10月16日(木)

 6時起床。外は曇り空だった。7時に2階の食堂でコンチネンタル朝食。満英朝食に慣れてくると物足りない。しばらくしておりてきた橋本と一緒に食べつつ、若い人の教育について話した。

「橋本さんは若い宍戸さんや河合さんにはけっこうきつい指導のように見えるけど、そんなことはない?」

「うーん、そうですかね。彼らは坊さんの基本みたいなとこが分かってないようなのでどうしてもきついように見えるかもね。もう彼らも新しい坊さんを指導する立場になってきているんですよ。衣装の下は長襦袢を着ろと指導している本人がTシャツを着ていたらまずいわけで。難しいとこなんですよ」

「まあね。ただ、きつくいって効果的な場合とそうでない場合もあるんじゃないですかね。橋本さんはそうやって指導されてきたのかも知れないけど、若い人たちの感覚は違ってきていますよね。彼らのいい点をまず褒めるとか。河合さんも素直だし、宍戸さんなんかも聲明や儀式なんかをとても真剣に考えているし視野も広いと思いますけどね。それに2人とも頭もええし。みんな褒められたいじゃないのかなあ」

「そうですね。僕も気いつけてるつもりだけど、話にもならんベーシックな部分がなっていないとどうしてもきつくなるんよね」

 

お坊さんの世界は自閉的共同体?

 

 まあ、こんな会話をしたのだが、お坊さんの世界も世代交代に伴う伝統の継承に悩んでいるようだ。きっと困った問題なのに違いない。しかし、橋本や佐野といった先輩がツアー中何度も宍戸や河合に意見するのを見聞きして不思議に思うのは、彼らが僧侶ではない「部外者」であるワダスがまるでそこにいないかのようにふるまうことができるということである。

 そこで唐突に想起したのが、岸田秀が『官僚病の起源』で述べている自閉的共同体だった。岸田は「省益あって国益なし」の日本の官僚組織の特徴を次のように要約している。

「1.官僚組織は、本来、国のため国民のためのものであるにもかかわらず、自己目的化し、仲間うちの面子と利益を守るための自閉的共同体となっている。
2.しかも、その自覚がなく、国のため国民のために役立っているつもりである。
3.共同体のメンバーでない人たち、すなわち仲間以外の人たちに対しては無関心または冷酷無情である。
4.同じことであるが、仲間に対しては配慮がゆき届き、実にやさしく人情深い。
5.身内の恥はそとに晒さないのがモットーで、組織が失敗を犯したとき、失敗を徹底的に隠蔽し、責任者を明らかにしない。
6.したがって、責任者は処罰されず、失敗の原因は追求されないから、同じような失敗が無限に繰り返される、等等」

 もちろん、お坊さんたちの世界と官僚組織は同じとはいえない。しかし、僧侶の目的が本来さまざまな苦しみに喘ぐ「衆生」を救うことにあるにもかかわらず、関心の対象がもっぱら仲間うちの内部にあるように見えるのは、自閉的共同体だからなのではないか。こう考えると、以前のイギリスツアーでも感じたことに納得がいくような気がする。

 初めての海外ツアーであった2000年に、ロンドンの宿舎で僧侶たちがしゃべる話題は、イギリスのことでもロンドンのことでもなく、宗派内のゴシップだった。イギリスに来て間もないので仕方がないと、ワダスは当初思っていた。ところが、世界中からやってきた音楽家たちや主催関係者たちに出会ったり、目新しい建物や自然に接しても、彼らの主要な話題はやはり宗派内のゴシップが多かった。ワダスにはツアーで出会ったイギリスをはじめとしたさまざまな外国人には彼らにはほとんど関心がないように思えた。彼らにとって外国人は救われるべき「衆生」ではないと思えたのだ。お坊さんたちの世界が自閉的共同体なのではないかというのはワダスだけの観察だが、大きく間違ってはいないような気がする。

