インド音楽からみた日本の伝統音楽

 この原稿は2011年2月にプネーの音楽祭BaajaaGaajaaにおいて行った講演をまとめたものです。例として挙げられているものは、当日紹介した実際の音源。

はじめに

 これまでインドの友人たちから日本の伝統音楽について訊かれたことがなかった。ところが、たびたび来日して日本の伝統音楽にも触れた友人のアニーシュ・プラダーンから「インドの人びとはインド以外の音楽文化についてほとんど無知である。そのため自分たちのやっていることに満足し、傲慢にすらなっている。われわれはこうした状況を少しでも変えたいと思っている。そこで、日本とインドの音楽文化の違いや共通性について、講義とデモンストレーションをお願いしたい」とのメールをもらった。インド人は日本の音楽にはまったく関心がないのではないかと思っていたが、このような意識をもつ音楽家がいるということを知り、インドも変わりつつあるという感じがした。
 アニーシュの言うように、一般にインドの人々はインド以外の文化に無関心のように見える。古代から高度で素晴らしい文化を築いてきたインドの人たちが自分たちの文化に対して誇りをもつことは素晴らしいことだし、理解できる。しかし、グローバル化といわれるように、国際的交流が盛んになるに従い、異文化に対する理解の必要性が高まっているのは、われわれ日本ばかりではなく、このインドにおいても同様だろう。
 わたしは、1981年以来、インドの音楽文化を学び、その精緻な理論体系や演奏に惹きつけられてきた。いっぽう、インドの音楽を知ることが日本や他のアジアの音楽の理解の上で非常に有効だとも気づいた。その例の一つは、ラーガの仕組みの理解によって、それぞれの音楽で使われる音階の特徴を把握できる点である。このレクチャーではラーガ・システムからみた日本の音階の分析を中心として、リズム、音楽様式、楽器の特徴をみなさんに紹介したい。みなさんの異文化理解の一助になれば幸いである。

総論

 日本は、1868年の明治維新以降、西洋文化を積極的に取り入れてきた。学校の音楽教育も例外ではなく、西洋音楽の考え方や手法が取り入れられ今日に至っている。そのため、現在でも欧米音楽文化の強い影響下にある。とはいえ、伝統的な音楽もまだまだ強い存在感を持っている。
 このノートでは、日本の伝統音楽の概略を紹介したい。
 日本とインドの音楽には次のような共通点があるので、インド人にとって理解することはそれほど難しくはないかもしれない。
 1.意識的なハーモニーをもたないこと。
 2.拍節リズムと自由リズムの音楽が併存していること。
 このような共通点を踏まえながら、音階、リズム、音楽構成、楽器について、以下述べる。

音階

 例外はあるが、日本の伝統音楽で使われる音階には以下の4種、およびそれらから派生したものが代表的である。いずれも、ペンタトニック(Audava)であることが特徴である。また、ヒンドゥスターニー音楽のラーガのように、上行、下行によって動きの異なる音階はない。

1.民謡音階
  これは主に民謡で使われていることから命名された。民謡とは、地方農山村で歌い継がれる民衆による音楽である。作曲者が特定できないこと、特別な音楽訓練のない一般民衆による音楽。それぞれの地方の自慢、労働にまつわる内容が主である。かつては全国に見られたが、現在では生きた姿ではほとんど歌われなくなった。
 例:真室川音頭、八木節、津軽よされ節
 インド音楽に親しい人であれば、即座にRaga Dhaniを思い浮かべるだろう。西洋音楽的にいえば、Minor Pentatonic Scaleとなる。
 Sa ga Ma Pa ni Sa
 民謡音階は、民謡ばかりではなく、他のさまざまな日本の大衆音楽にも見られる。
 例:「昴」。「夕焼け小焼け」
 明治期に西洋音楽が導入されると、この音階は主要音(トニック)が短3度移動した四七抜き音階に変化し、わらべ歌や大衆消費音楽などにも取り入れた。ラーガと解釈すれば、四七抜き音階はBhupaliとなる。
 Sa Ri Ga Pa Dha Sa'
 西洋音楽ではMajor Pentatonic Scale。
  四七抜き音階の例:「柔」「函館の女」
 この音階は、日本以外に広く東アジアに広がっている。
 例:「アリラン」、中国、モンゴル民謡など
 このように四七抜き音階、つまりBhupaliは広い範囲で使われる音階だが、これには大きな理由がある。それは、日本や韓国、モンゴル、ベトナムの音楽は、基本的に中国音楽文化圏下にあるといえるからである。
 四七抜き音階が東アジアに広がった原因の一つが、古代中国の音律生成理論である。古代中国では、倍音を利用した1オクターヴの分割が試みられた。その方法は三分損益法という。ある特定の基準になる音の倍音の強い順に響く音を配置し、五音七声という12個の音を特定した。最初の五音が四七抜き音階になる。このような音律理論が、朝鮮半島や日本などの周辺に影響を与えた。したがって、今日の日本の伝統音楽に四七抜き音階が導入される下地があったといえる。

