4月4日(土)

 7時ころ起きて外を見ると雨模様だった。備え付けのインスタントコーヒーを2杯飲みそのときを待つが来ない。仕方がない。ホテルの部屋はすべて禁煙ということだが、開けた窓台に座って顔を外に突き出しタバコを吸った。灰色の空に小雨がちらつく。見下ろすと、広場に大きさの違う色とりどりのテントが隙間なく張られ、ブラウン運動のように人々が忙しそうに動いていた。普段は殺風景な窓からの眺めにちょっと華やぎが加わった。真下で組み立て中のテントではさまざまな形のチーズが棚にきちんと並べられていた。どうやら週末マーケットのようだ。あとで行ってみなきゃと思ったとたんワダスの奥底でスイッチがぱちんと入った。

自由行動

 まだ誰もいない2階食堂で朝食をすませ、いったん部屋に戻って練習。
 9時、2階食堂でミーティング。今日はここユトレヒトでの公演なので移動がない。会場である聖ヤコビ教会はここから歩いて3分だ。会場集合時間まではたっぷりと自由時間がある。4時46分13秒にレセプション集合ということで各自自由行動となった。
 ワダスは午前中は部屋で練習したり日記を書くことにしていた。お坊さんたちは市内観光に出たり部屋で休んだりしているようだ。今回のツアーでは、お坊さんたちが海外ツアーに慣れてきたのとワダスが個室にいたせいか、公演時以外に全員で動くことがあまりない。宍戸が訪ねて来たので1時間ほどおしゃべり。
 昼過ぎ、まだ雨は小降りだったがマーケットを散策した。すごい人出だった。大柄な男女の間からひょいと池上の姿が見えた。土産物を探しているという。
 チーズ、お菓子、古着、雑貨、調理道具、化粧品、魚、果物、肉類、ハム・ソーセージ、スナック、フライドポテトなど、間口2、3mの仮設店舗がぎっしりと続く。売り声につられた人々が群れになって動く。大きな人々が多いので背の小さいワダスは埋もれそうだ。チーズ屋やお菓子屋で試供品をつまんだりしながら歩いた。

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ユトレヒト市街

 マーケットを離れて市街地へ出た。ここもすごい人だった。
 途中、ケバブ屋があったので中に入った。奥のテーブルで中年の男女数人が表通りを眺めながら食事をしていた。回転焼き肉のケバブが見えたので入ったのだが、オランダ語でどういうのかわからない。そのとき背の高いひょろっとした青年が目指すものを手にしたので店主に同じものをと注文した。ケバブというのは、トルコやギリシヤの街角でよく見かける簡単料理だ。回転する太い鉄芯に層状に巻き付けられた豚肉を周囲のヒーターであぶったもの。客の注文があると表面からナイフで肉をこそげ落とし、それを野菜、ドレッシングと一緒に薄く平たいパンでくるむ。値段が安く歩きながら食べることができるので軽いランチにはもってこいの食べ物だ。22歳のヨーロッパ放浪のとき、このケバブとピザをずいぶん食べたので懐かしい。euphotos
 ケバブをかじりながら緩やかにカーブを描く細い街路をぶらぶらと歩いた。市街地中心部はどの通りも歩行者専用だ。石畳の狭い通りはまるでお祭りのように人で溢れていた。人口30万くらいの小さな町なのにどこから湧いてくるのだろうか。中年の男女が建物の壁に寄りかかり巨大な逆円錐形の紙の入れ物に入ったフライドポテトを口に入れ、その横を背の高い金髪の若い女性がアイスクリームをなめつつ通り過ぎる。
 ふとどこかからオルガンの音が聞こえてきたので音の方向へ足を向けた。euphotos
 横幅3m、高さが2mほどの自動演奏オルガンの音だった。ピンクの板に蔦飾りの縁取りがしてあり、かなりけばけばしい。パイプの両側に女性の肖像が描かれていた。取り巻く人々の間を黒いジャージの上下を着た初老の男2人が手に持った金属の箱を揺らしてリズムをとっていた。と思ったらおひねりをねだっていたいたようだ。その箱には小銭が入っていたのだ。オルガンの裏に回ってみるとモーターが回っているのが見えた。市街地ではおよそBGMというものがなく、聞こえてくるのは雑沓と人々の話し声だけなのでオルガンの音は新鮮に聞こえる。
 数ブロックを一周してホテルに戻った。向かいの宍戸、河合の部屋では宍戸が昼寝をしていた。寝るのが趣味といっていただけに実によく寝る。無意識を楽しんでいるともいえるか。