 このような観察は愛すべき七聲会ばかりではなく、日本の既成仏教や会社組織を含むあらゆる日本の集団に適応できるのではないかとどんどん妄ソーは膨らむが、ツアーに戻ろう。

 

どっちに向かうべきか

 

 他のメンバーたちが集まってきたので、今日の時間の過ごし方を相談した。今日はロンドンのチェルシー・フェスティバル公演である。5時ころに会場にいればよい。ロンドンはカンタベリーからは2時間くらいなので早めに出発すると時間をもて余すことになる。またマークからこんな連絡が入ったので計画を立てるのに悩ましい状況になっていた。

「はーい、HIROS。ロンドン市街地の混雑税は僕が立て替えるのでクリアーした。ただ、今日の会場のセント・ルークス教会ではお葬式があって6時まで入れないんだ。どうする? ロンドンのどこかで時間つぶしをするかないけど」

 混雑税とは、ロンドン市内に入る車すべてに適応される税金である。1台8ポンドだ。マークによれば、ウェブで車のナンバーを登録しクレジットカードで税金を支払うらしい。入市する車が税金を払っているかどうかは監視カメラで確認する。支払っていない場合は後で多額の罰金が課せられるというシステムのようだ。
 ともあれ、6時まで会場に入れないとなると、選択肢は狭められる。

1.カンタベリーかロンドン近郊で時間をつぶす
2.ロンドン市内の混雑税支払い区域からはずれた有料駐車場にとめて電車で中心部へ行き時間をつぶし6時に会場へ行く。

 ところでマークは、公演はロンドンだが泊まるのはブライトンという計画を立てていた。ロンドン市内のホテル代が高いというのが大きな理由だったが、それでも公演を終えてくたびれたまま2時間も移動するというのはむちゃくちゃだ。しかし、すでにホテル予約は済んでいる。なので公演を終えてすぐに移動してもブライトンのホテルに着くのは深夜0時過ぎになることが予想された。

 ワダスは当初、まずロンドンへ行きどこかに駐車して市内見物をしたり買い物をするという案を皆に話していた。その前提でブライトンのホテルにも、チェックインが深夜になることを連絡していた。予約をしてくれたブライトンの主催者であるケイト女史に電話するとこんな返事が返ってきた。

「問題ないですよ。ただ、その時間になるとホテルには誰もいなくなるの。だから皆さんが着いたらホテルの玄関扉は閉まっています。で、ドアの横に解錠用のパッドがありますからそこへ1819と番号を押して下さい。そうするとドアが開くようになっています。駐車ですか? そうですねえ。その辺はすべて路上駐車なんです。お昼の時間帯ですとクーポンを買ってそれを車に張っておけばいいんですが。まあ、夜は誰も取り締まりには来ないので空いてるとこに駐車するしかありませんね。ただし、明朝9時にはクーポンを買わないと」

 マークからはブライトンは駐車場問題があるので現地主催者と相談してほしいとの連絡があったこともあり、現地の事情が想像しにくい。深夜にブライトンに入るのはなんとなく不安だった。ふと、大きな荷物を転がしてブライトンの街をさまよう日本人僧侶の図が絵に浮かんだ。ロンドン見物を敢行すべきか否か。イギリスが8年ぶりになる和田はロンドンで買い物したいと申し述べる。橋本はロンドンのどこかに日本のサウナとかスーパー温泉のような場所があればそこでゆっくりしたいと申し述べた。ワダスはテムズ川岸のビック・アイに乗る、あるいは日本大使館で新聞を読むという手もあるといった。宍戸もロンドン市内に行きたがった。大英博物館見物もええけど時間がたらんなあ。柳沢さんに時間つぶしのアドバイスを携帯電話であおぐと、

