1950年代から今日までのディスコグラフィーおよび文献情報からみたヒンドゥスターニー音楽のラーガの実態

4.ラーガの数

ラーガの種類は実際にはいったいどれくらいあるのか。
 ラーガを成り立たせる要素は一般に以下のように考えられている(B.C.Deva)。
 1.ある定まった音列をもつ。
 2.最小音数は5、最大は9である。(ただし例外はある)
 3.固有の上がりかた、下がりかたがある。
 4.固有の旋律単位がある。
 5.固有の強調音、開始音、終始音がある。
 6.固有のアクセント、修飾技法がある。
 ラーガになりうる音列の可能性を考えてみよう。1オクターブ12音から特定の音を何個か選び、階段状に配列して創り出されうる音列の種類は、膨大である。インドの音楽学者たちは、音楽的興味ばかりではなく数学的興味からもさまざまな音列の可能性を考えてきた。
 The Raga-s of Northern Indian Music のなかで著者のアラン・ダニエルーAlain Danielouは、17世紀の著述家アホーバラAhobalaが『サンギータパーリジャータSangitaparijata』に、7音で18,687、6音で31,050、5音で17,505の音列組み合わせが可能という記述があることを紹介している。また同書では、クリシュナーナンダ・ヴィアーサKrishnananda Vyasaの著作Raga Kalpa-drumaの次のような逸話も紹介している。「黒色の肌の神クリシュナは、16,108人の乳搾り女のため、その数だけの自分の分身を作った。乳搾り女たちはそれぞれのクリシュナに、違ったラーガ、違ったリズムで歌った。こうして16,108の音階が生まれた」(P92)。
 また、ヒンドゥスターニー音楽理論の再整理を試みたヴィシュヌ・ナーラーヤン・バートカンデーVishnu Narayan Bhatkhande(1860-1936)は、1種類の7音の音列から、ペンタトニック(5音音階)、ヘクサトニック(6音音階)、へプタトニック(7音音階)の組み合わせの可能性は484通りあるとし、この数字を南インドの72メーラカルターMelakartaに適用し、最終的にその組み合わせ可能な種類は34,848できることになると計算している (Lakshya Sangeet)。もっとも、同じ音列でも上行、下行の違いや主要音の位置などによって異なったラーガが作られうるので、ラーガの生成可能の数は単純な数学的計算以上になる。しかし、こうした「計算」は実際の音楽とは直接関係しない。
 では、実際、ラーガはどれくらいあるのだろうか。これまで会った演奏家たちに尋ねてみると、数千、数百、無数、とまちまちの答えが返ってくる。また、インド内外で数多く出版されてきた音楽文献では、音列、時間や感情との関係、歴史、修飾技法などについては詳細に説明されているものが多いが、下記の例のように、実際のラーガの数についてはあいまいな記述がほとんどである。

「スケールの数は天文学的になる。しかし実際は、それらのすべてが感覚的満足を伴わないので、300種類くらいが知られているにすぎない。そのうち一般的なものはせいぜい100種類程度である。おそらく、1人の音楽家がそれなりの自信を持って演奏できるのは50くらい、完全にマスターしているものとなれば25くらいであろう。演奏の場でラーガの複雑微妙さを高水準で制御し、あらゆるガマカを駆使し完璧な調子で歌い、それにリズムの変化をもたせ、それでいて芸術美を表現するのは容易なことではない。したがって、ほとんどの芸術家が完全に把握しきっているラーガは5、6ということだろう」・・・『インド音楽序説』(B.C.Deva)

「音楽家たちは、約75,000のラーガがあるという。しかしこの言葉は文字通りではなく、単に仮定上のものである。・・・実際のラーガの数はずっと少ない。おそらく、これまでの歴史で演奏されたラーガの数は2、3千くらいだろう。事実、どの時代をとっても、実質的には数百種にすぎない。一定レベルの演奏家は、年齢、訓練度合いにもよるが、レパートリーとしては20から50くらいのラーガになる。もちろん、特徴を認識できるラーガ数はこれよりも多いが、公演で演奏するには表現の準備ができていないと感じている」
・・・"The Classical Music of North India" page 267, by George Ruckert, Munshram Manohar Publishers Pvt. Ltd.,1998

