4月6日(月)

 7時起床。2階のレストランへ。河合、宍戸、池上と入れ替わりに朝食。アルプスの峰を眺めながらの朝食は実に気持ちがいい。空は抜けるような青だった。
 朝食後の重要行為。床から便座までが高い。確実にしっかりと両足を床に置くことができない。膝から下がなんとなく宙ぶらりんになるため力が入らない。仕方がない。バーンスリーの円筒ケースの助けを借りた。ガラス間仕切りの狭い空間でシャワーを浴び終わったときにはすでに出発時間になっていた。
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 レセプションに皆が集まったとき、ハンナが「皆さんに」とフェスティバル・スタッフ用に作られた真っ赤なポロシャツを差し出した。大喜びのみんなで記念撮影をした。
 ホテル前には大きなバスが待機していた。ハンナとマリアがわれわれを見送りにきた。最初に見たときは「こんな少女が」と思ったハンナだったが、昨日のコンサートの仕切りやすばらしい司会ぶりを知った後だけにとても頼もしく見えた。ぱっと見は田舎のオバさんという感じの小太りのマリアは、ちょっと話しただけで深い知性がにじみ出る。

クレムスへ移動

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 10時にバスに乗り込んだ。50人は乗れる大きな観光バスにたった8人の乗客である。運転手は中年細身のミカエル。ワダスは運転手の真後ろの席。「クレムスには数時間はかかる」とミカエル。
 両側に急峻なアルプスを見上げつつバスは高速道路を走る。峰々が次第に低くかつ遠くなり、狭かった盆地が次第に広がってきた。
 右手前方に小高い丘の上に立つ城郭とその下に広がる街が見えた。ザルツブルクだ。眺めていると遠い旅の記憶がふと蘇る。
「ザルツブルクばい。モーツァルトばい」
 真ん中付近に座っていた佐野がつぶやく。
 今日は公演はないので途中下車でザルツブルク見物も時間的には可能だった。ただ、いったん観光をしだすと2、3時間は必要だ。到着時間とクレムスからとんぼ返りのミカエルの事情があったので断念。


 途中のサービスエリアでランチ。眼下に湖が見える。まずトイレを探す。客でごった返すレストランを抜けて地下に行く。入るのに50セント必要な有料トイレだった。池上は財布からコインを取り出そうとして中のコインを床にばらまいた。ワダス、橋本、池上がそれを拾い始めると、われわれの後で順番待ちしていた人もそれに加わった。
 湖を見下ろす屋外のテーブルは満席だったので屋内の席に二手に分かれて座った。メニューを見たが何を頼んだらいいのかわからない。できれば地元の料理を食べてみたいがそれがどれだかわからない。写真を見てなんとなく決めた番号を集約し、ウェイターを呼んだ。30代くらいのネクタイを締めた男が来た。英語で「Can we order?」と聞くと「ヤーヤーヤー」と答えたが、それ以上の英語は無理だった。ドイツ語しか通じないのでありったけの単語を総動員しててなんとか注文した。それぞれの注文番号と値段は下記。
 池上スパゲティ226(6.45+ビール)、河合229ラザニア(11.6+ビール)、佐野103ヌードルスープ+224(3.2+9.95+3.2)、宍戸ステーキ307(13.8+水)、南451ピザ(6.95+3.2+9.75)、橋本103ヌードルスープ(3.2+3.2)、HIROS103(3.2)など。
 ワダスのヌードルスープは、ラーメンをイメージしていたために大失望となった。コーヒーカップくらいの入れ物に数本の細い麺がはかなく漂うコンソメスープだった。池上のスパゲティを数本、南のピザをひとかじり、河合のラザニアをひとすくい、てな感じでそれぞれの料理を味見させてもらった。どれも期待したほどおいしくない。サービスエリアの食堂はどこでもこんなものなのだろうか。
 外の見晴し台から湖を見下ろしつつ記念写真。全員がバスに戻ったのは当初予定よりも30分ほど遅くなった。緊急トイレ滞在からようやく戻った宍戸が乗り込んでサービスエリアを後にする。
 車窓から見える平地が次第に大きくなり、アルプスの峰が後ろに遠ざかる。高速道路から一般道路に入ると、しばらくして右手に大きな川が見えてきた。口数の少ないミカエルが「ドナウだ」と告げる。川幅は250m以上はある。川岸と水面の高さがほとんど同じだった。本格的な雪解けの季節で水量が多いのだろう。中央付近の流れは速そうだった。
 バスはドナウ沿いの比較的細い道を進む。左手のなだらかな斜面がせり上がり小高い丘のいただきまで連なる。ときどき斜面にぶどうが植えられていた。ワイン産地に近づいたのだ。対岸の山のいただきに打ち捨てられた城跡なども見えた。

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 前方に教会の尖塔が見えてきた。クレムスの街だ。
 バスは市街地に入ってすぐの広場に停車した。ゆるやかな勾配のある石畳の広場は駐車場にもなっていて10台以上の車がきちんと列を作っていた。
「あそこがホテルだ」とミカエルが指差した。時計を見ると4時05分だった。そして彼は「じゃあ」といって出発地のハールに向かって帰路についた。