「そうですねえ。スーパー銭湯ですかあ? そんなのないですよ、少なくともチェルシーには。時間が中途半端ですよねえ」

 このように今日のスケジュールについてあれこれ思いめぐらせていたとき、ふと、カンタベリーから直接ロンドンへは行かず、まずブライトンのホテルにチェックインした後ロンドンに向かうというのもありかと思った。その旨を皆にいうと誰も反対しなかった。というわけでブライトンに向けて移動することになった。

 

ブライトンに向けて移動

 

 SHARANに橋本・佐野・和田、Poloに河合・宍戸・HIROSが乗り込む。今日はSHARANに積んだナビーにブライトンのホテルのポストコードBN2 1AGを入力した、つもりで10時に出発した。昨日と違いPoloがSHARANの後を走る。到着予定時間は14時となっていた。そのときは4時間もかかるんだろうかと思った。地図ではカンタベリーからブライトンへのルートは、ドーバー海峡を経由する海岸線である。ドーバーも見れる、というので皆もうれしそうだった。小さな海辺の街を通り抜けると北イングランドとは異なり空が心なしか輝いて見えた。車窓を過ぎ去る景色も明るい。これまで見なかった緑の山々も新鮮だった。

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 われわれのPoloは、エアロ・スミスとかローリング・ストーンズを鳴らしつつ田舎道を順調に走った。途中で宍戸と、日本の外交は情けないというような話になった。それまで後部座席でおとなしく座っていた彼がアグレッシブな口調で持論を展開し始めた。途中の割り込みを許さない勢いのアグレッシブさだ。聞いているとなんだかこちらが怒られているような感じになる。宍戸はこの件についてはけっこう強い「信念」をもっているようだ。信念をもつことは、なんとなくずるずると状況に引きずられる、何も考えない人よりはいい。しかし、彼の隙間を与えない口調では落ちついたゆったりとした議論にはどうしてもならない。運転する河合が「まあまあ、そんなに力まんでも」と宍戸をなだめる。ワダスも前に現れる美しい景色を見ながら彼と結論の出ない議論をしても楽しいわけではないので適当にお茶を濁した。

 前方に白い壁面を見せて切り立つ崖が見えた。ドーバーかも知れない。海岸が見え隠れする街を通り過ぎ、サービスエリアのマクドナルドで小休止してすぐに渋滞になった。20分ほどで渋滞はなくなったが、これまでのイギリスの道では初めてだった。もうじきドーバーかなと思いつつ標識を見るとブライトンまで5マイルとあった。あれっ、おかしいなあ。小休止のときナビーの情報では到着まであと2時間かかるはずだ。どこかで大幅にショートカットしたのだろうか。そうこうしているうちに、南仏のリゾートを思わせる街並に入ってきた。バルコニーのある白いマンション風の建物が海岸沿いに立ち並ぶ。ブライトンだった。強い太陽光線を反射した海がまぶしい。

 

ブライトン

 

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 Paskins Hotelに着いたのは午後2時。ホテルは、海岸沿いの広い道と交差する細い縦の道Charlotte Streetにあった。数階建ての密着した白い建物の真ん中ほどだ。道路の両側に車が隙間なく駐車していた。

「ねえねえ、おっかしいでしょう、これ。到着時間は4時になってるけど、もう着いてますやん」

 荷物を降ろしながら橋本がナビーを指していった。たしかにナビーはわれわれがまだブライトンには着いていないということを示していた。ワダスが入力を間違えたのだ。どうも、ロンドンの会場のポストコードを入力していたらしい。途中で間違いに気がついた和田と佐野が、ナビーの指示を無視して地図を見ながら走ってきたのだ。道理でドーバー方面にも向かわなかったわけだ。ナビーに全面的に従っていたらまだロンドンに向かっていたはずである。

 玄関扉の横にある解錠パッドに教えられた数字を入力するとジジッと音がして扉が開いた。入って右手がレセプションだが、誰もいなかった。荷物を運び入れてしばらく待つ。前掛けをした中年男が、やあ、といって現れた。会社を辞めて夫婦でこじんまりとしたホテルを経営する○○氏、などと紹介されそうなひょうひょうとした雰囲気のある男だった。

