4月3日(金)

ユトレヒト散策

 7時起床。誰もいない2階の食堂で全英朝食を食べた。バーカウンターに自由に使えるコンピュータがあったのでウェブを見ようと試してみたがどうやっても日本語表示ができない。倉橋氏が「僕も何度か試したけどダメでした」といっていたのを思い出した。
 10時近く、メールチェックとダンカから頼まれたパスポート関係書類を手渡すために宍戸、河合と一緒に事務所へ出かけた。昨日も来ているのでホテルから5分もかからない。
「私はここに9時半から10時には必ずいる」はずのダンカはいない。どうも、彼女の時間は当てにならないようだ。たまたま出勤してきた別のスタッフAnnemarie De Wisselにパスポート・コピーを頼んで依頼された書類を手渡した。

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 ついでにメールチェックをしていると、一緒に来ていた宍戸が「散歩してきます」といって出て行った。他のお坊さんたちも街を散策しているはずだが合流したのかもしれない。
 オーストリアの主催者ジョーにメールで聲明の解説を送信したあと、河合と2人で運河沿いをぶらぶら歩いた。都市の外観を俯瞰するには街で一番高いところがよい。ということで大聖堂を目指して歩いた。大聖堂が市街でひときわ高い(112m)のはそれを超えた建物は建ててはいけないという市民の了解があったとあとで知った。オランダで一番高い尖塔らしい。石畳の街路はどこも狭く古さを感じさせる。この町の歴史は2000年に及ぶらしいので確かに古い町なのだ。
 地味な建物に囲まれた大聖堂には簡単にたどり着いた。ゴシック様式の尖塔部分と聖堂本体が分かれていた。壁の説明書きによれば、建造は14世紀、かつて一体だったが台風によって身廊と塔が分離してしまったという。聖堂側の壁面にはかつてつながっていた様子が絵に描かれていた。誰もいない高い天井の聖堂をさっと見回った。薄暗い堂内は見捨てられた大寺院という趣だった。

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 大聖堂から運河沿いの中心部を歩いた。運河は街路より10mほど低いところを流れている。曲がりくねった細い商店街は肩が触れるほどの人出だった。アイスクリームを食べている人が目立つ。
 運河底面の水際には幅3mほどのプロムナードになっていて、カフェやレストランがそれぞれの間口にあった縄張りにテーブルを広げ連なっていた。ビールやコーヒーなどを飲みながら春の強い陽光を楽しむ人でいっぱいだった。われわれも階段を降りてカフェのテーブルについた。対岸にある客のまばらなタイ料理屋やインド料理屋を眺めつつビールを2杯ずつ飲んだ。若いウェイトレスが「はい、これは地ビールよ」と自慢する。2人で10ユーロだからけっこう安い。

中華ランチ

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 中華料理を食べようということになり、1時に全員集合。行き先は、倉橋氏が見つけてきた「パラダイス」。ホテルからすぐのところだ。よく街を歩く倉橋氏は尺八ばかりではなく飲食店探索の名人でもあった。
 通りから見ると地味な外観で小さな店に見えたが、奥行きが深くけっこう大きな店だった。入り口付近には中国系の人々がやかましく食事をとっていた。  
 われわれが頼んだのは、空芯采炒め、春巻き、シューマイなどの飲茶料理。注文してもなかなか出てこない。中年の中国人ウエイターは「うちはみんな手作りだから時間がかかるんだ」という不機嫌そうにいう。出てきた料理の味はなかなかだった。

アムステルダムへ

 今日の公演地であるアムステルダムへ出発したのは3時だった。昨日と同じフランツが時間ぴったりに迎えに来た。

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河合とフランツ


 高速道路を2時間ほど走ればアムステルダムだ。ユトレヒトの市街地と段差のある幅の狭い運河と違い、アムステルダムの運河は幅広く道路との段差もほとんどどない。川岸には係留されたハウスボートが見えた。フランツは「船内は普通の住宅と同じだっす」と真面目な口調で説明した。
 豪華な石造りの市役所やオペラハウス、ホテルなどにさしかかるとフランツが申し述べる。
「この辺はアムステルダムでも特に高級な場所でえす。あそこは高級アパートでえす。あそこのホテルは超高級でむっちゃ高いのよす」
 彼は高級方面が好きらしい。
 5時に会場のTropentheaterに到着した。非常に重厚な大建築だった。
euphotos「市内でも有数の歴史的建造物で、かつてナチスのSSが使っていだなよっす」とフランツ。Tropenとはオランダ語で熱帯の意味で、英語のトロピックと同義語。この建物全体がRoyal Tropical Institute(王立熱帯学研究所)となっていて、劇場のほかに、博物館や植物園なども併設されている。「熱帯」となっているが、非西洋一般をさすとのこと。さすがはかつての植民地帝国の首都であるである。
 裏口ゲートを抜けたわれわれの車を待っていたのは、長身痩躯の大人しそうな青年ジェシーだった。身長は2mくらいあるかもしれない。

