10月8日(水)
関西空港 |
七聲会のメンバーはすでに大韓航空カウンターの近くに固まっていた。福岡県八女からの佐野と松坂からの和田は前日に関空に入り、空港島内のホテルに泊まっていた。名古屋からの橋本は前夜は京都に泊まり、京都在住の河合、宍戸とともにMKタクシーでやってきた。どのメンバーもでかいスーツケースをもってきていた。重量オーバーになったら困るので、重いものはできるだけ手荷物に移し替えてもらう。衣帯、経本、華籠、華、木魚など、舞台で使う荷物もあるとはいえ、みんなのスーツケースはほとんどが制限重量の20キロを超えていた。ワダスのは10キロちょっとだった。
「なんで中川さんの荷物はそんなに軽いんすか。なんか秘訣があるんすかね」と河合。
予定通りまず関空から仁川空港へ向かった。満員の乗客ほとんどが日本人だった。大韓航空の客室乗務員の制服はベージュのパンツスーツ。とても地味に見える。
2時間弱で仁川空港に到着。トランジットの待合スペースで、佐野が皆に見せるとはなしにiPhoneを取り出した。
「これこれ、地図もばっちり入ってるばい。このアイコンを触ると、ほれ、こげなこともできると」
佐野は新しいオモチャを自慢したい少年と化している。宍戸がそれを触って「へえー」と感心し、手にとったワダスも「なるほど」といいつつ羨ましさを押し隠す。
仁川空港からロンドンへはほぼ12時間のフライトである。全座席の背についた小さなディスプレイでオンデマンドの映画も見れるので以前より退屈しない。長時間の飛行中、うつらうつらしつつ映画を見た。「超人ハルク」「カンフー・パンダ」、短編ドキュメンタリー「アインシュタイン」「世界一背の高い人々」など。隣の河合が「カンフー・パンダ」を見てけらけら笑っている。機内食は例によってビビンバだった。チューブ入りコチジャンを余分にもらった。油と塩が中心のイギリスの食事にはこれが大活躍することは前回のツアーで学習している。
現地時間17時30分にヒースローに到着した。広々とした空間だが天井が低くちょっと薄暗い通関のたたずまいは変わっていない。カウンターが増やされていたためか、柵に沿って蛇行する人々の流れはスムーズだった。4年前はここでかなり待たされた。マークから事前に送ってくる予定だった労働許可証が間に合わず、入国手続き中にファックスが届いて間一髪で入国できたのだった。今回は2週間前に届いていたので問題はなかった。
ワダスよりも先に入国手続きをしていたお坊さんたちは労働許可証を提示したため係官から何やら聞かれていたが何事もなく通過したようだ。
「ビジネスか」
眼鏡をかけた痩身の中年係官がワダスのパスポートと労働許可証を見ながら訊ねた
「そうです」
「どういう?」
「われわれは仏教僧のグループです。あそこにいる人たちも一緒です。今回は各地で声明を公演するために来たんです」
「ショーミョー?」
「メロディーのあるお経のことです。音楽です。もちろん音楽の定義にもよりますが」
「あはは、そうだね。どれが音楽か音楽でないかは定義によるよね。私の仕事だって、これを仕事というかどうかも定義によるよな」
「ここでそんな話になるとは思わなかった」
「はははは。今はこんな入国審査の仕事をしているけど、実は私は昔、高校教師をやっててね。哲学とかも好きなんだ。もっとも哲学の定義にもよるけどね」
こういいつつ係官はワダスにウインクしてみせた。
隣のインド系の女性係官がこの会話を聞いて笑っていた。
「なるほど。で、問題ないですよね」
「OK。通っていいよ」
日本の入国審査ではこんな会話はおよそ考えられない。
最後の和田が、いつまで滞在するのか、どこへ行くのかなどと聞かれてうまく応えられずにいた。応援に戻って彼の代わりに応答するとすぐに解放された。 膨大な荷物をキャリー2台に積んで出口へ向かう。八の字に広がった柵に沿って出迎えの人々が群がっていた。大韓航空で来たせいか待ち人にはアジア系が多い。団体や個人のネームカードをもつ人々が次々と現れる入国者を目で探していた。
とりあえず出口周辺に集合したとき、柳沢晶子さんの姿が見えた。ロンドンに在住し、特にパフォーミング・アーツを中心とした日本文化の紹介などを仕事にしている女性だ。年末に神戸の我が家に一泊していったので顔を見てすぐに分かった。ワダスを確認するとわずかに笑顔になり「おつかれさま」といった。大歓迎という感じではなく、あら、着いたのね、というクールな表情だった。