「今晩12時過ぎにチェックインするといったが予定を変更して今着いた」

「OK。ウェルカム・トゥ・ブライトン。私はデイヴィスといいます。部屋は3人、2人、1人部屋でとってます」

「ところで、駐車場はどこにありますか」

「残念だが、ホテルの専用駐車場はない。5ポンド払ってもらえればクーポンを出すのでそれをフロントガラスのところに置いて空いたスペースにとめればいい。ただしクーポンは朝9時から24時間有効のものです。ですから明日の朝9時になった時にまたクーポンを購入して下さい」

 まずロンドン行きには使わないPolo用にクーポンを購入した。SHARANはパーキングメーターのチケットを購入して駐車することにし、河合と橋本はそれぞれ駐車スペースを探しに出て行った。

 3人部屋の10号室に佐野、河合、宍戸、2人部屋の17号室に橋本、和田、そして1人部屋の4号室にはワダスという組み合わせにした。ワダスの中2階以外は最上階の4階だった。和田が重いスーツケースを引きずって狭い階段を上がるのを見たデイヴィスは「おうおう、俺にまかせな。俺は人間エレベーターなんだ」といって残ったスーツケースを2つもち和田について階段を上がった。

 練習、日記をつける、出費などの整理、主催者との連絡などの仕事があるので1人部屋にしてもらった。ただ、4号室はものすごく狭い。窓のある独居房という感じだ。ベッドを挟んだ壁と壁の間は2メートルくらいなので、荷物を展開できるスペースがほとんどない。シャワーブースのある奥のバストイレも1人をやっと収納できるくらいしかなかった。

 

St. Luke's Church

 

 15時、SHARANでロンドンへ出発した。モスクのような不思議なデザインの大きい建物や公園などのある市街地は渋滞だったが、ほどなく車の流れはスムーズになった。A23、M23を順調に走る。ロンドンまでは1時間半の道のりだ。宍戸も河合も疲れが出てきたのか車内ではほとんど会話はなく、PoloはSHARANの後を淡々と走る。車外の風景にはすっかり慣れてしまい、移動は単なる日常になった。

 途中でふと尿意。河合がSHARANにパッシングライトを点滅させる。ところがトイレのありそうなサービスエリアがなかなか現れない。膀胱充満感を抱きつつ車はロンドン市街地に入った。チェルシー手前の橋に、これより混雑税適応地域という表示が見えた。次第に夕闇の気配が濃くなってきていた。

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St. Luke's Church
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 会場のSt. Luke's Churchに着いたのは5時だった。巨大なというわけではないが、低い鉄柵に囲まれた前庭と、堂々とした尖塔をもつ教会だった。鉄柵には今晩のわれわれのコンサートのポスターが張ってあった。前庭の芝生を挟んだ車寄せに車がびっしりと駐車し、中央の出入り口に葬儀に参加する喪服の人々がたむろしていた。

 かろうじて見つけた隙間に車を停めた。金網フェンスで囲まれた隣の空き地で子供たちがボール遊びをしていた。教会の外壁沿いに地下へ至る階段があった。降り口に「Chelsea Festival」という表示があった。教会の地下室がフェスティバル事務局となっていた。扉を開けると、コンピュータ、プリンター、書類などが雑然と配置された広い事務所になっていた。数人の女性が机に向かっていた。来意を告げるとお腹がポコンと膨らん大柄な女性がワダスと宍戸を向かえてくれた。

 彼女がアリサだった。携帯電話で何度かやりとりしていたので初対面という感じがしない。

「はあーい。あなたが、HIROSね。初めまして。アキコからも聞いているよ。もうじき彼女も来ると思う。ご覧の通り、上ではまだ葬式が続いているのよ。多分5時半には終わると思うけどね」