 

Tropentheater

 倉橋氏がジェシーに訊ねた。

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ジェシー


「ここで演奏したことがあるのですが、ホールが二つありますよね。今晩はどちらになるのですか」
「大ホールです。皆さん、今すぐご覧になりますか」
 ということでまず案内されたのは大ホールだった。倉橋氏は、以前演奏した小ホールは残響がまったくないのでPAが必要だ、サウンドチェックに時間がかかるかもしれない、と道中いっていた。案内された大ホールで手を叩いてみた倉橋氏は、
「これならいいですね。たぶんマイクなしで」
 と安心したようだった。
 ジェシーが舞台で待機していたスタッフを紹介した。照明、音響が鼻の大きいハンス、その助手のリチャードだ。2人とも黒のTシャツ、黒のジーンズという服装で表情もプロっぽい。
 舞台は前列客席からは見上げるほど高い。400席ほど並んだ真っ赤な客席は最前列からゆるやかな斜面になって整然と並んでいる。中規模な演奏会に適した大きさだ。建物自体は石造りだが、木組みの構造がむき出しになった天井から大きなシャンデリアが二つぶら下がっていて美しい。

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ハンス
リチャード
 
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リハーサル

 舞台には大きな平台が2台、両袖にモニタースピーカーが設置されていた。昨晩のように倉橋が舞台中央に座ってまず音を出した。
「ブルーノ、どんな感じかみてくれ」
 客席最後方に座ったブルーノが親指を立てた。マイクなしでも十分に尺八の微妙なニュアンスは伝わるようだ。倉橋氏はハンスにいった。
「マイクは不要です」
 それを聞いたハンスが「OK」といいつつモニタースピーカーを片付けた。また組み立ててあった平台も解体し舞台袖に片付けた。もっとも、平台は結局、南の行う洒水の儀式用にあったほうがよいということになり再び舞台に組み立てられた。
 倉橋氏に続いて七聲会のリハーサル。円座の配置、掛け軸懸架の支持、入退場の手順など。ジェシーはじめスタッフたちはわれわれの要求する内容を即座に飲み込み、作業は遅滞ない。優秀なスタッフだ。
 笏念仏入道は客席後方ドアから河合の笙を先頭にすることにした。
 昨晩のプログラムでは香炉、洒水、雅楽、聲明が分断されたので統一感がないという反省があった。雅楽を伴った笏念仏入道、洒水、平調調子、散華、甲念仏、回向文(次第取り)という順序で連続するようにした。次の回向文でも続くとくどくなるという理由で甲念仏の次第取り(輪唱形式)は止めることに。円座や散華の華を入れた華籠などは舞台真裏のスタンバイ楽屋に置くことにした。

控え室

 控え室は劇場の真下にあたる1階だった。相当広い七聲会の控え室は縦長で豪華な内装だった。まるで貴族の会議室のようだ。入り口に近い壁には寝そべることができるマットとクッションも置いてある。
「この部屋は大戦中はゲシュタポが使っていた」
 案内してきたジェシーがこういった。
 控え室廊下の突き当たりはちょっとしたロビーのような裏口玄関。われわれが入ってきたところだ。ガラス扉からは芝生の庭が見えた。果物、コーヒー、紅茶、スナック菓子などが長テーブルが用意されていた。気持ちのよい気遣いだ。角の螺旋階段を上ると劇場の舞台口になる。
 控え室前の廊下を裏玄関と反対に進むと幅広い大理石の階段になっていた。それを上りきると正面のエントランスホールへ通じる空間と、2階の劇場入り口へ向かう階段になる。
euphotos 本番までは時間がある。みんなで建物の正面玄関へ行ってみようということになった。広い大理石の階段を上るとものすごく豪華絢爛なエントランスホールに出た。赤の混じった大理石の床、壁、吹き抜けの天井。薄い垂れ布を結界とした中央の矩形空間がとりわけ贅沢だ。このような建物を造営するにはとんでもない富が必要だろう。ロンドンのシティーの重厚な建物群を見たときと同様に、その美しさと同時に植民地からの膨大な搾取を感じた。
 建物の外へ出て中央入り口で記念写真をとった。道路を挟んで運河や橋、大きな丸い屋根のある建物が見えた。ときおり、尺取り虫のような長いトローリー電車が滑るように走り去る。

