バーンスリーBansuri

 笛は、インドでは古代からよく使用されてきた楽器で、地理的にも広い範囲で演奏される。したがってその呼び名もさまざまである。北インドの一般的な名称は、ヴェーヌ、ヴァンシー、バーンスリー、ムラリーなど。一方、南インドでは、プッラーンクラル、ピッラナグローヴィ、コラルなどと呼ばれている。どれも、筒とか材質である竹などを意味する言葉である。
 インドの笛がいつごろから使われ出したのかははっきりしていないが、インド各地の古い石窟寺院の彫刻を見ても分かるように、最も古い楽器の一つといっていい。

古代インドの笛

 インド最古の文献でありバラモン教の根本聖典であるヴェーダを詠唱する際には、ヴィーナー(弦楽器)、ヴェーヌ(笛)、ムリダンガム(太鼓)が伴奏として使われていたといわれている。葦でできていたと思われるナーディーも笛の一種で、死神ヤーマの怒りを鎮めるために演奏されていた。また、笛はこうした宗教儀式にとって重要であったばかりではなく、プルシャメーダ・ヤジュニャといういけにえの儀式では、笛の奏者も神への供物としていけにえにされたといわれている。インド音楽理論の記念碑的著作「サンギータ・ラトナーカラ」(13世紀)の中では、著者のシャールンガデーヴァは18種類の長さの異なる笛について記している。

民衆の楽器

 芸術学問の神、サラスヴァティー神の抱えるヴィーナーや、シヴァ神のもつダマルー(でんでん太鼓)と同じように、インド人にとって笛は神秘的な魅力のある楽器であった。
 インドの街角や寺院の門前には、よく極彩色の神々のポートレイトが売られている。その神々の一人、クリシュナ神の絵はたいてい笛を吹く姿で描かれている。恋人ラーダーや羊飼いの女たち(ゴーピー)は、クリシュナの吹く笛にうっとり聞き入り恋心をいや増しに増しかきたてられる。神との一体化を切望してやまないラーダーにクリシュナはその不思議な笛で呼びかける。このラーダーとクリシュナにまつわるエピソードは、インド人ならだれでも知っている。女性をうっとりとさせるクリシュナの笛が、どのような音色でどのようなメロディだったのか、男性の笛吹きである筆者としては大いに興味のあるところである。
 とまれ、このように笛は古代からよく知られ、民謡の伴奏楽器として広く使われてきたにもかかわらず、古典音楽の主奏楽器として認知されるようになったのは比較的新しい。特に北インドではごく最近の話といっていい。
 北インドの古典音楽を支えてきた人たちは、一種のエリート集団である。音楽家たちは、ヒンドゥー教徒であれば最上カーストのブラーマンがほとんどであり、イスラームではあっても、ムガル朝時代に宮廷音楽家として有利なように上層のヒンドゥーから改宗した人たちが多い。そうした人たちは、手のこんだ楽器であるヴィーナー、シタール、サロードのような弦楽器や、声楽などを中心に演奏していた。聴衆といえば王や貴族といった支配階級である。こうした選ばれた少数の熱心な聴衆とギルド的職人芸集団によってきたインドの古典音楽が洗練され育まれてきたのである。
 このような伝統からすれば、一般民衆が民謡などの伴奏で吹く笛は、古典音楽楽器としては一段低くみなされていたと思われる。また、笛は直接口を接触させるわけで、この点でも浄不浄に厳しい社会では「尊敬すべき」楽器として取上げられなかったのかもしれない。中世から今日までの大演奏家にまつわる逸話や記録にも、バーンスリーに関する記述はほとんどない。

パンナラール・ゴーシュの功績

pannalalghosh 近年になって、バーンスリーが北インド古典楽器=ヒンドゥスターニー音楽の主奏楽器として一般化したのは、一人の傑出した演奏家が出現したからである。パンナラール・ゴーシュ(1911-1960)である。民謡の伴奏などでは、比較的短いバーンスリーが使われていたのだが、ゴーシュは、ラーガの微妙な表現や低音を得るために非常に長い楽器を使った。約70センチの長さの彼のバーンスリーは、特にティッペリとして知られている。
 ゴーシュは、13歳のときからアラーウッディーン・カーン(1881-1962)の下で本格的に音楽を修行した。アラーウッディーン・カーンは、今日のヒンドゥスターニー音楽隆盛の中興の祖といってもよい人である。アラーウッディーン・カーンの下からは、息子の現代サロードの重鎮、アリー・アクバル・カーン、娘のアンナプールナー・デーヴィー、そのアンナプールナーと結婚したシタールのラヴィ・シャンカルや、故ニキル・ベナルジーなどを始めとした多くの音楽家が輩出した。
 パンナラール・ゴーシュの演奏は死後30年を経た今日でもレコードやテープで聞くことができ、いまだに人気のある演奏家の一人である。ゴーシュは、演奏の内容もさることながら、ヒンドゥスターニー音楽におけるバーンスリーの地位を確固たるものにしたいという意味でも決して忘れられない音楽家であろう。

ハリプラサード・チャウラースィヤーの存在

 さて、パンナラール・ゴーシュが人気を得てからは、バーンスリーで古典音楽を演奏する人たちが各地に現れる。それらの中で飛び抜けて一躍寵児になったのが、ハリプラサード・チャウラースィヤー(以下彼の愛称ハリジー)である。
 とはいっても、彼が北インド古典音シーンに登場したのはごく最近の話である。87年の「インディア・トゥディ」誌の記事をみると、「今から6年前ですら無名に等しかった」とある。87年の6年前ということは81年であり、ハリジーは1938年生まれであるから、彼が43歳のときにはまだ「無名」だったことになる。現在の人気からするととても信じられない話である。ヒンドゥスターニー音楽界では、伝統的な音楽家系の出身であれば、10代か20代でデビューし、華やかな演奏会で堂々と舞台を飾るものがザラだからだ。したがって多くの人々は、彼の突然といってもいい名声と、その名声に違わない演奏を聴いたとき驚いたに違いない。