「ええと、緊急だけど、トイレはどこですかねえ」

「あらっ、それは大変。案内するわ。このドアの向こうよ。で、ここが廊下。ごめんなさいね。なんだか物置みたいになっちゃってて。ほら、あそこがトイレよ。もどってきたら私の机まで来てね。ご相談したいことがあるから」

 宍戸と隣り合わせでたまったものを開放し、ラップトップ・コンピュータをにらんでいたアリサの机に行った。

「今晩のコンサートで聲明の解説プリントを配ろうと思っているんです。アキコからある程度は資料をもらったんだけど、どうしても分からないのがあるの。まず、曲目はこれでいいよね。笏念仏入堂と、これはいいと。そして甲念仏、散華、五念門、阿弥陀経と。ええ? 五念門じゃなくて大懺悔になるって? 分かりました。その資料はないわよね。じゃあ、簡単に書いてくれる?」

 皆を呼びにいって戻ってきた宍戸が隣にいたので聞いた。

「大懺悔って何かって聞いてるけど、宍戸さん、知ってる?」

「ザンゲするの懺悔て書きますが、うー、あんまり詳しくは知らないです。橋本さんに聞いた方がいいですかねえ」

「懺悔かあ。英語でなんていうのかなあ。ま、橋本さんに聞こうか。アリサ、ちょっと待って。違う坊さんに聞いてみるから」

 お坊さんたちは、車から降ろした荷物を廊下に置いた後、何げなく地下室周辺を歩き回る。橋本を見つけて大懺悔について訊ねた。

「うーん、難しいですねえ。まあ、いろんな儀式の前にですね、自分の行いをすべて懺悔してから儀式を行うわけなんです。キリスト教の懺悔とも違うんですよ。どういったらいいんでしょうかねえ」

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アリサ
和風弁当
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 こういわれてもワダスには困る。待っているアリスも困る。いちおう橋本のいったことを英語にしてアリスに伝えるのだが、彼女も、うーん、とうなる。結局、儀式の前に唱えるもの、みたいに簡単に書くことにした。

 そうこうしているうちに葬式が終わったので、われわれも上の控え室に移動した。控え室は礼拝室の裏にある広い部屋だった。グランドピアノが1台、長テーブル、イスがあるだけでがらんとした絨毯敷きの部屋だった。

 舞台、客席となる礼拝堂をまず確認した。キリスト像のある祭壇のすぐ下が板敷きのスペースになっていて、そこが舞台になる。木製のフローリングは2日前に完成したものだという。客席は3列の木製ベンチ礼拝席である。ざっと見た感じでは数百人は入れそうだ。教会内部装飾としては比較的シンプルといっていい。ごてごてした古い彫刻などもあまり見られない。高い天井から掛け軸を吊るすのは難しいので取り止めにした。また、お坊さんたちはイスは使わず立って演奏することにした。バーンスリーも声も大空間によく反響して実に気持ちがいいので、マイクはあったがそれも使わないにした。ドローンとしてはこれまでiPodを使っていたが、ドローンマシーンだけを使うことにした。

 控え室で柳沢さんが注文してくれた和食弁当を食べた。白いご飯とみそ汁がおいしい。おかずはシャケ、エビ天、コロッケ、ホウレンソウ、もやし、漬け物。日本ならごく普通の幕の内弁当である。しかしイギリスの食事にくたびれてきた胃にはやさしく感じられる。ダイエット中の宍戸は後で食べるといって皆の食べるのを見ていた。

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 7時頃、柳沢さんが控え室に姿を現した。またほどなく今夜の司会をするフェステバル・ディレクターのスチュワート・コリンズも見えた。ばりっとしたスーツに身を包み堂々とした貫禄がある。短い白髪まじりの頭髪と口ひげ、年齢は60歳くらいか。キングズイングリッシュの発音が知的に響く。スチュワート、柳沢さんと公演進行を打ち合わせした。

