タンブーラー Tambura

  インド古典音楽演奏の舞台には、声楽家や、シタールやサロードやバーンスリーなどの楽器の主奏者、伴奏打楽器タブラーの奏者以外に、一人ないし二人のタンブーラー奏者が座る。演奏者たちがそれぞれ所定の位置に座ると、主奏者はまず自分の楽器や声の基準音(後述)を出して確認したあと、後ろに控えるタンブーラー奏者から楽器を受け取り慎重に調弦する。正確に調弦されたタンブーラーは再び彼らに手渡され、昆虫の羽音のような独特の音を鳴り響かせる。主奏者は、今度はタンブーラーの音を聞きながら自分の楽器の再調弦を慎重に行う。それが終わると、タブラー奏者がやはりタンブーラーの音を聞きながら、ハンマーをを使って基準音に合わせる。すべての楽器のチューニングを確認した主奏者は、おもむろに演奏を始める。
 フレットのない四弦(最近は五弦、六弦もある)のタンーブーラーという楽器は、たいてい奏者の名前も紹介されず、特に難しい奏法も要求されない。しかし、基準音を持続して示すドローン楽器としてとても重要である。
 ドローンというのは、持続低音を意味する英語であるが、主奏者の創り出すメロディーとは別に、演奏の最初から最後まで背景でずっと鳴り響く音のことである。「ある一定の音型を、楽曲全体を通じて、あるいはまとまった楽節全体を通じて、同一声部で、同一音高で、たえず繰り返すこと」*1という意味では、オスティナートともいえる。
 インド音楽におけるドローンの機能は、メロディーの動きの元になる基準音(トニック)を常に示すことである。インドの音楽には、西洋のようなA=四四〇サイクルといった絶対音の考え方がなく、主奏者の楽器や声の音域に応じてある特定の音高の基準音が選ばれ、その基準音によって楽器が調弦される。いったん決まった基準音は演奏の最後まで変化しない。メロディーを創り出すための基礎となる音階型(ラーガ)のそれぞれの音高は、この基準音からの相対的な距離によって決まってくる。したがって、最初から最後まで基準音を示すドローンがどうしても欠かせない。ドローンがないと、メロディーは糸の切れた凧のようにどこへ向かうのか分からなくなってしまうのだ。
 アメリカの音楽学者、ウォルター・カウフマンは、インド音楽のドローンの重要性を「東洋音楽の水平的拡がりの強調は、音階、モティーフ、旋律型、表現の精妙さという点で、その芸術をとても豊かなものにしてる。・・・膨大なラーガ体系において、最良の典型を見てとることができる」*2と強調している。
tamburaAounth タンブーラーの機能は、このように基準音を常に提示することにあるが、もう一つ重要な機能がある。それは、インド音楽に特有な雰囲気を創り出していることだ。サワリの効果によって音が持続するように工夫されたタンブーラーの音は、それが鳴り響いた瞬間、まったく異なった世界へわれわれを連れていってくれる。日常の喜怒哀楽を一気に超越し、まるで眼前に広大無辺の地平線が立ち現れてくるような不思議な音の空間を創り出す。なにか、人間のいとなみを神の視点で見ているかのような、形而上的とでもいうべき響きがある。
 タンブーラーの音が独特の響きをもっているのは、楽器の構造による。振動する弦が幅広い駒にかすかに触れるサワリの効果によって音響の持続と数多くの倍音を発生するのである。また、他の弦との関係によってその効果はさらに高まる。タンブーラーは、通常、弾く順番によってPa(ないしMa)、Sa、Sa、Sa↓(前の二弦のSaの一オクターブ低いSa)と調弦される。Paはパンチャマ、Maはマデイャマ、Saはシャドジャというインド音名の略である。西洋音名でいえば、ソ(ないしファ)、ド、ド、ド↓となる。それぞれの弦は一度と五度(ないし四度)の関係にある。これらの四弦は間断なく弾かれ、それぞれの弦が共鳴しあう。その結果、「物理的スペクトルからみれば一三の異なった音が同時に鳴り響ていることになる。・・・また、計算上はPa調弦で四二、Maで五二の異なった音を出している」*3ように、たった四弦のタンブーラーは実に多くの異なった音を出しているのである。こうした不可聴音も含めた多くの音が同時に鳴り響くことで、神秘的ともいえる独特の音空間を創り出しているといえる。

