4月2日(木)

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 8時前に2階の食堂へ行くとすでに七聲会のメンバーも座っていた。朝食はビュッフェスタイル。久しぶりにベーコン、トマト、スクランブルエッグ、トースト、ソーセージ、サーモン、薄切りハムの全英朝食を食べた。細長い緑の洋ナシがおいしい。窓からは自転車で行き交う人々、トラムが見えた。街はどことなく灰色の雰囲気だ。
 朝食を終えた七聲会のメンバーはこれから街へ散歩に行くといって出て行った。

倉橋義雄氏

 離れた席に尺八奏者の倉橋氏がいたので挨拶した。白髪交じりの長髪、めがねの温厚そうな人だった。彼はすでに昨晩から来ているという。七聲会のメンバーとも縁があるらしく、河合のお寺で演奏したこともあるという。今日からの3公演では彼も同じ舞台で演奏することになっている。彼の弟子のカナダ人ブルーノもすでに来ているが、まだ寝ていた。
 倉橋氏は1949年生まれというからワダスと同学年だ。

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倉橋氏とブルーノ


 倉橋氏の尺八との出会いは古い。氏の祖父が、津軽出身の神如道(しん・にょどう、1891~1966)から尺八を習ったという。神如道とは、大正時代から普化尺八古曲の収集、整理を行った伝説的尺八奏者。氏も子供のとき一度だけ神如道に会ったことがある。神は一度家を出ると半年ほど戻らず、地方を放浪した。古典本曲の源流を求めて朝鮮半島、中国、満州、モンゴルへも出かけた。国士舘大学を出ている教養人でかつ流浪者だったという。その如道から習った祖父、そして父から尺八の古曲を習った。そのため、全国の尺八奏者が倉橋氏に習いに来る。海外公演の経験も多く、英語は流暢だ。最近では海外でのワークショップや演奏が増えているという。

ブルーノ

 部屋に戻り『納棺夫日記』を読みつつ定例行動の後、シャワーを浴びる。
 10時ころ、再び2階のレストランに行くとブルーノがいた。西洋人にしては比較的小柄で白髪の後退した広い額が知的印象を与える。モントリオールに住む彼とは、ここに来る前から何度もメールのやりとりをしていたので初対面とは思えなかった。彼の今回の役割は、倉橋氏や七聲会の公演の前に日本の伝統音楽文化についてスピーチをするというものだ。日本にしばらく住んだことがあり、奥様も日本人女性ということで、日本文化については詳しいと自負していた。
euphotos こんなことをしゃべるつもりだ、とワダスにスピーチ原稿をメールで寄越しチェックを依頼してきたが、聲明についてはほとんど触れられていないので修正や加筆した。それが2ヶ月前のことだった。
 実際に会って話してみると、カナダ系フランス語訛りの早口英語でよくしゃべる男だった。何かひとつのトピックに関連して余分な話を広げていくので最初のトピックがなんだったのかを忘れてしまうほどだ。
RASAの事務所

 倉橋氏、ブルーノらとホテルから歩いて5分ほどのRASAの事務所へ行った。
 事務所は、昨晩のレストラン沿いの道から運河と直交する細い石畳の道沿いにあった。周辺の2、3階建ての無骨なレンガ造の建物に挟まれた近代的な外観の建物だ。大きな「RASA」の文字が浮き出た白いプラスチックの外壁には外国名が小さな文字でちりばめられていた。RASAとはサンスクリット語で「情感」というような意味だが、なぜこのような名が付けられたのかわからない。パンフレットなどにはいわゆるワールド・ミュージック系の公演やワークショップ、レクチャーなどの情報が多い。非西洋のパフォーミング・アーツに特化した施設および組織になっているのだろう。オランダ政府のサポートもあるということだった。
 ガラス扉の玄関を入ると右手に各種のチラシ、パンフレット類の棚。奥へ進むと右手にコーヒーメーカーなどのある簡単なカウンター付キッチン。そのキッチンと事務室の間は吹き抜けで、ちょっとした共用スペースになっている。1階、2階にある事務室はその空間を囲んでいる。また、実際には見ていないが、ここには300人程度を収容する劇場も併設されていて、倉橋氏もここで公演している。

