インド音楽の今 RAAGのCDリストをめぐって

インターネットのヴァーチャルショップ、RAAG

 今世間で騒がれているインターネット、すでに相当量の情報が飛び交っているようである。昨年(1996年3月)、ある家電販売店でインターネットのキャンペーンをやっていたので、ためしに「Indian Music」と入れて検索してみると、インド音楽関連の情報も意外に多くあった。サロードの大御所、アリー・アクバル・ハーンのホームページなどといったものもある。
 たまたま、インド音楽CDを専門に扱っているアメリカの業者、RAAGのホームページを見つけたので、その業者のIDを手帳に控えて家に帰りアクセスしてみた。電子メール宛先の人物名からみると、運営しているのは南インド系の人のようである。特にヒンドゥスターニー音楽のCDリストを送って欲しい、という電子メールを送ると、器楽530タイトル、声楽255タイトル、合計785タイトル分の(2枚組などがあるので単純に枚数とはいえない)40ページにわたる膨大なリストが電子メールで届いた。

RAAG - The Indian Music Store
raag @ netcom .com (310) 479 5225
Order Line 1-800-479-RAAG
P.O. Box 252012, Los Angeles, CA 90025-8911

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HINDUSTANI MUSIC - INSTRUMENTAL SELECTIONS
updated on 02/10/96

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Please note that the following material is copyright protected, and may not be reproduced or transferred in any form or by any means without our written consent. Please note that the selections have been organized instrument-wise, artist-wise.

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ARTIST G S SACHDEV - Bansuri
CD # DESCRIPTION PRICE $
RHI-1 G S Sachdev : Bansuri - Raag Maru Vihag, Jog 11.95
RHI-2 G S Sachdev : Raag Alhaiya Bilawal, Bhimpalasi 11.95
RHI-3 Bansuri- Bamboo Flute : G S Sachdev: Raag Bhoop, Desh kalavati, Hindol    13.95 RHI-4 Romantic Ragas : G S Sachev: Raag Desh, Kajri, Madhuvanti 12.95


RAAGからの電子メール掲載例

 ボンベイには、おそらくインドでは最大級の「リズムハウス」というレコード店があり、ボンベイに行くたびにのぞいてみることにしている。輸入版も含めかなりの量のCDが棚にあるが、それでもRAAGから送られてきたCDリストほどの量はなかったので、まずこの量に驚いた。
 リストは、上記のように、出版国名、レーベルの表記、録音・出版年の記入は、一部を除きほとんどないが、タイトル、演奏者、演奏内容、価格がそれぞれ示されているので、購買者には充分な情報であろう。わたしは早速、20枚ほど電子メールで注文して購入した。クレジットカード番号を相手に知らせるというリスクはあるものの、送金の簡便さ、日本に比べて格段の値段の安さ、電子メールでの注文から2週間ほどで商品が届くこと、選択肢の多さを考えると、日本ではただでさえ入手の難しいこの種のCD購入希望者には非常にありがたい店である。物理的なスペースをとらないヴァーチャル・ショプならではの膨大なリストは、インド音楽市場を知る上で貴重な情報といえる。
 ところで、ほぼ1年後の状況を知りたいこともあり、先日、新しいリストを送ってもらった。この原稿の資料として使いたい、といったら快く承諾してくれた。1年前に比べ、トータルで126タイトル増え、911タイトルになっていた。内訳は、器楽626、声楽285である。タイトル数が増えたのは、この1年で新たに発売されたものも当然あるだろうが、RAAGの取り扱い範囲が広がったからということも考えられるので、いちがいにコメントするのは難しい。ただ、別表の昨年のランキングと比べてみるとある程度変動があり、人気度の変遷が見えてくるようで興味深い。また、今回は、カルナータカ音楽のCDリストも送ってもらった。器楽248、声楽214、トータルで462タイトルあった。
 現在、RAAGは日本を含め世界24カ国で販売しているという。RAAGのような世界的なビジネスが成立しうる背景には、アメリカでのインターネットの普及もあるが、インド音楽が単なる一地域の民族音楽としてではなく、普遍的な音楽表現の一つとして世界的に認知され始めていることがあげられよう。このような、インターネットを介した大規模専門店RAAGのような業者が出てきた背景を中心に、最近のインド音楽、とくにヒンドゥスターニー音楽をとりまく状況を考えてみたい。