クレムスの宿

 大小の荷物の隙間に立つわれわれを出迎える人は見当たらない。
 川と直交する街路は背後の山に向かってゆるい勾配になっていた。その勾配なりに歩いて突き当たりの古びた石造の建物壁面にホテルの名前「Ga¨stehaus Einzinger」の表示があった。建物の裏手には大きな岩がのしかかるように突き出ている。そこから急勾配の山が始まっていた。小さなカフェの隣に大きな古い木の扉があり、その真ん中にある小扉から中に入った。扉をくぐるとまるで洞窟のように暗くなり、向こうに明るい中庭が見えた。

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 われわれは坂なりのごづごつした石畳にスーツケースの車輪を転ばしながら中庭に出て、正面の階段を上った。2階は中庭を見下ろすように回廊が囲んでいた。階段を上りきったところに、がたのきたソファや観葉植物のある狭いスペースがあった。踊り場ロビーといったところだ。
 全員がその踊り場に荷物を降ろし、やれやれ、と唱和した。しばらくすると、中庭を挟んだ対岸の部屋からかなりの年配の老人がふっと現れたが、すぐに誰かを呼びに奥に引っ込んだ。次いで現れたのは40歳くらいのふっくらした女性。近寄るとふわっと腋臭が漂う。老人の娘なのか、嫁なのか。ま、どうでもいいか。
 部屋はシングルとツインで、ワダスが14号室でシングル、宍戸・河合が10号室、南・佐野が9号室、橋本・池上が1号室の部屋割りになった。ところどころ鉢植えのある手すりのついた回廊を進むと、突き当たり左手に部屋へ行くドアがある。突き当たりは屋上へ出る小階段である。屋上には洗濯物や子供用のブランコ、灰皿の乗った大きな木のテーブルと数脚の椅子が見えた。喫煙スペースということだろう。その真下がオーナー一家の居住空間である。
 ワダスの部屋は9、10号室の真上にあたる屋根裏だった。河合・宍戸部屋の廊下スペースには全自動式の洗濯機があった。
 回廊から全体を見渡すと相当に古びた建物に見えた。しかし客室内部は思いのほかモダンだった。ワダスの部屋は屋根裏なので一部の天井が斜めになっている。斜め天井の真下にしっかりした木製の机、その横に背の高いスタンド。ドアを開けて左手にベッド、右手に衣類収納用の箪笥。その奥がバス・トイレになっている。バス・トイレも実に清潔ですっきりしたデザインだ。無料の無線LANが使えることはうれしい驚きだった。今回のツアーでは初めてだ。早速パソコンを開いてメールをチェックした。
 しばらくして踊り場ロビーで、フェスティバルのスタッフのポーラと会った。彼女とは何度かメールのやりとりもしているので初めてとは思えない。日本的基準だと全体に大柄といえるが、顔が小さいので大きい印象はない。
 明日からの行動予定についてポーラと相談した。前もってわかっている予定は、明日の7日がテレビ撮影を兼ねた本番なみのリハーサル、8日がフリー、9日がコンサート、10日にウィーンからアムステルダムへ飛び、帰国、である。ワダスはお坊さんたちに、フリーの8日にウィーン観光というのはどうだろうと提案していた。電車で往復しても面白いかもしれない。お坊さんたちには特別なリクエストがなかったのでなんとなくその案で固まっていた。ポーラにその案を話した。
「それもいいわね。ひょっとしたらこちらから車を用意できるかもしれません。ジョーに聞いてみます」という。しばらくしてポーラの携帯電話が鳴った。ポーラはわれわれの顔を見て「ジョーからよ」と告げる。
「ジョーは40分くらいしてここに来るといってました。それからどうするかは彼に聞きましょうか」

 