「可能なラーガの数は、ほとんど無限に近い。学者たちは、すべての音の配列によって導き出された72の親になるインド音楽の音列から、何百という異なった音階の組み合わせができることを示した。つまり、72の親音列から何千もの音列パターンを創出するのだ。さらに、2つの音階を組み合わせるというような違った方法をとれば、可能なラーガの数はそれこそ無限になる。しかし、実際には、数百種類のラーガが使用されている」
・・・"My Music My Life",page 20, by Ravi Shankar, Vikas Publishing Pvt.Ltd, 1968

「ラーガの数は不明である。一般に知られているのはだいたい40か50で、ほとんどの演奏家の基本的なレパートリーである。約100を超えるラーガはきちんと確立しているが、元になるものの変形や混合したものも数えれば、おそらく500に近い数字であろう。もちろん、大演奏家が、これは独立したものだとする多くの珍しいラーガをさらに加えることができる。本来のものにわずかに加えられた変形や主要ラーガの混合型は、1回限りのものでしかないものもある。また、同じ名前のラーガであっても、地方や流派によって表現が異なる場合もある。基本的にはどのラーガであれそれぞれが独立した表現の基礎であるべきだが、ときとして、あるラーガの小さな変形が二つの異なったラーガへ成長する場合もある。・・・ラーガの種類を数えるのは困難である。というのは、同じ名前で異なったラーガがありえる一方、一つのラーガが何種類かの名前を持っていたりするからだ」
・・・"Hindustani Music in the 20th Century", page5, by Wim Van Der Meer, Allied Publishers Pvt.Ltd.,1980

 このようにラーガの数に関しては、どの文献でも曖昧である。数百とする著者は多いが、その根拠はたいてい示されていない。数が曖昧な理由は冒頭でも触れたが、ラーガが単なる固定した音階ではなく、楽音や節回しのわずかな変化によって別のラーガになりうる要素や解釈の柔軟性をもっているためである。人気がなくなりほとんど演奏されることがなくなったラーガでも消滅するわけではなくその名前はずっと残る。ラーガには厳然としたいわゆるスタンダードがないのである。したがって、この稿で試みで得た結果もある程度の目安という域を出ない。

5.ディスコグラフィーに記載されたラーガの数
 

 表3は、それぞれのディスコグラフィーに記載されたラーガの数を集計したものである。

資料

ラーガ数

DHKM

419

IDisc

460

DHKM+IDisc
(重複除外後)

626

表.3 ディスコグラフィーに記載されたラーガの数
 両ディスコグラフィーの重複記載を除外すると、記載ラーガの総数は626であった(表4:明らかに間違いと思われるものを除外したので実際は612)。ただしこの数字は、伝統的命名からは違和感のあるもの、ミスプリントの可能性のあるもの、同一ラーガの異名と考えられるもの、明らかにカルナータカ音楽(南インド古典音楽)のラーガなど、22種も加えてある。それらには末尾に?マークを付した。
 ラーガ名に関して筆者が不明確と感じられたものはTHE OXFORD ENCYCLOPAEDIA OF THE MUSIC OF INDIA (2010)の主任編集者であるピライ博士Dr. S.D.Pillaiとメールのやり取りをしながら、一つ一つ確定していったが、最後まで確認できないものが残った。
 