ボンベイでの会議

 最近では、人気のある演奏家ばかりではなく、さまざまなレベルの演奏家が、インドから海外公演に出かけるようになっている。それだけ需要があるということである。かつては主に在外インド人たちがそうした需要を支えていたのかも知れない。最近ではかなり事情が変わってきたように思える。欧米の現代音楽の作曲家たちや、いわゆるフュージョン系の音楽家たちのなかに、インド音楽のもつ豊かな表現力や即興性に影響を受けるものが出ている。また、インド音楽そのものを体系的に勉強しようとする人たちも増え、根付いてきている。こうしたインド音楽の国際的広がりが、インド人演奏家の海外コンサートやレコードの需要の背景であろう。
 こうした傾向を実感させる会議があった。昨年11月29日から12月1日までの3日間、ボンベイのNCPA(National Center for Performing Arts)で開かれた「Indian Music and the West」というセミナーである。主催は、サンギート・リサーチ・アカデミーである。1日目が「Across Time and Space」・・・西洋とインド音楽のこれまでの歴史的な関わり、2日目が「Educational and Performing Models」・・・ヒンドゥスターニー音楽の効果的教授法や世界各地の教育例、3日目が「Indian Music in New Perspective」・・・普遍的音楽としてのインド音楽の今後のあり方、といったテーマでさまざまな議論が活発に行われた。世界から50名ほどの演奏家、音楽学者たちが集まった。日本からは、わたしとタブラー奏者のクラット・ヒロコさんが出席した。
 このセミナーに参加したほとんどの人たちは、研究の一貫としてではなく、自身の表現法としてインド音楽を学習し始めた、いわば第一世代である。この第一世代の活動が、それぞれの国で成熟しつつある状況をこのセミナーで感じた。例えば、欧米の一部の音楽教育機関では、インド音楽が正課として取り上げられ、教授法の研究なども進められている。今回のセミナーの協賛団体であるロッテルダム音楽院(オランダ)では、インド音楽の講座があり、その主任はわたしの先生のハリプラサード・チョウラスィア氏、講師の一人はシタールのブッダーディティヤ・ムケルジー氏である。同じような状況は、質や規模の違いはあるが、欧米ばかりではなく南アフリカ、モーリシャス、オーストラリア、ニュージーランドなどから参加した人たちの報告からもうかがえた。会議では、テーマからも分かるように、実際の演奏技術や理論の教授法、師弟伝統(グル・シシュヤ・パランパラー、会議ではGSPという略語が使われ参加者の笑いを誘った)との関連などの具体的な話題が、インド人の演奏家、音楽学者を交えて議論された。ヒンドゥスターニー音楽はこれだけ多くの国々で実践、教育されているのだから、地域を冠した呼称よりも例えばラーグ・ミュージックというような一般的なものにすべきだ、という意見もあった。なかには、白人のグルにインド人の弟子という事態になった場合どう考えるのか、といったあまり生産的ではないとはいえ切実な論争もあった。
 セミナーと同時進行的に行われた演奏会では、ガイジンの手習いのレベルをはるかに越える演奏を披露するものもいて、高い評価を得た。現実に非インド人演奏家のなかにも成熟したインド音楽演奏家として認知され、彼らがインド国内で演奏会を行ったり、彼らのレコードがインドで販売される、という状況が生まれているのである。

インド音楽市場の大衆化とアーティスト寡占化

 RAAGのCDリスト911タイトルというのは、数年前までは想像もつかいない量である。もちろん、当時でもすでにかなりの量が出ていて、ただこのリストのように情報が集約されていなかった、ということはあるかも知れない。しかし、例えばハリプラサード・チョウラスィア氏をはじめ知人のアーティストたちが、毎年精力的に録音を重ねCDを制作している例を身近にみていると、レコード生産は年々増加していることは間違いない。供給が増えているということは、それに見合う需要も増え商品市場として成立しているということである。
 レコードの量と種類がそれほど多くない頃は、インドではレコードなどのメディアに登場できる音楽家も、メディア自体や購買層も非常に限られていた。また、CDというメディアが出始めの頃は、インド国内で制作されたものはほとんどなかった。今では、インド国内でも生産が始められている。そのためか、レコーディングに参加する音楽家の数も、いわゆるメジャーから個人レベルのインディーズにいたるまで、レーベル数も増えてきている。インドではCDの普及にはまだ時間がかかり、しばらくはカセットテープと並立した状態は続くことだろう。しかし、少なくとも供給側である音楽家たちのCD制作はますます一般的になってきている。RAAGリストにあるCDの録音に参加し名前がリストに出ている音楽家の数は、約450人である。この数は、レコード制作の一般化を示しているといえるのではないか。
 一方、わたしはほぼ毎年インドへ行きコンサートを見聞きしているが、インドの主要なコンサートの出演者の顔ぶれが最近は一定の演奏家たちに固定されてきているような印象をもっている。ボンベイ、ニューデリー、カルカッタといった大都市での大規模なコンサートでは、どこに行っても同じような顔ぶれであることが多い。こうした傾向は、無名の才能を舞台から閉め出していることを同時に意味する。もっとも、ボンベイで1981年から始められた「Young Artiste's Festival」のように、若手ヒンドゥスターニー音楽演奏家の登竜門として定着し、そこから中堅音楽家が育ってきている例もあるが、現在のコマーシャリズムはかつてのような悠然とした音楽家の育成を許してはくれない。閉鎖的とはいえ、才能をゆっくりと育てることが可能であった、師弟制度による音楽教育の伝統も変化せざるを得ない状況になってきているのだ。
 RAAGから送付されてきた最新リストを元に、主奏ないし共演者として参加しているCD枚数の多い演奏家ベスト10を、別表の「CD参加演奏家一覧」から以下のように書き出してみたが、大スターによる市場寡占化傾向をはっきりと示している。

