サロード Sarod
構造・奏法
ヒンドゥスターニー音楽で使用される弦楽器のなかでは、シタールと並んでポピュラーな楽器である。指板には、シタールのようなフレットがないので、素早く正確な音程を出すのは非常に難しい。
楽器の構造は、基本的に胴体とネックの二つの部分に分けられる。胴体は、よく乾燥させたチークやマホガニーなどの固い木材をくりぬいて作られる。したがって、シタールと比べてかなり重い。途中の「くびれ」から下には表面に薄い羊皮がはられ、付け根の部分に象牙や骨製の、弦を支えるブリッジが皮の上に置かれる。弦の振動が表面皮に直接伝えられるため、三味線と同じように乾いた力強い音を出すことができる。
胴体に差し込んでつけられる先すぼまりのネックには、調弦用のペグと、シタールと同じようにヒョウタン製あるいは真鍮製のねじ込み固定式補助共鳴器(トゥンバーtumba)が取り付けられる。
胴体の「くびれ」から上の表面には、薄く、よく磨かれた鉄板が指板としてはられている。インド音楽特有のスライド(ミーンド)などの修飾技法が可能になるのは、爪先をスムーズに滑らせることができるこの鉄板があるからである。
弦はスティール製で、25本ある。旋律演奏用が4本(通常、低い方からSa Pa Sa Maと調弦される)、演奏するラーガに合わせて調弦されるジャワーリー弦が3本。リズムを刻むときやドローンに使用されるチカーリーと呼ばれる弦が3本(Sa Sa' Sa')。残りのタラフと呼ばれる15本は共鳴用で、演奏のたびにラーガの音階型に合わせて調弦される。
右手に持った象牙製あるいはココナツ殻のピック(ジャヴァーJava)で弦を弾き、左手の爪先を弦に押し当て演奏する。98年に日本にお呼びしたアーシシ・カーンは、自身の爪に瞬間接着剤を上塗りして盛り上げ、その先端で弦を押さえていた。
由来
サロードという名前は、音楽を意味するアラビア語の「Sahrood」、ペルシャ語の「Sarood」や、「良い音」を意味するサンスクリット語の「Shorode」とも関連があるといわれている。
サロードの由来には、さまざまな説がある。
一つは、古代インド起源説。S.M.タゴールは『Yantra Kosha』のなかで、名称が似ていることから古代インドのシャーラディーヤー・ヴィーナー(シャーラダ聖人に属するヴィーナー)がその原型であると述べているが、楽器の構造や奏法がはっきりと文献に現れているわけではない。他にも、発音の近似から、ルドラ・ヴィーナーと関係づける論者もいる。しかし、それもはっきりとした証拠はない。ただ、リュート系の撥弦楽器がすでに古代インドに存在していたことは絵画や文献などで明らかなので、そうした楽器が現代サロードにもなんらかの影響を与えていることは間違いない。
二つ目の説は、アフガニスタンのラバーブ起源説。形の類似や、同じ撥弦楽器であること、ムガル朝のアクバル宮廷でも使われていたと記述する文献(1)や、細密画にも描かれていることから、こちらの説が一般的である。この説にしたがえば、現代サロードまでの流れは、次のようになる。アフガニスタンのラバーブ(2)→セーニー・ラバーブ(ドゥルパド・ラバーブ)(3)→スルスィンガール(4)→サロード。
ただし、ムガル朝初期の絵画には、あきらかにペルシアのラバーブ起源と思われる特徴を持った撥弦リュートが描かれているので、必ずしもアフガニスタンからのみこの種の楽器がインドに伝わったわけではなさそうである。
したがってサロードの由来を要約すると、11世紀に始まった断続的なインドへのイスラーム侵攻によってもたらされた中東起源の撥弦リュートが、同種のインド起源の撥弦楽器の影響を受けつつ、ヒンドゥスターニー音楽特有のスライドや修飾技法に適うように改良されて現代にいたった、といえるだろう。
注:(1)・・・『アーイニー・アクバリー』(アブル・ファズル)には、4弦のデカン・ラバーブの他、12弦と18弦のラバーブについての記述がある。(2)・・・木製指板、猫の腸を弦とする撥弦楽器。軍楽隊や結婚式などで主に使われていた。(3)・・・おそらく、16世紀の大音楽家、ターンセーンにちなんで命名されたと思われる、重い、大きな撥弦楽器。肩で支えて演奏していた。(4)・・・ターンセーンの後裔、ジャーファル・カーンの発明とされる。19世紀には盛んに演奏されたが、20世紀に入りほとんど使われなくなった。
サロードが現在のような25弦の最終形に改良されたのは、20世紀に入ってからのようだ。上記のアーシシ・カーンによれば、ヒンドゥスターニー音楽中興の祖ともいうべきアラーウッディーン・カーン(1881-1962)と彼の弟であるアーエト・カーンが改良したという。現存するサロード奏者の大御所、アリー・アクバル・カーン(1922~)の長男で、アラーウッディーン・カーンの孫にあたるアーシシ・カーンの「身びいき」的意見であるとしても、さまざまな音楽解説書にもたいていこのことは記載されているので、かなり信用できる。