 礼拝堂を通って正面玄関から外に出てタバコを吸う。聴衆が徐々に集まってきた。日本人らしい顔も見えた。出入り口には受け付け用とワイン販売用のテーブルがセットされていた。

 

ロンドン公演

 

 開演の7:30になった。例によって宍戸が舞台と対岸の正面入り口から香炉をもって静かに歩きだす。聴衆の話し声はたちまち止み、宍戸は舞台に香炉を置いてワダスが対している下手にはけてきた。打ち合わせでは、ワダスがスチュワートに合図を送って宍戸が歩き始めるということだった。スチュワートは出入り口付近で客と何か話していてこちらが出す合図が届かない。宍戸にはゴーサインを出したので彼は歩き始めた。それを見たスチュワートがあわてて下手に戻ってきた。

 スチュワートが宍戸と入れ替わりに舞台に進み5分ほど挨拶。彼が戻ってきたのを確認してワダスが舞台に座り、手元のドローンマシーンのスイッチを入れた。スケールの紹介をしたあとRaga Yamanを25分ほど演奏した。教会内は震えるほど寒かった。指が強張り指穴を押さえるのに苦労した。ここで20分の休憩。

 外に出ると煙草を口にくわえた50代くらいの白髪の女性がワダスを見ていった。

「あなたの演奏は、ドゥルパドとカヤールが混ざっているようだったけど、誰に習ったの」

「インド音楽をご存知なんですね。ワダスはバナーラスというところで学生だったんです。そこでドゥルパドのリトウィック・サンニャルという先生にドゥルパドの声楽を習ってました。バーンスリーはハリジーがグルです」

「ああ、やっぱりね。リトウィクは知ってるわよ。私も研究でバナーラスにいたことがあるから。バーンスリーはハリジーだったって? そういえば音色もよく似ていましたね。日本人でバーンスリーを演奏しているのは珍しいわね。よかったわよ」

 そんな話をしているところへ、メガネ・ネクタイ・スーツ姿の日本人男性が近づいてきた。

「日本大使館に勤めているアンザワです。気持ちのよい音楽でした。ありがとう」

 他にインド系の青年と小太りのイギリス女性のカップルも話しかけてきた。インド系青年はイギリス生まれだが両親はパンジャーブ出身のシク教徒だという。ターバンしてないじゃないかというと「ここはイギリスだしね」と肩をすくめた。

 2部の七聲会の声はよく響いた。「散華」の句頭だった橋本は、よく響く自分の声にほれぼれとしたのか普段よりもずっと長く音を引っ張った。

 9時10分に演奏が終わった。全員がお辞儀なしで退出したところで拍手が響き渡った。再び舞台に上がりお辞儀をして退場。雪駄を置き忘れた宍戸が舞台に戻ると聴衆につかまり質問攻めにあった。着替えをした橋本やワダスも質問の輪に加わった。学生らしい一団を率いた中年の日本女性が「良忍の聲明と違うのか」などと専門的な質問をする。学生たちはロンドン大学日本仏教センターの研究生だという。日本語を話す学生もかなりいた。

 スチュワートがワダスに近づいて「聲明もよかったけど、あなたのバーンスリーにはとても感動した」といってくれた。お世辞でもこんなことをいわれればうれしいものだ。

 会場を出たのは10時過ぎだった。ブライトンまでの道のりは単純だが、先導する橋本がナビーの指示を取り違えて脇道に入ったりしてちょっと時間がかかった。それでもブライトンのホテルに着いたのは11時20分だった。1時間ちょっとで着いたことになる。

 4階の3人部屋で打ち上げだった。佐野がロンドンの会場にあった白ワインをくすねてきたのでそれを飲んだ。宍戸と橋本はツアーの初めから対立していたように見えたが、次第に互いを理解し始めたようで安心した。

 1時ころ就寝。

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