聖ヤコビ教会

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 4時46分13秒になったので1階のレセプション前に行った。すでに全員集まっていた。3分後、会場の聖ヤコビ教会に着いた。
 聖ヤコビ教会は、メインストリートの裏手のひっそりとした区域にあった。大きいわりに外部装飾の少ない地味な印象の教会だった。薄暗くひんやりした堂内には、ボールト組の高い天井、ステンドグラス、木製ベンチの会衆席、パイプオルガンなどが見えた。外部同様、内部も派手な装飾はなく質素な雰囲気だ。
 身廊先端の内陣の前に簡単な特設舞台。その前に200ほどのイスが円弧状に並べてあった。
 控え室は内陣奥の細長い部屋だった。外陣と内陣は高さ3mほどの金色の細い装飾支柱の柵で仕切られている。
 公演担当者は2mはあろうかという女性、へスター。整った顔、細身の女性だが、口調や物腰はどことなく男っぽい。30代半ばだろうか。首に赤の細いマフラーをぐるぐる巻きにし、大股で歩く。
「照明はもうじき来るはずだぜ」とヘスター。
 男っぽく頼りがいがありそうだが、スタッフやわれわれへの指示に一貫性がない。

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へスター


 倉橋氏が訊ねた。
「全体の演奏時間は45分と聞いている。それでいいか」
「1時間じゃないの? でもあなたが45分だというのならそれでいい」
「七聲会は儀式、雅楽、聲明という順になっている」
「そう聞いている。それでいきましょう」
「いや、最初にお坊さんたちが雅楽とともに入道してくる。そして全員席に着いたら平調調子。ついで洒水。それから聲明が3曲と続く。それでいいだろう」
「えっ、あっ、当初案からは変わったのね。あなた方がそういうならもちろんかまわない」
「洒水は舞台横の説教台は使えないか」
「えっ、どこのこと」
「ほら、その螺旋階段を上がった説教壇だ」
「うーん。たぶんダメだと思うけど、ちよっと待ってて」と彼女は消えた。
 かなり時間が経ったころ彼女が現れた。
「教会所属の備品や調度には指一本触れることはできないって」
「じゃあ洒水のためのテーブルを用意してほしい。大きさはちょうどあれくらい。あれ使えないのか」と装飾のある小テーブルを指差す。
「だからあ、教会の備品は一切使えないのよ。いいわ、あれに変わるものをどこかから探してくるね」
 という感じで、現場担当者としてなんとなく頼りない感じだ。臨時雇いの現場監督だったのだろうか。 

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リハーサル

 倉橋氏がまず中央に座って音を出した。すばらしい反響だ。もちろんPAは要らない。後方で聴くと反響しすぎるきらいはあったが、石造教会特有の気持ちよい残響だった。リハーサルを終えた倉橋氏は「食事してきますわ」といってブルーノと街へ出て行った。七聲会のお坊さんたちは、昨晩の経験から食事は公演後にすることにした。
 舞台の位置決めなどの準備をしていると、機材をかついだ青年2人が無言で現れ、きびきびとセッティングを始めた。舞台上に立つお坊さんたちを無視して淡々と作業する。
「この人たち、何なの?」とへスターに訊ねた。
「ああ、録音技師よ。RASAの記録用に録音するんだ」という。
 彼らはお坊さんたちにはおかまいなく長いマイクスタンドのブームを舞台の真上に立てる。おいおい、そんなところにマイクをつけたら出演者の頭にぶつけるよ、といいたくなるような位置だ。
「それはちと困るのであるが」
 ワダスがこう申し述べると、黒いTシャツを着た青年がそっけなくいった。
「わかってる。マイクはずっと上になるから」
 公演を録音するということも知らされていなかったので事情を飲み込めないまま彼らのセッティングを見守るしかできない。彼らは何本ものケーブルを舞台のまわりに走らせるので入道の邪魔になる。録音青年および中年は有無をいわせぬ表情で作業を続ける。
 そこへさらに男が1人やってきて、床転がし式の照明器具をゴロンゴロンと舞台に置いた。彼がへスターのいう照明係だった。このような天井の高い大教会では上から照明器具は吊るせない。彼は舞台の四隅に強力電灯を置いた。出演者たちは下からの強烈な明かりで照らされることになった。
 照明のケーブルが録音のそれに加わったので舞台まわりは線だらけだ。
「あのお、ここはお坊さんたちが通るんです。つっかからないようにケーブルを束ねて上からテープでもはってけろ」と照明係にいった。
「OK。問題なし」とすぐに取りかかってくれた。録音技師たちはそんな小事にかかわっている暇はないとばかりに無言で作業。何が彼らを不幸にさせているのだろうか。
 照明器具男がワダスにいう。
「実は別のコンサートがあってそっちに行かなきゃならないんだ。だからすぐにここを出る。あとはタノム」
 公演途中で電灯がころげるとか消灯したらどうするんだろうか。
 ともあれ、録音隊も照明もなんとなく準備が整っていった。そこへ、肩むき出しのドレスにショールを羽織ったダンカが現れた。