歴史

 ところで、インド音楽の独自性を際立たせるタンブーラーは、いつから今日のような形で使われるようになったのだろうか。
 さまざまな文献資料からみれば、この楽器が本式に使われだしたのは案外新しいようだ*4。ナーガールジュナコンダ(紀元二世紀)のフレスコ画に描かれている板状のヴィーナーが、現代のタンブーラーの起源だとする説*5はあるが、一七世紀にアホーバラによって著された『サンギータ・パーリジャータ』以前の文献や彫刻などにはタンブーラーが存在した証拠は見られない*6。『サンギータ・パーリジャータ』では、フレット付きとフレットのない二種類のタンブーラーが記されている。フレットなしはやはりタンブーラーと呼ばれ、フレット付きのものがシタールと呼ばれた。B.C.デーヴァによれば、イランのセタールが起源といわれるシタールとの関係から、この記述がタンブーラー中東起源説*7の根拠になった。たしかにベルシアやアラブには、タンブーラーに似た名前を持つ、タンプール、トゥンブールなどの楽器がある。しかし、実際はヒョウタン類の果皮で作られる共鳴胴トゥンバの名前から転訛したもので、逆に中東へもたらされたという*8。楽器名の由来に関しては、他に、ヴェーダ時代の聖人、トゥンブル・リシに因むという説*9もある。ムガル朝時代の絵画に、一弦のエークターラーを弾きながら歌う若いターンセーン(一五九五没-異説あり)*10や、互いにタンブーラーを手にしたターンセーンとハリダース*11(一五七五没-異説あり)を描いたものがある*12ので時代考証の傍証になるだろう。以上から、上述の『サンギータ・パーリジャータ』の記述やムガル朝絵画などから類推して、ドローン楽器としてのタンブーラーは、一六、七世紀あたりから現在のような形で使われだしたというのが定説になっている。
 さて、ドローンという考え方の出現はインド音楽にとって大きな意味をもっている。インド音楽の最も基本的な旋律創造の元となる音階型が、ドローンによって持続的に出される基準音(トニック)を基準として整備されたということである。すなわち、旋律システムとしてのラーガの標準が確立されたといってもいい。基準音、つまり音階の開始音Saは、先に述べたように主奏者の楽器や声の音域によって決まる。そして、それぞれのラーガを特徴づける音列の個々の音は、主音からの相対的な距離による。この、今日のインド音楽の根幹になる旋律システムは、ドローンなしには成立しない。

古代のジャーティからラーガへ

tamburaAncient ラーガという言葉自体は、『ナーティヤ・シャーストラ』(紀元後2世紀から6世紀)にも出てくるが、それは今日の音階型を説明する用語として使われているわけではなく、音そのもの、あるいは、精神を楽しませる波動を創り出すもの、というような意味で使われていた*13。今日のラーガにあたるのは、ジャーティ(種、類)と呼ばれていた。ラーガという言葉が今日の意味に近い形ではっきりと使われたのは、マタンガ(五世紀)によって書かれた『ブリハッデーシー』においてであった。「ラーガがジャーティとして知られるのは、微分音(シュルティ)や開始音(グラハ)という考え方が生まれたからである」*14。とはいえ、ラーガという言葉が今日のような旋律システムの総称として考えられていたかどうかは定かではない。ターラや楽器などとともにラーガの分類に触れている『サンギータ・ラトナーカラ』(一三世紀)の時代でも、ドローンについてまったく触れられていないことを考えると、彼のいうラーガが今日とまったく同じ意味であったかどうかは分からない。おそらく、地方地方でさまざまな標準音階や音階の型が存在し、それらをラーガと読んではいたが、今日のような統一された体系にまで至っていなかったのではないか。
『ナーティヤ・シャーストラ』によれば、古代インドでは、シャドジャ・グラーマとマディヤマ・グラーマという二つの基本音階があった。一オクターブは基本的に七音。