 

順位

 演奏家

楽器

CDタイトル数

1

ハリプラサード・チョウラスィア

バーンスリー

87

2

ザキール・フセイン

タブラー

80

3

シヴクマール・シャルマー

サントゥール

60

4

アムジャード・アリー・ハーン

サロード

55

5

ラヴィ・シャンカル

シタール

52

6

ビスミッラー・ハーン

シャハナーイー

48

7

ジャスラージ

ヴォーカル

39

8

ビームセーン・ジョーシー

ヴォーカル

38

9

ニキル・ベナルジー(故人)

シタール

34

10

スルターン・ハーン

サーランギー

32

合計

525

 表にあがった10人の演奏家が主奏ないし共演しているものだけで、525タイトルある。実に全体の6割弱を占めている。さらにベスト20までいれると724タイトル、ほぼ8割である。また、ベスト10に登場する演奏家たちの年齢は、46歳のザキール・フセイン、故人であるニキル・ベナルジーを除けば、全員50代以上のいわば大御所たちだ。これら人気のある大御所たちの顔ぶれは、わたしの印象では、ここ10年ほどそれほど変化していない。これらの演奏家は、大都市の大きなコンサートに登場する顔ぶれとほぼ一致する。かれらが現在のヒンドゥスターニー音楽界をひっぱっているといえる。
 上記ランキング上位の人気アーティストの顔ぶれが演奏会などで固定化する理由は、いろいろ考えられる。まず、音楽家として最も成熟した年代だということ。また、当然制作サイドからすれば、既に人気のある彼らは集客や売り上げが「計算」できるので、どうしても主役級に押し上げられる。さらに、音楽的訓練の世代的相違もあるかも知れない。声楽のラシッド・ハーンのように子どもの頃からグルの家に預けられ徹底した訓練を受けた若手もいるが、彼ら大御所以降の若手および中堅の音楽家たちは、かつての師弟伝承のように密度の濃い訓練環境を得にくい中で育ってきた。彼らにとっては、現在君臨する大御所たちを脅かすには、相当の努力と才能がなければかなり難しいことであろう。とはいえ、若手も次第に登場していることは、別表からうかがうことはできるが。

インド音楽はどこへ行く

 このような大スターを生み出すコマーシャリズムの波と大衆化の結果、すでに音楽の内容や聴衆の鑑賞態度には明らかな変化が見られる。たとえば、神への祈りに近い完全即興部分のアーラープが短くなった反面、超絶技巧を競い合うような演奏が増えた。ある程度守られていたラーガの演奏時間帯や季節が、メディアの多様化であまり意味をなさなくなった。かつては1曲2時間くらいがふつうであった長時間演奏がどんどん短くなり、徹夜のコンサートも今では珍しくなっている。独自性を競い合った流派の特徴も薄れている。タブラーのザキール・フセインは、彼のソロがコンサートの目玉になったりしている。伴奏楽器であるタブラーがメインになるというのは、ちょっと前まではまったく考えられないことだった。

 かつては一部の特権階級のものであった音楽が、広く大衆に浸透し、そこから新しい才能が育ってくれば、伝統は変質しつつも生きながらえることであろう。ほぼあらゆる音楽が商品化され、「伝統」が保存すべき対象となってしまった日本の状況と比較しても、インドの伝統音楽がどのように変わっていくのかは大いに関心のあるところである。ただ願うことは、世界の音楽シーンで一定の認知を獲得し、他の音楽ジャンルにも影響を与えて続けているこのインドの偉大な伝統芸術が、手っ取り早い「客受け」曲芸の音楽になってしまったり、西洋ポップスとの「変な」融合によって、元来もっていた深い精神性まで失ってしまうようにはならないでいてほしいということである。

「インド音楽研究」第6号掲載