なんといってもカタカナ表記である。別にわたしは学問的にも耐えうる訳本がほしかったわけでもなく、出版されることを念頭に置いて訳していたわけではなかった。しかし、出版しましょうという出版社の申し出をいただいたこともあり、どうせやるならカナ表記も徹底しておけば、あとで学問的に勉強しようとする人にとって苦労が少なかろうなどと不遜にも考えてしまったのだ。これがとんでもない厄災だったことに気がついたのはずいぶん後になってからである。
カタカナ表記
"An Introduction to Indian Music"はいうまでもなく英語で書かれた本である。しかし、なかで使われている言語は、扱っている内容が歴史的、地理的に広い範囲にわたっているため種類が多い。また、「包括的だが簡単な方法でわれわれの音楽を紹介する」という態度であるため、ともすれば細部の詳述で全体を見失ってしまうというこの種の紹介本の弱点を免れてはいるが、逆にアカデミックに研究しようとする読者にとっては、専門用語の使い方がラフであったり、注釈が不十分であったりするので不満もある。しかも「インド人だけでなく外国の友人たちも読者の対象として念頭に置いた」(本書「序」)からか、元の言語の表記がすべて英語的になっている。つまり、デーヴァナーガリー文字(表記不能)などどの標準的ローマナイズ表記santurやvinaが、本書ではsantoorやveenaと表現されるのである。この方法は標準的ローマナイズ表記に馴れていない読者にとっては、長音や撥音の位置がある程度表示されるので便利ではあるが、元になる言語が想像しにくくなってしまう。また、英語には特に長音を示す付加記号がないので、たとえばsarangiと書かれても、サーランギーかサラーンギかサーラーンギかは判然としない。わたしの名前をローマ字で書いたとき、ナカガワなのかナーカガワなのかナカガーワなのか判然としないのと同じである。
ヒンディー語の用語は、かつてバナーラスに住んでいたこともあり、ある程度予測がつく。といっても、デーヴァナーガリー文字で示されれば意味は分からずとも口に出して読むことはできるといった程度である。しかし、これがタミル語やテルグー語などとなると完全にお手上げである。とはいえ、当初は原著の英語的表記でだいたいこんな感じかな、と勝手に判断してた発音をカタカナに表記してもどっちみち個人的にしか使わないのだからいいか、とかなりいい加減にやっていたのだ。「きちん」とせなあかんと思い出したのは、そのいい加減な原稿を東方出版の板倉編集長にお見せしたら「これ、出しましょう」といっていただいてからである。
内容的なこともあるので、まず著者であるB.C.DEVA氏に会って尋ねたいと考えた。原著の表紙に記載された著者略歴には、プーナ大学で博士論文を書いたことは書いてあっても、彼が本書を出版した当時どこで何をやっているのかは明記していない。音楽学者であれば誰か知っているだろうと、バーンスリーの修行のためにたいてい毎年訪れるボンベイでいろいろな人に尋ねた。しかし著者について詳しく知っている人がいなかった。名前は知っていても現在本人がどこで何をしているのか知っている人がいない。手がかりがつかめないので、やはりプーナ大学へいってみるしかないか、と思っていた。そんなとき、サンギータ・マハーバーラティーで「音楽百科事典」を編纂しているのでそこの誰かに聞けば分かるのではないか、というアドバイスをある人からいただいた。サンギータ・マハーバーラティーは、タブラーの大御所、故ニキル・ゴーシュ氏が設立したプライベートな音楽学校で、高級住宅地として有名なジュフにある。映画スターのアミターブ・バッチャンの邸宅のはす向かいである。そこでサンギータ・マハーバーラティーを訪れ、「音楽百科事典」の編集者はどなたですか、と聞いた本人が編集責任者のピライ博士だった。
ピライ博士は実に親切だった。初めてお会いしたのに積極的に協力していただいた。著者の消息をまず伺ったところ「ああ、たしかあの人は昨年に亡くなったはずですよ。プーナ大学の心理音響学研究所の所長をしていたはずです」という。著者略歴によればDEVA氏は1922年生まれとあった。ピライ博士を尋ねたのは1992年だったから、彼が正しければDEVA氏は1991年に69歳で亡くなったことになる。その後DEVA氏の消息をいろいろな人に尋ねたり、記録類を探してみたが、結局よく分からなかった。遺族がどこに住んでいるのもいまだに不明である。どなたか知っておられる人がありましたら是非わたしまでお知らせ下さい。