ヒースロー空港 | 柳沢さんと |
彼女がわれわれを出迎えてくれたのは、ワダスが頼んだからだ。頼んだ理由は、今回のツアーのために彼女が獲得してくれたイギリス笹川財団からの助成金の一部を手渡してもらうことが一つ。もう一つは、来年4月のオランダ・ベルギー・オーストリア公演では彼女と一緒に仕事をすることになっていたので、空港に迎えにきてくれればお坊さんたちと顔合わせするにはいい機会と思ったからだ。今回のツアーの2、3公演にも顔を出したいといっていたのでわざわざ空港まで出迎えてもらう必要はなかったとはいえ、外国の空港で誰かに出迎えてもらうのは常に嬉しいものである。
「さっそくなんですけど」といいつつ彼女は助成金の一部である現金500ポンドの入った封筒を手渡した。
「銀行の制約があって一度に現金化できなかったんです。それに多額の現金をもち歩くのは危険だし。ノリッチとカンタベリー公演にも行きますので残りはそこでお渡しします。とりあえずここにサインして下さい」
七聲会のメンバーを彼女に1人1人紹介した。彼女はやはりクールに応対した。
タクシー乗り場で彼女と別れたわれわれは、2台のタクシーに分乗してレンタカー会社に向かった。天井が高くまるっこい車体の典型的なイギリス式タクシーは、後部座席が対面式になっていて大きなスーツケースも難なく収まった。
先発のタクシーを見送った後、次にやってきたタクシーの運転手に、
「SixTレンタカーまで。場所は分かりますよね」
と住所をいいつつ告げた。お腹がちょっと突き出た中年の運転手は、
「ハーツだったら知ってるけどね。住所が分かっているから大丈夫だろう」
地図で見るとターミナルからはほんのわずかの距離にあるはずなのに、タクシーは夕暮れが近づく空港の周辺を意味なく周回しているように見えて、なかなか着かない。20分ほど走ってようやくレンタカー会社に着いた。タクシー料金は16ポンドだった。日本円で3,200円。高い。先発組はレンタカー会社のゲート近くに固まってわれわれを待っていた。彼らのタクシー代は14ポンドだった。タクシー代で合計30ポンド=6,000円使ったことになる。イギリスの物価高を最初に体感した。
ゲート付近にかためた荷物の見張り番を宍戸に頼み、事務所に入った。
カウンターで出迎えたのはイケメン黒髪フサフサ青年だった。名札には「Pavel Kubik」とあった。なんとなく東欧風の響きのある名前だ。マークからPDFで受け取った契約書を見せつつ、彼にこういった。
「ジョナサン・リングウッドという名前でミニバスを予約しています」
契約書をじっと見た彼がいった。
「OK。じゃあ、免許証見せてください。あっ、日本のものもお願いします」
免許証を検分していた彼が、事務所のスツールに座って見守っていた七聲会のメンバーを渋い表情でちらっと見ながらワダスにいった。
「どなたか、英国かEUの免許証はもっていないですか」
「なんで?」
「実は、法律上、この国際免許ではミニバスはお貸しできないんですよ。このことは我が社のウェブサイトにちゃんと明記してあるんです。予約されたリングウッド氏がいれば問題なくお貸しできますが」
「えっ、そんなことはないはずだ。リングウッドは何の問題もなくわれわれが借りることができるといっていた。何かのマチガイではないのか。われわれは公演のためにイギリスに来たのだ。そのためにはミニバスが必要なのだ。で、あなたはわれわれにはミニバスは貸せないと。じゃあ、どうしたらいいんだ。解決策はあるだろうか」
このやり取りを聞いていた河合が隣でつぶやく。
「やばいっすねえ。マークのチョンボやないか。あいつー」
青年があれこれと考えた末、こういった。
「どうでしょう。7人乗りのSHARANなら国際免許でお貸しできますが。ただ、皆さんの荷物が全部収まればなんですけど」
VWのSHARANは、エスティマのようなミニバンタイプだ。
スルドツカレ目の橋本が即座につぶやく。
「無理、ムーリ。いくらなんでも、ムーリ」
「荷物はどこにありますか。今、SHARANをもってきますので試して下さい」