6.文献記載分を加えたラーガの総数

 ラーガの実際の総数を知るためには、上記のディスコグラフィー記載のもの以外に、1950年代以降の文献に現れるものも加えた。表5で紹介しているのが文献に記載されたラーガで、総数は671であった。また、ラーガ名末尾に*印のついたものは、音階構造がある程度明確なラーガで、表7にまとめて掲載した。
 文献のラーガ名もまちまちなので、ディスココグラフィーの場合と同様に修正しているが、下記のように、2つ以上の名称をもつラーガ、同名だが地方、流派、演奏家によって明らかに異なる解釈がなされているものも含んでいる。
 ・同一の音階構造で名称が2つあるもの
Audav Todi=Chaya Todi、Desi=Desi Todi、Desi Kanhra=Revti Kanhra、Gaud Bilaval=Bilaval Malhar、Kedar Malhar=Savni Kedar、Miyan Ki Sarang=Tenseni Sarang、Prabhat=Prabhat Bhairav、Pradipaki=Patdipaki、Revati=Revati Kanhra、Samjh=Samjhka Hindol、 Saurashtratank=Saurashtra Bhairav、Saveri=Saveri Bhairav、Shobhavati=Suddh Gunkali、 Tilak Sarang=Mirabai Ka Sarang、Todi=Miyan Ki Todi、Vijayanagari=Vijay、Yaman Kalyan=Jaimini Kalyan、
 ・同一の音階構造で名称が3つあるもの
Binna Sadja=KaushikdhvaniまたはHindoli
 ・同一名称で2つの音階構造をもつもの
Bhavsakh、Candra Kauns、Devgandhar、Devsakh、Dhanasri、Dhuliya Sarang、Durga、Gauri、 Gunji Kanhra、Hamskinkini、Hijaz Bhairav、Huseni Kanhra、Jangula、Jayant Kanhra、 Jhilaf、Kabir Bhairav、Kafi Kanhra、Kaunsi Bhairav、Kaunsi Kanhra、Kaushikshvani、 Lalit Gauri、Mudrik Kanhra、Nat Bilaval、Nayki Kanhra、Pancam、Patmanjari、Raktahams、 Sankara、Sughrai、Suha
 ・同一名称で3つの音階構造をもつもの
Dipak、Mangal Bhairav、Sahana、Suddh Malhar、Vibhas
 文献に現れるラーガの数をディスコグラフィーとの重複分を除いて合計すると、総数は986であった(表6)。同名で複数の音階構造をもつラーガは独立したものとして掲載しているただしこの数字には名称がどうしても確定できない29(表6末尾)も含めた。それらを除外すると957ということになる。そのうち、ある程度音階の構造が確認できるものは、筆者の調査範囲では581であった(表7)。
 986(あるいは957、あるいは581)が多いか少ないのか分からない。しかし、前項で引用した文献には「300種類くらいが知られているにすぎない」(B.C.Deva)、「実質的には数百種にすぎない」(George Ruckert)、「数百種類のラーガが使用されている」、「実際には、数百種類のラーガが使用されている」(Ravi Shankar)、「おそらく500に近い数字であろう」(Wim Van Der Meer)と述べられているので、少なくとも581という数字はほぼ妥当ということだろう。
 参照した文献は以下。

Samgit Sastra by Vasudev Sastri (ヒンディー語)
Kramik Pustak Malika by Visnunarayan Bhatkhande(ヒンディー語) 
The Rags of North Indian Music by N.A.Jairazbhoy
Wisdom of Raga by S.Bandyopadhyaya
Kanada Ke Prakarby Jaysukhalal Tri Shah(ヒンディー語)
Abhinav Gitmanjari by Srikrsna Narayan Ratanjankar(ヒンディー語)
Malhar Ke Prakarby Jaysukhalal Tri Shah(ヒンディー語)
Sarang Ke Prakarby Jaysukhalal Tri Shah(ヒンディー語)
The Ragas of Northern Indian Music by Alain Danielou
Kramik Tan Alap 4 by Dr.V.N.Bhatta(ヒンディー語)
Rag-Bodh 1 by Devdhar(ヒンディー語)
Sruti Vilas by Shankar Vishnu Kashikar(ヒンディー語)
Tan-Malika by Swami Pandit Rajabhaiya Pucchvale(ヒンディー語)
Kanada Ke Prakar by Jaysukhlal Tribhuvandas(ヒンディー語)
Sarang Ke Prakar by Jaysukhlal Tribhuvandas(ヒンディー語)
Malhar Ke Prakar by Jaysukhlal Tribhuvandas(ヒンディー語)
RAGANIDHI by B.Subba Rao
A Comparative Study of Selected Hidustani Raga-s by Patrick Moutal
The Raga-s of Northern Indian Musicby Alain Danielou