 シャドジャ・グラーマ

インド音名

ni

Sa

Ri

ga

Ma

Pa

Dha

ni

sruti

4
3
2
4
4
3
2

音程

大全音

全音

半音

大全音

大全音

全音

半音

 マディヤマ・グラーマ

インド音名

ni

Sa

Ri

ga

Ma

Pa

Dha

ni

sruti

4
3
2
4
3
3
2

音程

大全音

全音

半音

大全音

全音

全音

半音

 シュルティ(sruti)というのは、一オクターブを二二に分割したときの一単位である。ただし、この単位を計る基準は『ナーティヤ・シャーストラ』には示されていない。西洋音階の場合はこの数が一二になる。また、なぜ西洋音楽と同じように一オクターブに配置される音数が七になったのか、も分からない。niはニシャーダ、Riはリシャバ、gaはガーンダーラ、Maはマディヤマ、Paはパンチャマ、Dhaはダイヴァタの略、また大文字は大全音または全音、小文字は中間音を示す。
 ともあれこの二つのグラーマを基準にして、それぞれの音を出発点とした音階型、ジャーティを作っていた*15。これは、古代ギリシアの音階生成と似ている。ただ、音階の出発音(インド音名のSa)=基準音という考え方まで至ってなく、Saの音高が曲中で変化することもあったらしい*16。しかし、こうした古代のシステムも、音楽が演劇や儀式の付属物から芸術表現の一つとして発展してくるにしたがい、アーダーラ・シャドジャ、つまり固定したSaが一般的になる。アーダーラ・シャドジャを促したのはまた、指板のついた弦楽器の登場も大きいという*17
 インドの弦楽器がハープのような楽器から複数弦の指板付き楽器に発展してきたことは、寺院の彫刻やレリーフによって知ることができる*18。指板付き弦楽器の登場がなぜアーダーラ・シャドジャを促したか。B.C.デーヴァは、古代から中世にかけての音階生成の変化の音楽理論的、心理的、社会的根拠を論じた後、以下のように書いている。「(固定Saは、)特に弦楽器によって多大な影響を受けたと推測される。当初、ドローン用として使われていたのは、単純な一弦の楽器であろう。それからさまざまな指板付き弦楽器が開発された。ハープの場合、おそらく四番目の弦はSaに調弦されていた。(あるいは、それぞれのシュルティ価に応じて弦が張られていたとすれば、二番目がSa、一番目がniに調弦されていたと推測される)。しかし、指板付き弦楽器になった場合、その(Saに調弦された)弦は、音階の開始音を意識させる開放弦となる。なぜならば、その音が最低音になるからだ。かくして、それがドローン弦となっていったのであろう」*19
 古代インドの標準音階はムカリーと呼ばれ、今日のラーガ・カーフィーの音列に近かったといわれている*20
 ところで、ドローンを使用するのは、インドだけではない。スコットランドやアイルランドのバッグパイプでは低音のドローン管があるし、一〇世紀から一四世紀に西ヨーロッパで流行し、現在でもフランスやハンガリーで使われている擦弦楽器ハーディー・ガーディーにもドローン用の弦がある。また、フィリピンの音楽学者ホセ・マセダは、東南アジアの音楽原理は、メロディー(音の置き換え)とドローン(音の反復)の組み合わせパターンにあり、それは熱帯の時間概念や自然観と関係があると、著書『ドローンとメロディー』(新宿書房、一九八九)のなかで述べていて興味深い。

●注

*1-新音楽辞典(音楽之友社)
*2-Walter KAUFMAN,The Ragas of North Indian Music, 1984
*3-The Music of India~A Scientific Study, B.C.Deva,1980
*4-Music Through the Ages, V.Premalatha, 1985
*5-Archaeology of Indian Musical Instruments, K. Krishna Murthy,1985
*6-Keywords and concepts~Hindustani Classical Musisc, Ashok Da. Ranade, 1990
*7-Archaeology of Indian Musical Instruments, K. Krishna Murthy,1985
*8-Musical Instruments of India, B.C. Deva, 1978
*9-Music India, Manorma Sharma, 1999
*10-ムガル朝の宮廷音楽家。第三代皇帝アクバル(在位一五五六-一六〇五)の寵愛を受けた。
*11-中世のヒンドゥー神秘主義者。バクティ(神への絶対的献身)運動を展開した。数多くの宗教讃歌を作ったとされる。
*12-Evolution of Indian Classicam Music, Neerja Bhatnagar,1997
*13-A Historical Study of Indian Music, Swami Prajnanananda, 1981
*14-Brhaddesi of Sri Matanga Muni Vol I, Prem Lata Sharma
*15-The Natya Sarta, Rangacharya訳、監修、1996。紀元後2世紀から6世紀にバラタによって書かれたとされる古代インドの演劇論書。
*16-The Music of India~A Scientific Study, B.C.Deva,1980
*17-The Music of India~A Scientific Study, B.C.Deva,1980
*18-Music Through the Ages, V.Premalatha, 1985
*19-The Music of India~A Scientific Study, B.C.Deva,1980
*20-『インド音楽序説』p19、B.C.Deva、1994