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RASAのビルと事務所
   

ダンカ

 今回の七聲会のアントワープ、アムステルダム、ユトレヒト公演担当者のダンカに会った。もちろん「檀家」とは書かない。30代後半くらいのぽっちゃりした女性だ。ダンカというはスラブ系の名前らしいが、家族がスラブ系というわけではないという。アムステルダムに住んでいる。euphotos
 2階にある彼女の事務所に案内された。数個の机が並ぶ事務所で、それぞれにコンピュータが乗っている。入ってすぐの机にLANケーブルがあったので、それに自分のマシンをつないでメールチェックをした。倉橋氏も事務所のコンピュータでメールチェックをしていた。彼によれば、ホテルのレストランにもコンピュータがあり、使うことができるが、日本語表示ができないといっていた。
 事前に手配を依頼していた笙あぶり用電熱器についてダンカに訊ねると、ニクロム線が巻かれたものは季節外れなので入手できないが、持ち運びのできる家庭用の二口コンロがあるという。黒い円が二つついたけっこうごついやつだ。ないよりはましなのでそれを借りることにした。
 12時半ころホテルに戻った。借りてきた電熱器を河合に見せた。
「ばっちりっす」。

アントワープへ

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 1時、ホテル前にやってきたベンツのミニバスで今日の公演地アントワープへ出発。運転手は背が高く頭頂部が光るつるんとした顔のフランツ。52歳ということだが若く見える。なにか質問すると訛のある英語でものすごくまじめに応える。乗客は、七聲会、ワダス、倉橋氏、ブルーノほか総勢10人だ。
 郊外に出て高速道路に入る。土を掘り返した工事跡が目に付いた。
 ブルーノは何も聞いていないのに答える。
「高速道路の拡張工事だ。車線が足りなくなったんだよ」
 車から見えるのはどこまでも平らな畑と典型的なオランダ風車、発電用風車、工場のような味気のない建物、ドナウ河、運河。
 再びブルーノが解説する。
「今見えるオランダ風車は風じゃあくてモーターで回っているんだ。ね、知ってたかい。オランダ風車の形は、実はパキスタンにルーツがあるんだ」
 高速道路からの眺めはイギリスに比べると殺風景だった。
 ガソリンスタンドでトイレ休憩ししばらく走ったところで、フランツがぼそっといった。
「ベルギーとの国境だっす。調べられるわけではないけど、念のため、いちおうパスポートを用意しておいてけろ」
 どこが国境だったのかわからなないうちにアントワープの市街に入った。
 港湾沿いの道からは大型クレーンなどが見えた。
 フランツは「3時間かかるっす」といっていたが、2時間弱で市中心部の広場に入った。中央に彫刻のある石畳の広場を囲んで古いレンガ造の細い建物が密着して立ち並ぶ。典型的なヨーロッパの街の風景だ。その一角にひときわ高くそびえるのがイギリス人作家ウィーダの『フランダースの犬』に出てくるアントワープ聖母大聖堂である。ネロ少年はこの大聖堂に飾られたレンブラントの絵の前で忠実な愛犬パトラッシュと共に息絶えたのだった。などと小説を思い出しつつ大聖堂の尖塔を見上げた。広場周辺のカフェテラスにはたくさんの人々が日光を浴びながらコーヒーやビールを飲んでいた。
「近くに駐車場がない。ここで待っているので5分ほどしたらもどってきてけろ」
 フランツにいわれたわれわれは手に手にカメラを持って広場の中央まで行き、記念写真を撮った。

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ワールド・カルチャー・センターZuederperhuis

 4時に会場のZuederperhuisに着いた。
「こごはよ、昔、水をくみ上げるポンプがあった場所なのよす」
 とフランツ。
 海辺沿いにカーブした道をちょっと奥に入った2階建ての建物だった。古い煉瓦造りなので全体が焦げ茶色をしている。かつて工場だったためか、用途の異なる建物が必要に応じて追加された複雑な配置になっていた。われわれは公園に面した正面からではなく裏から入った。バスを降りると今日の公演の担当者であるビリティスが迎えてくれた。比較的小柄な、カールした髪をたばねた若い女性だ。euphotos

