4月1日(水)

 伊丹から成田へ

 4時、目覚ましの音で起床。当然ながらまだ暗い。新聞も来ていない。5時半に荷物をもって下へ行き、予約していたMKタクシーに乗り込む。
 集合時間の7時少し前に伊丹空港に到着した。しばらくして佐野がやって来た。昨晩、福岡から飛び、空港近くのホテルに泊まっていたのだ。ほどなく池上、宍戸、河合、橋本、南がやってきた。佐野と池上のスーツケースが大きい。重量超過料金がバカにならないので、重い荷物をできるだけ手荷物に移し替えてもらう。ツアーに慣れてきたメンバーの荷物は以前に比べてぐっとコンパクトだった。
 JALの8番カウンターで国際便のチェックイン。手荷物検査のときワダスの小さなナイフのついた爪切りを没収された。刃渡り2センチほどでもだめらしい。ま、ワダスのような百戦錬磨の凄腕にとっては使い方によって武器になりうるから仕方がない。
 成田行JAL3002便は予定通り8:25に離陸。国際便並みの大型機だった。われわれは当然、後方のエコノミークラスである。目の前のディスプレーは大韓航空のものよりもずっと小さい。機はかなり大きく上下動しつつ9:40にドスンと成田空港に着陸した。
 動く歩道の進行方向とは逆の長い通路を通って61番ゲートへ。免税店でタバコと乾電池、日本酒を購入。日本酒はクレムスのジョーに持っていくつもりだった。予定通り11:25に離陸。

JAL411

 後部座席には少し空き席があった。中央3列席の真ん中、55Eが小生の席。左隣が河合。後ろを見ると最後部左の2列座席に誰も座っていないので移動した。狭いけれど横になれる。
 ほどなく、中央3列席に1人で座っていた男が、3列席のほうに移ってくれないかと頼んできた。2列座席で妻と座りたいという。快諾して再び移動し、3列席を1人で占めることになった。これで完璧に横になって寝ることができる。ところが、70代と思しき白髪の男性が荷物とともにワダスの3列席に移動してきた。断るわけにはいかない。
 定年退職したあとよく海外旅行に出るという白髪小柄の老人は座るなり前置きもなくいった。
「これからパックツアーでスペインへ行くんですよ。アムスでマドリッド行に乗り換えて、明日は小さな村の教会でグレゴリオ聖歌を聞くんです」
 機内食は3回出た。どれもあまりおいしくない。JALだというので期待していたが、ちょっとがっかりだった。
 ワインの小瓶を3本消費しつつ小さなディスプレーで映画を見た。007最新番「慰めの報酬」「Yesマン」「ベンジャミン」、最後に「スラムドッグ&ミリオネア」。「スラムドッグ&ミリオネア」はなかなか面白かった。ところが終わりそうになったところで切られてしまった。着陸態勢に入ったからだった。

スキポール空港到着

 予定通り16:25にアムステルダムのスキポール空港に到着。入国審査も簡単だ。ただし、預け荷物を受け取る場所が2箇所あり混乱した。入国審査を出たところにまず何列かあったが、そのどれにもJALと書いていない。案内に聞くと18番だという。かなり長い通路を行ったところがそうだった。荷物受け場所が2箇所ある空港は初めてだ。
 荷物チェックはワダスはなかったが、南と佐野は詳しく調べられたらしい。

eutourphotos eutourphotos eutourphotos
eutourphotos eutourphotos eutourphotos

空港からユトレヒト市街へ

 送迎運転手との落合場所であるミーティングポイントへみんなで移動。空港内はごみなどが散乱し、けっこう汚い。ここで初めて、10時間以上我慢してきたタバコを吸いに外に出た。橋本、佐野、池上がワダスに続く。外はほとんど快晴。
 ミーティングポイントから現れたのは黒いスーツに白黒縞のネクタイ姿の背の高い老人だった。ヘンケと名乗った。まるで葬儀屋職員のようだった。
 全員で小型バスに乗り込み、ユトレヒトへ出発。ヘンケは「ユトレヒトまでは約1時間だ」という。「浄土まで1時間だ」みたいなおごそかな口調だ。
 どこまでも平らな土地を走る高速道路の両側からは、風力発電のプロペラ、道路工事中のむき出しの土、土手の全くないフラットな川などが見えた。イギリスの高速道路沿いの美しい風景に比べるとちょっとがさつに感じる。

ユトレヒト市街

eutourphotos ユトレヒト市内中心部のアポロ・ホテルには7:30ころ到着した。外はまだ明るい。
 ガラス張りのホテル入り口前の通りはゴミなどが散乱し、ごちゃごちゃしていた。道路を挟んだ向かいは青に塗られた仮設塀に囲まれた広い空き地で、眺めも期待できない。バスが停車した横にゴミ収集車がいたので強烈な臭いがした。
 狭いエレベーターで上った5階が客室。部屋割りは、504が南、佐野、505が池上、橋本、509がHIROS、515が宍戸、河合。ワダスの509はシングルベッド、バストイレの狭い部屋だった。一つある窓からはごく一般的なコンクリートのビルが見えるだけで眺めはよくない。この街は古いはずだが、歴史の重々しさのようなものはあまり感じられない。

とりあえず無事到着の祝杯

 荷物を解いて落ち着いた8時ころ、全員でビールでも飲みにということになった。
 ホテルからトラムの走る広い通りをちょっと歩くと運河沿いの道が直行している。浅い運河には汚い茶色の水面にボートが係留されていた。その道をだらだらと歩いていると前後から自転車に乗った人々が次々に現れる。しかも乗っている人たちは男女とも大柄でがっちりした人が多い。車道の横の専用レーンを歩くと危険を感じるほどだ。路肩にも駐車中の自転車がやたら目についた。平坦でコンパクトな街には自転車が最適なのだろう。
 周辺を眺めながら通りに固まっていると目のどんよりした黒人が近寄ってきてなにやらつぶやき去って行った。
 運河沿いの道に面したレストランに入った。表の看板には1615年創業とある。入り口のすぐ左がキッチンになっていた。テーブル席は満席なので暖炉を囲むソファに案内された。テーブルがないのでスツールを代用する。適当に小皿に入ったおかずを注文し、ビール、ワインでとりあえずオランダ無事到着に祝杯をあげた。小皿のおかずは量は少ないが、なかなかにおいしい。

eutourphotos eutourphotos


 10時すぎにホテルに戻る。宍戸とワダスは南、佐野の部屋を訪ね、12時くらいまで焼酎を飲んだ。部屋に戻りベッドに横になったが、頭の一部がさえて眠れそうになかった。今回のために新たに購入して持ってきたネットブックを立ち上げ、WiFi経由でインターネット接続を試みた。接続は可能だったが、1時間5ユーロと料金がべらぼうなので断念した。寝たり起きたりを繰り返し、もんもんとした第1夜だった。

前ページ 次ページ