いっぽう、アムジャド・アリー・カーンは、父であるハーフィズ・アリー・カーンが現代サロードを「発明」した、と述べている。
演奏家
現存するサロードの名演奏家といえば、なんといってもアリー・アクバル・カーン*である。80歳になる今も、舞台で演奏活動を続けている他、カリフォルニアに本拠をおくアリー・アクバル・カレッジで後進の指導を続けている。上でも触れたが、アリー・アクバルは、アラーウッディーン・カーンの長男である。シタールの大御所ラヴィ・シャンカルは、アラーウッディーンの娘であるアンナプールナー・デーヴィーと最初の結婚をしたので、アリー・アクバルとは義兄弟の関係である。
アリーアクバルの息子のアーシシ・カーン(1939~)とディネーシュ・カーンも優れたサロード奏者である。しかし、ディネーシュ・カーンは残念ながら数年前に他界した。アラーウッディーン・カーンとアリーアクバルの元からは、彼ら以外にも数多くの優れた音楽家を輩出している。とくに、アリー・アクバルの元からは、長年アメリカで活動した関係から、アメリカ人演奏家も育っている。現在、スイスのバーゼルを拠点に活動しているケン・ズッカーマンもその一人である。
ニューデリー在住のアムジャド・アリー・カーン(1945~)も、サロード界を代表する演奏家の一人である。甘いマスクの美男子ということもあり、絶大な人気を誇っている。アムジャド・アリーの家系は、300年ほど前にアフガニスタンのバンガッシュから、レーワーのヴィシュワナート・スイン藩主の軍人としてインドへ移住してきたラバーブ奏者、グラーム・バンデギ・カーンにさかのぼることができる。グラーム・バンデギ→ハイデル→グラーム・アリー→ナンネー→ハーフィズ・アリー(1888~1972)→アムジャドというのが直系の流れで、セーニア・バンガッシュ流派を形作っている。父のハーフィズ・アリーは、前世代のサロード奏者として一世を風靡した。アムジャドの息子たち、アマーン・アリー・バンガッシュ、アヤーン・アリー・バンガッシュも優れたサロード奏者に成長し、華麗なサロード演奏の本流はとぎれずに続いている。
ブッダデーヴ・ダース・グプタも、今日の代表的なサロード奏者の一人である。ブッダデーヴ・ダース・グプタは、前世代の優れたサロード奏者、ラーディカー・モーハン・マイトラ(1917-1981)の弟子である。ブッダデーヴ・ダース・グプタの師弟関係の流れは、上述のアムジャド・アリー・カーン家系であるグラーム・アリー→ムラード・アリー(子、1932年没)→アブドゥッラー(弟子)→モハンマド・アミール・カーン(弟子)→ラーディカー・モーハン・マイトラ(弟子)→ブッダデーヴ・ダース・グプタ(弟子)となる。
以上、現存するもっとも完成された3人のサロード奏者、アリー・アクバル・カーン、アムジャド・アリー・カーン、ブッダデーヴ・ダース・グプタを紹介したが、もちろん彼ら以外にも数多くの優れた奏者が活躍している。ここでは、アンナプールナー・デーヴィーの弟子であるバサント・カブラ、シタールのイムラト・カーンの息子のバジャーハト・カーン、バハードゥル・カーン、ナレンドラナート・ダール、ラジーヴ・チャクラバールティ、ラヴィ・シャンカルの弟子のパルト・サロティー・チャウドリー、わたしのカルカッタ公演を主催してくれたテージェーンドラ・マジュムダールの名前を挙げておこう。
参考文献:"The Sarode Gharanas of India" by S.P.Bhattacharya,"Sitar and Sarod in the 18th and19th Centuries" by Allyn Miner, "Bharatiya Sangit Kosh" by Vimlakant Raychaudri, "sargam-An Introduction to Indian Music" by Vishnudass shirali,Indian Music by B.C.Deva, Musical Instruments of India by B.C.Deva, Ustad Allauddin Khan and His Music by Jotin Bhattacharya, 『インド音楽序説』(B.C.デーヴァ著、中川博志訳、東方出版、1994), http://www.aacm.org/aacm/index.html, http://www.sarod.com/ * アリー・アクバル・カーンは2009年6月19日死去。享年87歳