 彼女の案内でまず2階の控え室へ。鏡のある壁から長テーブル、階段をはさんでソファ、その奥に冷蔵庫と軽食サービスコーナーとかなり長い縦長の控え室だった。
 河合は真っ先に鏡のある机の下のコンセントを探し当て電気コンロを接続して笙をあぶる。笙の演奏家にとってまずしなければならない作業だ。まったく、笙というのは手間のかかる高価な楽器だ。
 ワダスもコンピュータ用の電源を見つけたのでその机を確保した。ところがコンセントはどれも丸いくぼみの深い形状をしている。日本から持ってきた角型マルチアダプターを突っ込めないので断念。
 控え室には腰高の広い窓が4箇所あり、スチームヒーターを乗り越えて窓枠をまたぐと砂利を敷いた屋上に出ることができた。砂利にはすでに吸殻がたくさん落ちていた。これまでミュージシャンたちはやはりここを喫煙所として使ったのだろう。タバコを吸いながら下を見おろすと、各棟をつなぐ石畳の通路のベンチにアフリカ系の男女が座ってタバコを吸っていた。フェスティバル出演者なのかもしれない。

リハーサル

 1階のホールでリハーサル。今回のツアーでワダスが演奏するのは最後のオーストリアのクレムス公演だけなので、今日からの公演のワダスの役割は舞台監督になる。各地のホール担当者と舞台設備や進行について調整する役目だ。
 倉庫跡を利用したようなホールは薄暗く全体にすすけた印象だった。舞台は三方から階段状の客席が囲む形になっていた。客席は200くらいだろうか。
 ビリティスに舞台スタッフを紹介してもらった。音響はジェイムス、照明がドリス、舞台監督がマーク。もう1人若い女の子もいたが臨時のアルバイトのようで、だれも彼女の名前をいわなかった。
 10m×10mくらいの舞台に当たる床面にはモニタースピーカーやスピーチ台が設置されていた。舞台左右の客席の奥が黒いカーテンで仕切られていた。客席数や舞台の大きさによってホール空間を調整するようになっているようだ。
 倉橋氏がそれを見ていった。

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「カーテンがありますね。あれがあると反響しないんですよね。可能だったら
取り外してほしいなあ。こういうスタイルはけっこう多いんですよ、ヨーロッパに」
 マークに頼むと、左手奥はOKだが右壁面のカーテンは簡単には外せないという。左手奥のカーテンを外してもらった。ところがその奥に再びカーテンがある。結局、カーテンはそのままということになった。
 まず倉橋氏のリハーサル。舞台中央に風呂敷を広げる。黄色地に丸を染め抜いたものだ。彼はその上に正座して吹き始めた。残響はほとんどないが最弱音でも十分に聞き取れるのでマイクは使わないことにした。スタッフに告げて用意してあった機器を片付けてもらった。
 ついで七聲会の準備。舞台背後のレンガ柱に掛け軸をかけ、その下に洒水(しゃすい)用のテーブルを置いてもらった。RASA手配の今回の3公演(アントワープ、アムステルダム、ユトレヒト)では、ダンカが一部儀式も披露してほしいと要望してきたので洒水の儀式を行うことにしたのだ。舞台中央付近には雅楽演奏用の円座を配置した。聲明は立って演奏する。
 今日のプログラム進行は以下のようにした。
 1. 客席入り口から宍戸が香炉をもって舞台へ進み、洒水のテーブルに香炉を置いた後、黒のカーテンを開けて退出。
 2. 南が入場し洒水の儀式。
 3. 南の退出を確認し河合、橋本、池上の雅楽組が舞台中央の円座に座り「越天楽」を演奏する。
 4. 3人はいったん退場。再度、全員揃って登場し、散華、甲念仏、回向文で終わる。  
 七聲会の持ち時間は約1時間。