本番前ディナー

 控え室に戻り日記を書いていると、隣の楽屋から倉橋氏の練習する音が聞こえてきた。なんとなく「木枯らし紋次郎」みたいな時代劇ドラマのシーンが浮かんでくる。
「上州路の秋は深まり、枯れ葉が山道を覆った。1人の娘が無頼の男に手を引かれて歩きながら聞く。『どごさ行くの』。男は押し黙ったまま先を急いだ。しかし、娘の執拗な質問に『悪いようにはせん』とぶっきらぼうに応える」
 ワダスは尺八の音に合わせてナレーションを始めた。笙をあぶっていた河合と宍戸が大笑いだ。南はマットに横になって寝ている。まだ時差ぼけもあって皆なんとなく疲れているのだ。この間、橋本は庭でウサギを追いかけていた。
 6時半に食事が運ばれてきた。食べ物を運んできたジェシーを含め、全員集まってディナー。ご飯、チキン、野菜。なんとなくインドネシア風のぶっかけ飯を思い出す。味はどれもとてもおいしかった。

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 開演まではまだ時間があった。この待機時間がとても長く感じられる。
 タバコを吸いに裏玄関から外に出た。2匹のウサギが大木に向かって走る。ブルーノがそれを見て「リスかと思った。カナダだったらリスだからね」という。ブルーノとしばらくおしゃべり。
 彼はモントリオール在住の、倉橋氏によれば「売れない」作曲家だ。54歳。音楽雑誌などに投稿もしているといっていた。今回は、RASAの企画である「Trance-ZEN」の解説者として招かれた。
 ワダスは、彼のようなスクエアな人間を見るとどうしても崩したくなる。ジョーク攻勢に出てみた。彼はなんとか対抗しようといろいろなジョークをひねり出すものの、衝撃度は欠ける。やっぱりスクエアだ。一つだけ印象に残っているのは「両方ともよくイモを食べるが、オランダ人は縦に伸び、ベルギー人は横に広がった」というもの。下半身系の話と解釈したのか、橋本がそれを聞いて大笑い。
 ブルーノは、師匠の倉橋氏から昨日の解説の冗長さを指摘されたので今夜は短くするよといった。ワダスは彼に、七聲会について紹介する際、散華の華は自由に持ち帰ってよいことを聴衆に伝えてほしいと頼む。
 しばらくしてから再び外でタバコを吸おうと裏口ドアに向かったとき、ドアが自動開閉になっていることに気がついた。つまり、いったん外に出ると閉め出されるということだ。どうしたもんかと思っているところへ、保安要員らしい制服の男女がやってきて、ドアを開けた。女性は「いっしょに来い」と目で合図した。「シガレット?」
 彼らもタバコを吸うために来たのだ。
 タバコを吸いつつ彼らと話した。30代半ばに見える女性は、トルコ系オランダ人だった。彼女によれば、アムステルダムには16万人のトルコ系が住んでいるという。アムステルダムの人口は75万人だから、人口比でいえばかなり高い。彼女はイズミール生まれ。母はイズミールにいるが父はイスタンブールだという。「父は」というときふてくされた感じだったので、離婚しているのかもしれない。スンニー派のムスレムで、金曜日にはモスクへ行くという。一緒にいた男は無口で、彼女のいうことにうなずくばかりだった。

アムステルダム公演

 開演は8時。客席は半分ほど埋まっていた。200人ほどだろうか。
 まずブルーノが、スピーチ用の小テーブルを前にスポットライトを浴びて解説した。昨日よりもずっとコンパクトになった。ただ、虚無僧をスパイだったと強調し過ぎのような気がする。聲明についても触れたが、昨日よりもずっと短い。カナダ系フランスなまりの早口英語はやはり聞きにくい。
「あれじゃあ、お客さんはわからないだろうな」と倉橋氏。
 ワダスは客席から河合と倉橋氏のデジカメで撮影しようと動き回った。フラッシュはできないので、カメラを座席に固定させて撮ったが、どうしてもピンぼけになってしまう。