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ユトレヒト公演

 へスターがうっそりと控え室に現れていった。
「準備はいい?」
 倉橋氏と冗談をいっていたブルーノの出番だ。ワダスは彼と一緒に控え室から内陣を出た。ブルーノが舞台の前でスピーチを始める。
 聴衆は200人ほどか。パイプイスの客席はほぼ埋まっていた。客席後方の信徒ベンチには2、3人が座っていた。夜の8時だが、外からの弱い陽光がステンドグラスごしに射し込み、大きな教会空間をほのかに照らしていた。
 ブルーノのスピーチは、反響しすぎること、早口なこと、カナダ系フランス語訛の英語であることもあいまって実に聞きにくい。もっとも昨日よりもずっと短縮されたので簡潔になっていた。
 河合と倉橋氏のカメラをもったワダスは、内陣からの出口に近い直交するベンチをすりぬけ、薄暗い客席横の水盤のあたりに立ってブルーノを撮影した。水盤の横には宍戸のビデオカメラがセッティングされている。照明は下からしか当たらないので彼の白いシャツと白髪が空中に浮いているようだ。
 ブルーノのスピーチが終わり、入れ代わりに倉橋氏が登場した。簡単な曲目紹介の後、演奏が始まった。尺八の音が出たとたん、空間の質ががらっと変化した。彼の特質である弱音の表現が細部まで聞き取ることができた。演奏が進むにつれあたりが次第に暗くなった。斜め下から照らされた倉橋氏が浮き上がって見えた。
 ワダスは客席、舞台袖、内陣間仕切りの小柱の隙間などから撮影した。客席後方から延びる身廊の一方の奥は暗くてほとんど見通せない。
 倉橋氏が退場するとブタカンであるワダスの出番だ。休憩時間20分ほどの間に、仮説舞台の足の隙間に押し込んでいた円座を抱えて舞台に配置し、内陣のベンチに並べておいた華、経本、印金などの載った華籠を2、3個まとめて舞台に運ぶ。華籠の紐をすばやくそろえ円座の前に置く。昨日よりもずっとうまくできた。控え室では七聲会のメンバーがすでに衣装をつけて待機していた。河合は窓際に置いたヒーターで笙をあぶっていた。
 ヘスターが控え室にやってきて出番を告げた。お坊さんたちが笙の河合を先頭に動き出した。ワダスは彼らの前を早足に追い抜き、内陣扉を出て入道を撮影するために待機した。佐野の笏が内陣でパチンと鳴り響き、念仏が鳴り響いた。
 入道は、舞台右手の横ベンチと客席の間から客席後方を回り左手の通路を通り舞台の後ろに出る、というコース。お坊さんたちが比較的狭い舞台に1列に並んで着座した。笙、篳篥、龍笛が平調調子を演奏。ついで南が舞台の前に置かれたテーブルに進み出て、洒水の儀式。実際にはない水を桃の木のスティックで掬い何やらつぶやきながらそれを周辺に振りかける。会場は静まり返り、おごそかな時間が流れる。それが終わると散華、甲念仏、回向文の聲明が続いた。甲念仏の句頭を務めた池上の声がよく響いた。彼の声はふだんはとても地味な声質に聞こえるのだが、今夜のようなよく反響する会場では倍音がよく響き、すばらしい。
 約50分ほどで七聲会が終わった。彼らが退場したすぐあとに舞台の円座、華籠類を片付けていると、聴衆の一部が華を拾うために押しかけてきた。舞台上に散らばる華を一人一人手渡す。やはり「これにはなんと書いてあるのだ」といった質問がきた。
 控え室のお坊さんたちはやれやれ感にひたりつつ着替えをしていた。倉橋氏はすでに普段着に着替えて荷物をまとめていた。
 暗い石畳の道を歩いてホテルへ向かった。表通りはまだまだ人出が多かった。特に未成年らしい若い人たちが目立った。

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 いったんホテルに荷物を置き、一昨日行ったトルコ系食堂で夜食。本番前の食事を取らなかったので空腹だった。けしからんことにこの食堂ではアルコール類が出ない。情けないけど紅茶で乾杯した。ちょっと後れて倉橋氏とブルーノも合流した。
 解散して部屋に戻ったのは12時過ぎだった。明日は早めに起きて荷造りをしなければならない。

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