われわれは回されてきたSHARANにスーツケース類を詰め込んでみた。どう見てもすべての荷物を収納してかつ全員が座席に座れるのは不可能だった。どうしよう。1台のミニバスを借りる前提に予算は組んである。これが2台ということになると移動経費は2倍になってしまうし、運転手も常時2人必要だ。しかし、2台借りるという以外の選択肢はないようだ。全員が長時間飛行で脳も体もくたびれていてだんだん考えるのが面倒になってきた。佐野、橋本、和田、河合も「しゃあないかあ」と合意した。結局、2台借りることに決心してその旨を伝えた。
「分かりました。じゃあもう1台はPoloでもいいですか。皆さんのご予算から考えて極力少ない費用ということになるとPoloが最もよろしいかと」
Poloではいかにも小さいが、荷物と人が収容できればよい。ワダスは即座に承諾した。こうして2台のレンタカーで移動するということになったが、予算的には思ったよりも少ない超過ですんだ。Poloのレンタル料を11日間で約3万円と格安にしてくれたためである。
「カーナビも借りたい。90ポンドほどかかると聞いたんだが」
「大丈夫ですよ。ええと」
と契約書や社内規定らしいものを見た青年が再びこういった。
「タダでいいです。車をお返ししてもらうとき一緒に返してもらえば。はい、これです。むっちゃ簡単ですよ」
「えっ、本当ですか。ほんまにタダでええのん」
「ホンマどす。お金、いらへんのどす」
渡されたカーナビはアメリカGarmin製だが、裏にMade In Taiwanとあった。8センチ×10センチほどの小さなディスプレーとシガレットライター接続の電源コードがついている。
むっちゃ簡単だといわれても初めて使う機械である。使いこなせるか自信はない。
「とりあえず、今夜泊まる予定のTravelodge Heathrow Terminal 5の位置を入力してけろ」
「おやすい御用です。ええと、ここをこうして。アドレス見せて下さい。あっ、はい分かりました。ここがこうして、と。これをちょんちょんとして、と。はい。入力できました。これでばっちりですよ」
借りる車の不良箇所の有無の点検確認した後、われわれは2台の車に分乗してひとまずホテルに向かった。カーナビは河合とワダスの乗ったPoloにつけたので橋本の運転するSHARANが後についた。レンタカー屋を出たところでカーナビのやさしいイギリス女性の声に導かれるまま狭い隘路に入ってしまった。早く曲がり過ぎてしまったらしい。あわてて修正してなんとかホテルにたどり着くことができた。ヒースロー到着からすでに2時間以上経っていた。
Travelodge Heathrow Terminal 5
ホテルは空港に近いTravelodge Heathrow Terminal 5だった。青と紺色の外観も部屋も同じスタイルのチェーン・ホテルで、イギリス中にある。比較的広めの客室にダブルベッドとソファがあり、そのソファもベッドになる。
日本から予約した情報がちゃんと伝わっているか不安だったが、チェックインは簡単だった。チェックイン・カウンターの列に並んでいる人々は服装も髪の色も肌の色もばらばらだ。チェックイン・カウンター右手の広い空間はレストランになっていた。ほとんどのテーブルは満席でごった返していた。
われわれは、河合と和田、佐野と橋本、宍戸とワダスという組み合わせでそれぞれ部屋に荷物を運び込んだ。体も荷物も大きい宍戸がソファ、ワダスはダブルベッドをもらい荷物を解いた。レンタカー騒動からようやく解放され、やれやれ感に浸ることができた。
インターネットがつながるということだったのでiBookを広げて試してみると1時間5ポンドとあった。ウェブ予約をしたときに自由にインターネット接続しますなどとあったので、毎日メールのチェックができると期待していたのだが、1時間1000円というのはいかにも高いのでとりあえずあきらめた。
全員、1階の食堂に集合し、カベルネ・ソーヴィニヨンのワイン(£12.75)とチリ・コンカルネ(£6.95)の食事。トマトソースで煮た豆料理であるチリ・コンカルネは量は多いが味に深みがなく、これで1400円というのはいかにも高い。日本だったら400円くらいだろう。宍戸とおしゃべりをして現地時間12時ころ就寝。日本時間では9日の朝の8時である。