2.都節音階
 この音階は、ラーガでいえばGunkaliにあたる。
 Sa ri Ma Pa dha Sa'
 例:さくらさくら、「恋の道行」(新内)など
 この音階が日本でいつ発生したのかははっきりしないが、かなり古いと思われる。平安後期に、浄土仏教の念仏に取り入れられたらしいことが文献で分かっている。都というのは首都あるいは大都市を表す。大都市の室内音楽で特に使われたことからこういわれるようになった。この音階は、日本の伝統楽器とされる筝、三味線、尺八、琵琶などで演奏される曲や、民謡でも使われる。
 例:酒田甚句(山形)
 この音階のトニック音を4度ずらすと別の音階が生じる。ヒンドゥスターニー音楽ではLilavatiとして知られるラーガである。
 Sa Ri ga Pa dha Sa'
 この音階は特に日本の流行歌でよく使われた。
 例:別れても有り難う
 西洋音楽の導入によって、長調、短調を明暗と感じるようになったせいもあり、この音階は物悲しい感情を表すのに適していた。
 これに似た音階はジャワのスンダ地方にも存在しているが、日本との関連性は分からない。一時、日本軍の占領下にあった地域なので日本の影響ともいえるかもしれない。
 例:Es Lilin(Nining Meida)
 
3.琉球音階
 この音階と同じラーガはヒンドゥスターニー音楽で見つけることができない。
 Sa Ga Ma Pa Ni Sa'
 Raga Bihagのアーローハと同じである。
 この音階は、日本の南端の島々からなる琉球地方の民謡で使われるため、音階名に地域名が冠された。
 例:糸満姉小(ネーネーズ)
 面白いことに、これはインドネシアのペロッグ音階によく似ている。
 ただし、インドネシアの音楽における音階は、さきの古代中国におけるそれのように厳密な法則性から導き出されたのと違い、地方によってそれぞれの音高が少しずつ異なっている。琉球音階とペロッグ音階との類似性から、民族移動の類推の根拠とする考え方もあるが、実証されたわけではない。
 
4.律音階
 Sa Ri Ma Pa ni Sa'
 ヒンドゥスターニー音楽のラーガで類似したものはMadhmad Sarang。
 この音階は、民謡音階のトニック音を1度上げた音階である。日本仏教音楽の聲明などでよく使われる音階である。聲明は、6〜8世紀に輸入された中国の音楽、雅楽の音楽理論から発展した独自の音楽理論に基づいて演奏される。したがって、この音階から民謡音階が派生したと類推することが可能である。

 以上、日本の伝統音楽の主な音階を紹介した。ヒンドゥスターニー音楽を基準として考えると、日本音楽の音階には以下のようなものがあると理解していい。
 Dhani、Gunkali、Bihag(アーローハのみ)、Madhmad Sarang
 派生したものとしては、
 Lilavati、Bhupali

リズム

 拍節のある日本の伝統音楽のリズムは、きわめて単純な2拍子あるいは単にパルスと表現した方が分かりやすい。ターラのような一定の拍節パターンが繰り返し現れるという形をとらない。
例:
 また、拍あるいはパルスが定間隔にきざまれる場合が多いが、まれに定間隔ではなく伸縮する場合もある。
例:能の囃子。8拍でひとくさり。
 5拍子や6拍子の拍節単位をもつ音楽も例外的に存在する。それは、6世紀に朝鮮半島や中国からもたらされた雅楽のレパートリーにある。このレパートリーに関しては、おそらくインドの人は興味を持つかも知れない。というのは、5拍子や6拍子のある曲は天竺楽に分類される曲が多いからだ。天竺楽とはインド音楽をさす。古代中国の唐王朝時代は、中東やインドから文化が流入した時代である。したがって、中国の宮廷音楽としてインドの音楽も取り入れられた可能性がある。日本はその一部を日本の宮廷音楽として輸入したため、当時のインドの音楽が形を変えて日本にもたらされ、その結果、5拍子や6拍子のような、中国、日本にはないリズムの曲が存在していると考えられる。もっとも、古代インドの音楽で5拍子や6拍子が一般的だったのかどうかは分からない。
 中国、日本、モンゴルなどの拍節のある音楽はほとんど4拍子あるいは2拍子が多いが、朝鮮半島の音楽に3拍子系が多いのは興味深い。騎馬民族の影響だという研究者もいる。
 もう一つの特徴は、自由リズムである。一定の拍節を伴わずメロディーを奏でる。インド音楽でいえばアーラープである。日本の自由リズムによる音楽は、江戸時代前後に成立した室内古典音楽ばかりでなく、民謡などにも現れる。
 例:尺八、長唄、民謡。
 冒頭で指摘したように、拍節のあるものとないものがあるという意味では、日本の音楽もインドの音楽と類似性がある。
 日本の自由リズムによる音楽で重視されるのは「間」の概念である。間とはスペースの意味。あるまとまりのある音の動きと次の音のまとまりの間の、音のない隙間をわれわれは「間」と呼んでいる。その隙間の微妙な長さが全体の美に関係する。この「間」の美意識は、音楽だけではなく、造園、絵画、演劇、文学にも適応される。
 この感覚は日本独特だとみなされてきたが、インド音楽の、とくにアーラープの表現にも見られるのではないかと私は思う。アーラープにおいて、あるフレーズからあるフレーズに移行する際の隙間は、強く意識されることはないにしろ、ある種の美的感覚が働いているように思われる。
 興味深いことに、拍節のあるものとないものが併存する音楽は、日本やインドだけではなく、ユーラシアの各地域でもみることができる。韓国、モンゴル、イラン、トルコ、ハンガリーなど。モンゴルやトルコでは、オルティン・ドーとボグン・ドー、ウズン・ハワーとクルク・ハワーといったように、長い歌と短い歌と対称的に呼ばれている。
例:

音楽様式

 日本の伝統音楽は基本的に声楽である。この点はインド音楽と類似するが、インド古典音楽が声楽の模倣から独自の表現へと発展したようにはなっていない。したがって、純粋な器楽はまれである。
 声楽は語り物と歌いものに分けられる。
例:浪花節、義太夫節、平曲。
「語り」とは物語を語る意味である。音楽を挿入しながら物語を語る形式は、世界中にあるので普遍的なものであろう。
 歌いものは、意味のあるテキストを旋律に載せるという意味で普遍的な形式の一つなので特に論ずる必要はないだろう。
 声楽とはいえ、インド古典音楽のような、意味のないシラブルとともに楽器のように演奏するという形は日本にはない。また、アーラープ、ジョール、ジャーラー、打楽器が伴奏するガットあるいはバンディッシュという形式もまったくない。
 ところで、冒頭で純粋な器楽はまれだと書いたが、特殊な社会集団のなかで発達した器楽はある。代表的なものの一つは尺八音楽である。
例:
 尺八という竹の楽器は、6世紀ころに日本にもたらされた中国の楽器がオリジンだとされる。雅楽の楽器としては定着せず、中世まで忘れられていた。近世になり、禅仏教の一派である普化宗僧侶にのみ演奏が許される楽器として定着する。尺八演奏は悟道への手段とみなされたとされる。ほとんどは自由リズムで演奏され、音色と間の取り方によって芸術にまで高められた。
 純粋器楽としては、他に、筝、三味線、胡弓などによるアンサンブルもある。これらは、盲人救済組織であった当道座の音楽家たちによって作曲されたり演奏された。
例:
 近年に発生したユニークな器楽は津軽三味線である。この芸能は19世紀半ばに、本州北端にすむ1人の盲人によって生み出され、1960年代になって全国に広がった。民謡を元にした旋律を即興的に紡ぐ独特の音楽は、今や日本を代表する音楽芸能の一つとして国際的にも認知されてきている。
例:

楽器

 現代まで使用されている主要な日本の代表的伝統的楽器としてあげられるのは以下である。
 弦鳴楽器・・・筝、三味線、琵琶、胡弓
 気鳴楽器・・・尺八、能管、龍笛、篠笛、笙、篳篥
 膜鳴楽器・・・太鼓、鞨鼓
 体鳴楽器・・・鉦鼓、梵鐘、鉢、拍子木
 これらは、そのほとんどが外来、特に中国からもたらされた。特に、筝、琵琶、尺八、龍笛、笙、篳篥、太鼓、鞨鼓、鉦鼓は、6世紀から8世紀にかけて中国や緒戦半島からもたらされた雅楽の楽器である。当時のものとは少し異なっているが、雅楽では古い形を残したまま現在も使われている。また後に改変された楽器が、現代まで続く日本の主要な伝統楽器として使われている。
 雅楽の楽器は唐代にもたらされたわけだが、そのほとんどは中国人の発明ではなく、唐の支配した周辺地域のものである。例えば、笙は現在のタイ・ラオスあたりが発祥の地といわれているし、篳篥、琵琶、龍笛は当時「胡」と称された中東地域から中国にもたらされたものである。これらの楽器を見れば、シャハナーイー、サロード、バーンスリーを即座に思い浮かべるに違いない。どこが起源であるにせよ、同一の流れにあることは明らかであろう。
 現在、中国の民族楽器として知られる、二胡、笛子、楊琴なども、実際はそのころに中国に流入して定着したものである。