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 ブルーノが名前を紹介して倉橋氏が登場した。舞台中央にぽつんと置かれた円座に正座で座りスポットライトを浴びている倉橋氏は実にかっこいい。ふさふさとした白い髪がライトを浴びて輝く。彼は英語で曲のタイトルと簡単な説明をした後、尺八を演奏し始める。昨晩よりも音がよく響くので強弱のデナミークがより繊細に聞こえた。
 ワダスは二つのカメラをもって撮影ポイントを探りつつ会場の端っこを移動した。河合のカメラでフラッシュを焚いた。後方から舞台を狙っていたとき、座席にいたジェシーが押し殺した強い口調でワダスにいった。
「ダメダメ。フラッシュはダメ!」
 たしかに彼のいう通りだ。フラッシュ解除のスイッチがわからず変なボタンを押したら電子音。さらに自分のカメラのスイッチをオフにしたら再び電子音。普段は気にならないスイッチ音だが会場が静かなので際立つ。ジーッ。ジーッ。
 ジェシーが舌打ちした。
「し、静かに!」怒りを押し殺した表情だ。
 彼の居場所から素早く立ち去り最後部まで移動し外へ出た。
 後で注意したのがワダスだったとわかりジェシーは謝っていたのだが、音楽を聴くあるいは聴かすことに誠実な青年なのだった。
 倉橋氏の演奏が終わる時間に近づいたのでスタンバイ楽屋に向かった。休憩の間に円座と華籠を舞台に配置しなければならない。演奏を終えた倉橋氏がスタンバイ楽屋へはけると同時に円座と散華の華の入った華籠を舞台に並べる。マークした位置に円座を置き、その前に経本、華籠を置く。華籠には赤、白、緑の長いひもが3点から垂れている。その両端をきちんと揃えて置かなければならない。

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七聲会の2回目公演

 それが終わるとお坊さんたちの準備を確認するために1階の控え室へ。七聲会はすでに衣装をつけて待機していた。ジェシーが現れ彼らを劇場後部入り口へ誘導していく。ワダスは彼らに従って階段を上がり、入り口から素早く客席に入った。そしてカメラを構えて待つ。
 宍戸の香炉を先頭に河合、橋本、池上の楽に続き南、佐野が笏念仏入道。ざわついた客席がさっと静まった。お坊さんたちは舞台中央に設置された階段の裾に雪駄を脱いでつぎつぎと舞台に上がった。念仏の中に1オクターブ低い声がかすかに聞こえた。七聲会の公演ではあまり聞くことのない響きだった。
 お坊さんたちが所定位置についた。ワダスは彼らを追いかけて写真を撮った。まず楽人3名による平調調子。ついで南が掛け軸の阿弥陀像のほぼ真下に備え付けられた平台に向かった。洒水の儀式だ。客席からは背を見せる南の動作はわからない。彼は、金色の小さな器の蓋をいったん取り上げ、打ち付けるように器にかぶせた。大きな音だ。この音がなかなかに効果的だ。ときおり経文を読む声がつぶやきのように聞こえた。
 洒水の後は散華、甲念仏、回向文と聲明が続く。今日の甲念仏は昨日のような次第取りではなく伝統通りだった。後で橋本に聞くと、昨日あまりうまくいかなかったこととカノン風の次第取りが2曲続くのはしつこいと判断したということだった。唱えているあいだの南の表情が苦しそうだった。
「どうにも、声が出なくてねえ。思った音と違う声だったりで、焦った、焦った。いやあ、まいったなあ」
 あとで南はこういっていた。


 約40分ほどで七聲会の舞台が終わった。スタンバイ楽屋にいったんはけ、ひと呼吸置いて再び舞台に現れ聴衆にお辞儀をした。大きな拍手が鳴り響いた。 舞台にある円座と華籠を片付けていると、観客が舞台や周辺に落ちた華を拾いにきた。「これはなんと書いてあるのか」「どういう意味か」などと矢継ぎ早に質問が来た。
 控え室に戻った河合が額に汗を浮かべていった。
「やっぱ、6時半ディナーってきついっすねえ。エネルギーを消化器官にとられるせいか、声が出にくくなりますね。だから昨日もけっこうきつかったんですわあ。明日は食わへんほうががええと思いますよ」
 公演全体は当初の予定よりも30分ほど早く終わった。今日売れたCD16枚分の320ユーロを受け取る。
 バスが来るまで裏口周辺で待つ。フランツは「終演予定時間は11時半ですね。その時間に迎えにきます」といっていた。几帳面なフランツのことだからきっとぴったりの時間に来るにずだ。ジェシーがやって来ていった。
「すばらしい演奏でした。感動しました。ありがとうございました。ところで、ディナーが残っています。このビニール袋に入れましたので持って帰って下さい」
 几帳面フランツは予告通り11時半に迎えにきた。1時間弱でユトレヒトのホテルに戻った。
「昼に買っていたビールがあるんです。ちょっと飲みますか」
 倉橋氏がワダスの部屋へやってきて、しばらくビールを飲みつつ尺八の話をなどを聞いた。
 1時過ぎに就寝。

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