丘の上の修道院

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 1時間ほどしてジョーが現れた。お腹のあたりに中年の自然なだぶつきがあるものの、均整のとれた180cmほどの男だった。気安い雰囲気だが、べらべらとしゃべるタイプではない。視線を外しがちな、照れ屋というか含羞というかなかなかに好ましい。54歳。誕生日は4月8日だという。シャカと同じ誕生日ではないかと坊さんたちがいうと、「本当か」と目を輝かせた。
 ジョーは9人乗りのミニバスを持ってきていた。われわれが車に近づくと、ドナウ河対岸からせり上がったなだらかな山の頂きに立つ大きな建物を指差していった。
「あそこに修道院が見えるだろう。あそこへ行こうか。クレムス全体が見渡せるしね」
 その場の思いつきのような口調だったが、実際は最初から計画していたのかもしれない。
 前席にワダス、2列の後部座席にお坊さんたちが座った。車は川沿いの道から橋を渡り対岸へ。緩やかな傾斜のあるぶどう畑の合間に民家がまばらに点在していた。
 ゆるやかに蛇行した道を山頂へ向かって上がるにしたがい、修道院の堂々とした建物の全容が見えてきた。そして山頂の修道院正門についた。鉄扉の向こうに美しい芝生の中庭が見えた。大きな鉄扉の横の案内板に開閉時間が書いてあった。ジョーはちらっとワダスを見て独り言のようにいった。
「普段はここ通れるんだけどなあ。来たのが遅すぎたようだ。下からだと入れるはずだ」
 彼は今上ってきた道を戻り広い駐車場に車を停めた。見上げると山頂の建物群が迫ってくる。
「入れるんですか」
「まあ、たぶん、入れると思うよ」とジョーがぶっきらぼうに答えた。
 全員車から降りて背を伸ばし、下に広がる光景をしばし味わった。ゆっくり蛇行するドナウ河の対岸にクレムスの町が見えた。河に沿った細長い町だ。町が途切れるところからゆるい勾配のぶどう畑が広がっていた。左にかすんで広がる平地はウィーンまで続く。河の手前も同じようにぶどう畑が広がっているが、対岸に比べ、建物は少ない。
 しばらく景色を眺めたわれわれはジョーの後に従って建物に入った。
 修道院とはいえ、まるで城郭のような構造になっていた。入り口からワインセラーのようなレンガ壁に囲まれた空間が広がり、突き当たりに上階へ向かう階段があった。途中には建造当時の薬局を再現したブースもあった。広く重厚な階段を上りきると修道院の主要建物に囲まれた芝生の中庭に出た。建物は数階建ての高さだ。ジョーによれば、当初はこの中庭は建物によって完全に囲まれる予定だったが、予算がつきたために一部欠落して現在のようになったという。
 みんなで教会に入った。それほど大きな教会ではないが古びて重々しい空間だった。建物群の規模からいえばかなりの人間がここで暮らしたはずだ。どうやって水を確保したのだろうか。
 クレムス観光地図によると、標高425mの丘の頂きに建つこの建物群はGo¨ttweigerhofとMinoriten修道院の合体したものらしい。その歴史は13世紀までさかのぼることができると書かれてあった。
 駐車場入り口の右手にかなり大きなレストランがあった。ジョーは当初ここにわれわれに案内するつもりだったようだがもう閉店だという。あたりはすでに夕闇が忍び寄っていた。

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ホイリゲで歓迎宴会

 われわれを乗せたミニバスはクレムスの隣村であるクレムス・シュタインに向かった。ジョーが、この地方独特のホイリゲに招待するという。ホイリゲというのは、自家醸造ワインと地元料理を供する地酒レストランのことである。今にも朽ち果てそうな古い建物が密集する村に着いた。村の入り口にある駐車場から右手にのびる尾根伝いに崩れた城壁が見えた。
 ホイリゲの名前はクロースターシュトューベルKlosterstu¨berl。Klosterはドイツ語で修道院(あるいは便所)という意味だ。店内は地元の人らしい人々でにぎわっていた。ジョーは店内を素通りし、屋外のテーブルにわれわれを案内した。ドナウ河までゆるい傾斜のぶどう畑が続いていた。
 空いたテーブルが離れて二つあった。全員が座れる大きなテーブルが空くまでの間、しばらく分かれてテーブルについた。他のテーブルはすべてふさがっていた。あるテーブルに日本人らしい3人が食事をしつつちらちらとこちらを見た。近づいて話を聞いた。
 建築家の長嶌史明氏とやはり建築家である奥様の丸岡満美氏、ウィーンで観光学を勉強しているという北沢氏だった。横浜に事務所をもつ長嶌夫妻はクレムスのレジデンス・アーティストで、今回お坊さんたちと共演することになっている奥野まもる君は隣の部屋に住んでいるという。後日訪ねることを約束して、セッティングの終わったテーブルについた。
 ジョーと隣り合ったのでようやくじっくり話すことができた。共通の知り合いが多いことに驚いた。サウンド・アーティストの鈴木昭男さん、ロルフ・ユリウス、ハンスペーター・クーンツ、ベルリンのガブリエル、フランスのギタリストのレイモン・ボニ、コントラバス奏者のバール・フィリップスなどなど。
「アキオはジュンコとの離婚騒動で落ち込んでいたとき、ここにレジデンス・アーティストとして数ヶ月滞在していたんだ」
 なんてということも初めて知った。
 料理もワインも最高だった。特に地元産のロゼと白が絶品の味だった。甘くなくきりっとしていて上品な味わいだった。オーストリアにこんなうまい地ワインがあるなんて知らなかった。日本にも輸入されているのだろうか。料理は、名前は忘れたが、いかにも田舎風の煮物料理だった。ハンガリー風料理もあった。しこたま飲んで食べた。初めて訪れた土地なのに、ジョーのおかげて親しみが湧いた。
「だあーいじょうぶ、だあいじょうぶ」という赤ら顔のジョーの運転でホテルに戻った。10時ころベッドに入ったとたん意識を失った。

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