『インド音楽序説』書評/船津和幸信州大学助教授

 わが国でもようやく本格的なインド音楽愛好者層が形成されつつある感触があるが、その歴史や理論などについて手軽に照会できる日本語の文献がなかったことは致命的であった。 クルト・ザックスの「比較音楽学」ものは堅物であり、邦人の研究家や演奏家によるものはインド音楽という果てしない熱帯林のなかでは限界がある。
 ビートルズのジョージ・ハリスンの先生であったシタールの名手ラビ・シャンカルの「わが音楽わが人生」は原著は合格点てはあるものの、残念ながら悪訳で読むにたえない。 
 こんな現状にあって本著は、みずから声楽家でもある、音楽学と音響学の第一級のインド人学者によるもので、インド音楽の歴史、理論、楽器、音楽家などに関する簡潔にして要を得た記述は待望のの基準的な文献としての要件を備えている。
 西洋音楽と違って和音をもたず、線的な流れの単旋律が生み出す微妙なニュアンスが魅力のインド音楽の命は「ラーガ」という旋律理論である。しかしこの概念の説明を試みると、たとえラーガに基づいて実際に演奏できる者でも絶望的に難しい。その意味で、言語との類似性でラーガを詳解する本書の明快さは出色である。特定のアルファベットから単語、そして文章が作られ、感情により抑揚やアクセントが付けられて始めて生きた言葉となるように、限定された楽音の特定の音進行から作り出される旋律が、特定の装飾技法によって固有の美、つまり特定の感情、を表出するのがラーガと説明される。
 音楽史や音楽家伝は最小限に抑えてはいるが、本書を単なる概説書に終わらせず優れたインド文化論にもしているのは、価値の座標軸上で事項や人物を選択し論じているからである。イスラーム支配時代にはペルシャ音楽の影響を受けたもののその誇るべき本質は不変であったとする認識、それを担ってきた徒弟制度や流派の評価、独立前後における音楽のルネサンスと普及の意義、急激な社会の西洋化に伴う音楽や音楽家の変質への危惧、タゴールで代表される精神性への志向など、オールドファッションではあるが確固たる視点をもつ。
 インド音楽文献のカタカナ表記の問題はいつも頭痛の種である。同じサンスクリット語の述語であっても北と南では慣習的表記が異なり、北でもヒンディー語かウルドゥー語かで表記に違いが出る。その点、丹念に表記を確定していった訳者の誠実さは賞賛に値する。訳者自身がバーンスリー(竹笛)の演奏者であり、インド留学でその理論にも言語にも通じていることにも増して、インド音楽に対する真摯な情熱がこの訳業に光っている。

1994年9月18日信濃毎日新聞掲載