宇田川君とイザベル

 リハーサルを終えた七聲会のメンバーはアントワープの市内観光。南、宍戸、佐野は、市街地まで歩いて20分かかると聞き当初は躊躇したが、フランツに車で送迎してもらうことにしたので揃って出かけていった。
 ひとり楽屋に残ったワダスが日記を書いていると、ビリティスが宇田川君とイザベルを案内してきた。

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イザベルと宇田川君

 宇田川君というのは、ジャグリングのプロを目指す長身の青年で、ワダスからバースリーを習っていた井上想君の、江戸神楽仲間。つい最近、東京で知り合ったベルギー人ガールフレンドのイザベルと結婚し、彼女の故郷であるブリッユセルに移り住んできた。渡航前にアントワープ公演の日程を知らせると「行きます」という返事が来ていた。
 宇田川君は文化庁の助成を得てウガンダで神楽グループの公演をしてきた。条件の整っていないウガンダでの公演の苦労話や、ゴリラ生息地の話などを聞いた。生息地に入ってゴリラを観察するのに1人600ドルもして法外だといっていたが、極端に貧しいウガンダの人々と、そこにわざわざ出かけていく生活に困らない単なる観察者を考えれば複雑だ。
「先生のバーンスリーが聞けると思って友人たちに話したけど、演奏はないということなのでわれわれだけで来ました。あの音色が聞けないのは残念だけど、先生の舞台監督ぶりを見せてもらいますから」という話す宇田川君をイザベルがじっと見つめる。
 ついこの間まで日本にいたイザベルはここで何をやるか特にまだ決めていないという。飾り気のない服装と表情でワダスの目をじっと見ていった。
「なんとか、なるかな、はははは」
 彼女は何年間か東京芸大の留学生だったので日本語を話す。
「ここに来るまで、井上君の家に住んでた。あのね、静岡で廃品回収車の呼び声のパフォーマンスをしたよ。面白かったよ」
 東京に行ったとき彼女の不思議なビデオを見せてもらったことを思い出した。
「本番までその辺まわって時間つぶしてます」
 彼らは戻ってきた七聲会と挨拶した後、楽屋を出て行った。

楽屋で食事

 彼らとおしゃべりをしているうちに七聲会メンバーが市内観光から戻ってきた。橋本は携帯電話をパカっと開いていう。
「今日はようけえ歩いたわあ。14000歩やわ。くったびれたあ」
 彼の携帯電話はなんと万歩計にもなっているということだ。そういう電話があるなんて知らなかった。彼はその携帯電話を使って自分のブログを毎日更新してもいた。
 テーブルに食事が並べられた。紙パックに入った焼きそばと焼き飯だった。中華料理だ。今回のツアーのために持ってきたチューブ入りコチジャンをぶっかけて食べた。倉橋氏もコチジャンには喜んでいた。

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 本番の8時半までは時間がある。会場周辺の散策に出た。ロビーになる広い部屋にアラビア風の革張りの丸いソファや低いテーブルが並んでいた。エキゾチシズムの演出なんだろうか。観客受付近くのコーナーでは若い女性2人が飲み物にいれるライムを切っていた。1人は黒人系だった。会場建物の周囲をぐるっと一回りして正面入り口の右のパブを通った。数人の男女がコーヒーを飲んでいた。ビートルズが流れている。
 壁際に座った無精ひげのさえない中年男が、歩いているワダスに手を上げた。ワダスのことかと自分を指差すと、そうだとうなずく。
「こんなとこで会うとはびっくりだ。いつ来たんだ。君は、京都から来たんだろう」
「えっ、どこかでお会いしましたか」
「京都でだよ、ほら。君はいろんなお寺を案内してくれたじゃないか。その帽子も変わっていないなあ」
 どう考えても思い出せない。
「人違いだと思いますよ」
 話しているうちに気がついたらしく、彼はすまなそうな表情でいった。
「いやあ、すまない。知り合いとよく似ていたので間違ったようだ。今日はここで公演だって? あっ、そう。お坊さんたちと。へええ。頑張ってね」
 会場に戻る途中のテラスガーデンに宇田川君たちがいるのを見つけ、しばらくおしゃべり。
「ブリッュセルの最終電車が早いので途中で退席します」
 会場から駅まで遠いらしい。