さて、読みの不明な多量の単語リストには南インド系の言葉が多かったので、ケーララ地方の出身者でかつアカデミズムの人でもあるピライ博士の協力をかなり期待した。実際、彼はわたしの申し出を快諾され、訪問した日からほぼ毎日彼の元へ通うことになった。彼にすればいい迷惑だったはずだが、根気よくわたしにつきあってくれた。ところが帰国後、サンスクリット語とヒンディー語に詳しい友人の宮本久義氏の紹介で協力をお願いした専門家の方々に、ピライ博士からの聞き取りを元にカタカナにした読みをお見せしたところほとんどの言葉を訂正することになった。これは、ピライ博士から教わった読みが間違っているからというわけではなく、また、インド人の学者どおしでは彼の発音は問題はないのかも知れないが、日本でのある程度統一された「標準的」カナ表記とのずれや、言語学的な厳密さという意味で翻訳書にそのまま採用するにはラフすぎるという判断で訂正されたのだと思う。
「きちん」とするという方針をたて、まず相談したのは前述の宮本久義氏である。あらかじめ、カタカナ、本書の英語表記、その単語の出てくるページ番号を付記した一覧表を作って宮本宅を訪れた。アイウエオ順に列挙した1500余りの「単語表」をみて宮本氏は「うへー」とまずその量にたまげ、さらに、カタカナと英語表記を対照して「こーりゃ、大変だ。こーりゃ、大変だ」二度つぶいた。また、多分あっているかなとわたしが適当にあてていたヒンディー語のカタカナ表記にも、そのあまりのいい加減さにあきれられてしまったのであった。それでも、お忙しい身にもかかわらず、かつわたしの無知無謀さにあきれながらも、宮本氏は「ま、できるものだけでもやってみましょう」とおっしゃってくださった。もつべきものは友である。
結局、訪れた日から3日間わたしは宮本宅に寝泊まりし、氏がヒンディー語、サンスクリット語の分厚い辞書や参考書を机いっぱいに広げて不明な単語を一語づつチェックしていただいたものをリストに書き加えるという作業をおこなった。本書の英語的表記のデーヴァナーガリー文字への置き換え、その正しいローマナイズ表記の書き出し、それをもとにしたカタカナ表記への変換、というのがだいたいの手順である。
宮本氏はサンスクリット語やインド思想が専門である。この分野と共通したり類推できる用語をチェックすることは、彼にとっては造作もないことでであった。ただ、とくに音楽でのみ用いられる用語や複合語も含まれるので、元になる言葉を類推する作業は辞書だけでは分からないこともあり、意外と時間がかかった。
ヒンディー語、サンスクリット語以外の用語に関しては、それぞれ専門家にご相談したらどうか、という宮本さんのアドバイスと紹介で、四天王寺国際仏教大学の高橋孝信氏、当時名古屋大学の山下博司氏にタミル語を中心に南インドの諸語を、東京外国語大学の麻田豊氏にウルドゥー語、インド音楽研究会の井上貴子氏にカルナータカ音楽の専門用語の読みを、お訪ねして協力をお願いした。
カタカナ表記の問題というのは、インド関係書物の翻訳や紹介だけに限らず、外国語から日本語になおすときに大いに悩まされてきた。フランス15世紀の泥棒詩人フランソワ・ヴィヨンVillon研究の第一人者故鈴木信太郎博士とその師故辰野隆博士との、ヴィヨンかヴィロンかといった有名な論争があったらしいが、同種の論争にことかかない。その辰野博士は、ボオドレエル、ルナアル、モオパッサン、ユウゴオといったように、長音の音引きを嫌って「オ」を多用するところに特徴があったという。また、「ギョエテとはおれのことかとゲーテいい」という有名な文もある。これは、この問題のややこしい側面を端的に表した斉藤緑雨の戯れ句である。ことは文学に関してだけではない。マスコミの「ベトナム」「ベネズエラ」か外務省の「ヴェトナム」「ヴェネズエラ」か、ミキサー(化学関係)と「ミキサ」(機械工学関係)「ミクサ」(電気工学関係)などの混乱などの一般的用語の混乱はさておいても、音楽用語となると一筋縄ではいかないややこしさである。バイオリンかヴァイオリンか、インベンションかインヴェンションか、テキストかテクストかなどといった英語のカナ表記の混乱に加え、テナーとテノール、リコーダーとブロック・フレーテというような、同じ意味でも元になる言語が違っている用語がカタカナで併存している。実際の演奏現場でも、そこのキーはツェーかゲー、コードはアーモルなどといわれると一瞬なんのことか分からない。シー、ジー、エー・マイナー(C、G、A-Minor)といってもらったほうがわたしには分かりやすい。混乱はあってもなんとなく世の中は進行しているのでそれほどの重大な問題ではないのかもしれない。しかし、オウム真理教の捜査で電気関係で有名なオーム出版社までその対象になったなどという話を聞くと、カタカナ表記の混乱が実際の問題を生じさせる原因にもなりうる。
わがインド関係では、問題はもっと複雑になる。現在使われている言語もやたらに多いし、それに歴史的な要素が加わると収拾のつかない様相を呈する。専門家諸氏の最近の努力が少しずつ味を結びつつあるとはいえ、インド関係の多量の市販本はもとより、新聞雑誌記事でもカタカナ表記ほとんど統一されていない。Gandhi、Nehru、Hinduのマスコミのカタカナ表記ガンジー、ネール、ヒンズーなどは、インド学関係者がいくら叫んでもガーンディー、ネルー、ヒンドゥーと改まる気配がない。今後もしばらくこうした状態は続きそうである。・・・
1996