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アントワープ公演

ツアー最初の公演

 ツアー最初の公演が始まった。ワダスは進行の補助をするくらいでやることは少ない。客のいない端っこの席にデジカメをもって座った。舞台を囲む聴衆は200人弱。
 プログラムの最初はブルーノのスピーチである。スポットライトを浴びて始めた彼のスピーチは聞き取りにくかった。カナダなまりフランス語を母語とする人の英語スピーチのせいだ。また、内容にもちょっと首を傾げたくなるような部分があった。真言と天台は当初一緒に聲明を行っていたが後になって対立したとか、虚無僧たちがスパイであったなどと何度も強調するなど、そんなに断定していいのか、といったような部分である。そのせいもあってか、30分は長すぎるように感じた。暗い舞台をフラッシュなしで撮影したが、すべてピンボケだった。
 ブルーノのスピーチ終了まぎわにカーテン裏へまわり、静かに待機してた紋付羽織袴姿の倉橋氏に出番を告げた。彼は舞台中央の黄色に円の描かれた敷物に座り曲目を告げて演奏を始めた。小さな音がとても繊細に表現されすばらしい演奏だった。倉橋氏の演奏は約45分。
 倉橋氏の演奏が終わり15分の休憩。ざわつきながらロビーに移動する観客を眺めつつ、テーブルや円座などを抱えてセッティングし終え、入り口のテーブルのCD売り場へ行った。「聲明源流」「天下和順」と倉橋氏のフランスバージョンCDである。客がときおり熱心にCDを見たり質問をするので対応した。
 10時、宍戸がすでに入り口付近に待機していた。ビリティスのQで、香炉を捧げもった宍戸が静かに会場を進む。ざわついた客席がさっと静まった。
 今回の香炉は、透明ガラスの器である。イギリスでも使った陶製の丸い香炉は佐野が忘れてきたので主催者に借りた。
 舞台裏のカーテンの隙間から宍戸が礼拝する様子を見る。いつになく何度も礼拝を繰り返す。終わった宍戸はそのまま奥に進みカーテンの隙間に消える。入れ替わりに南が祭壇に進み出て洒水の儀式。
 洒水では特にお経も聲明も唱えない。架空の水の入った金属器のふたを閉める音。かすかな南の声。それを観客は息を殺して見つめる。
 10分ほどで洒水が終わり南が奥のカーテンに消えた。入れ替わりに、待機していた河合、橋本、池上が楽器を持って入場し着座した。そして「越天楽」の奏楽。笙、篳篥、竜笛だけの最小編成だが、どれも音量が大きい。彼らの雅楽が会場の隅々までを響き渡った。
 3人はいったん退場し、お坊さん全員が再び入場。曲目は、散華、甲念仏(次第取り)、回向文(次第取り)。散華の途中の上がり、甲念仏、回向文のハーモニーが若干乱れたが、相変わらず聲明は美しい。終ったのは11時だった。


 CD販売の手伝いに行く。休憩中に躊躇していた人々が続々とやってきた。売れたのは「聲明源流」と「天下和順」あわせて22枚。1枚20ユーロなので、売り上げは440ユーロだ。初日にしては悪くない。倉橋氏のものも7枚売れていた。
「いつでも出発できる。用意はいいか」
 運転手のフランツが楽屋へわれわれを迎えにきたので全員バスに乗り込んだ。当初は午前2時が到着予定だったが1時前にホテルに着いた。
 倉橋氏、宍戸、河合、ワダスの4人でホテル近くのトルコ系食堂へ。いかにも飲み屋風のちょっと汚い店内、いかにも大酒を飲みそうなヒゲの濃いオッサンが調理場にいたのだが、どういうわけか酒類がない。ピザ2枚を4人で分けて紅茶と一緒に食べた。ビール飲みたかったなあ。
 ツアー最初の公演はこうして無事に終えた。2時ころ就寝。

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