10月9日 (木)

  5時ころ起床。日本とは8時間の時差があるので、最初のうちはどうしても早起きになってしまう。宍戸は隣でぐっすり寝ていた。

 部屋備え付けのポットで湯を沸かしネスカフェを2杯飲む。まだ世界は暗い。イギリスの湯沸かしポットは外側はちゃちなプラスチック製だ。ふたを開けると底にむき出しの太い電熱線が見えた。電熱線の周囲には白い石灰成分が付着していた。230Vの高圧なのでスイッチを入れるとあっという間にお湯が沸く。

 

タバコは外で

 

 部屋ではタバコが吸えない。これはどのホテルもそうだった。玄関を出て左手の角が喫煙コーナーになっていた。円柱形のゴミ箱のツルンとしたふたの上に吸い殻がたまっていた。人々は、ふたの上が小さな灰皿になっていたかつてのゴミ箱のイメージから抜けられないようだ。外はまだ薄暗く、あたりは濃い霧が立ちこめていた。しかし思ったほど寒くはない。宍戸も現れ、ワダスにタバコをねだった。

 スキンヘッドの小柄な中年男がタバコを吸っていた。くたびれたジーンズ、水色のセーターに茶色の薄いジャンパーを着ていた。ウェールズの小さな町の出身だという。われわれがウェールズへ行ったことがあること、景色が美しかったことなどをいうとうれしそうだった。

「きれいな土地だ、たしかに。ただ、ウェールズには仕事がなくてね。だからこうやって出稼ぎに来てるんだ。どんな仕事かって? トラックで物を運んでるのさ」

「イギリスはタバコが高いよね」

「まったくだ。5ポンド(1000円)というのは高いよなあ。ほとんど税金だよ。だからオレは、ほら、トルコ製のタバコさ。これだと1.5ポンドだからね」

 男はしゃがれ声でこういってパッケージをひらひらさせた。

 

朝食摂食派に転向

 

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満英朝食

 朝食は、粉っぽいソーセージ、分厚いベーコン、焼きトマト、煮豆、スクランブル・エッグのフル・イングリッシュ・ブレックファスト(以下満英朝食)。普段は朝食を食べないのに妙にそそられた。いかにも脂肪分の多い食べ物と自動ジュース配給器のアップル・ジュースをのせたトレイをもって席についた。ジュースをまず一杯飲んだ。が、ちっとも味がしない。単なる水だった。「水だ」とつぶやくと、向かいに座った和田もつぶやいた。

「たしかに、これは水だ」

 日本だったら問題になるだろうなあ。

 久しぶりの朝食はかなりのドスン感があった。腹部常時膨満感に追加満腹感が加わったので苦しくなった。とはいえ、この最初のたっぷりとしたイギリス式朝食はなかなかにおいしくて、この日以後、朝食摂食派に転向することになった。

 

駐車料金未払い

 

 車のフロンドガラスに「駐車料金を払っていない。支払わないと50ポンドの罰金を取るぞ」という張り紙があった。チェックインしたときに24時間2ポンドのクーポンを購入すべきだった。しまった。あわててレセプションの太ったオバハンに事情を申し述べクーポン用に20ポンド紙幣をコインに両替をしてもらい、駐車場にある自動販売機でクーポンを購入した。レシートを見せると、オバハンは「罰金の件は大丈夫よ。こっちで処理しますから」といってくれた。

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左Polo、右SHARAN

 ところが、後になってこの罰金の請求書がレンタカー会社に回されワダスのクレジットカードから自動的に支払われたことを知った。トータルで140ポンドもの罰金だった。なんということだ。レンタカー会社にさっそく抗議のメールを送った。すると、自分たちは請求されたから自動的に支払ったまでだ、その件についてはホテルにいってくれ、と返事が来た。で、ホテルにメールを送った。すると、この件は全英駐車場協会の管轄なのでそっちで処理しろとの返事。その全英駐車場協会に連絡をとった。しかし、今のところなしのつぶてだ。

 今回は自分たちがレンタカーで移動するので、このような駐車場や料金のことなどもやらなければならない。以前のツアーのようにこの種のことは運転手に任せておけばよいというわけにはいかないのだ。これからどうなるんだろうとちらっと不安になった。

 

ブラックネルへ移動

 

 今日の公演地はここから30分くらいのブラックネルである。ブラックネルのホテルもここと同じ系列のホテルで、チェックインは午後3時。チェックアウトの11時に出てもすぐに着いてしまうので時間をもて余すことになるが、10時半ころに出た。出る頃には快晴で汗ばむほどだった。

 河合がハンドルを握るPoloにカーナビのナビとして助手席にワダスが、そして後部座席に宍戸が乗って出発した。橋本運転のSHARANには佐野と和田が乗った。橋本はその後も既定方針の如くSHARANのハンドルを誰にも譲らず最後まで運転することになった。彼は運転することに喜びを見いだす性格なのか、他人の運転に不安を覚える性格なのか不明だ。

 後続車にはカーナビはないが、事前にグーグルマップで詳細なルート研究をしていた佐野がいるので先行するPoloを万が一見失った場合でも安心だ。佐野はいちいちのルートをプリントアウトした分厚いファイルを用意していた。朝食の席で佐野はそのファイルを見ながらこんなふうにつぶやいていたのだ。

「ええとお、ブラックネルはよ、M25方面に向かってM4に入るばい。ほいでもってそっからあA329に出て、んー、ちょっと待てよ、ん、そうそうA3095に入ると。簡単なルートじゃけん間違えることはなかと」

 みんなはファイルを見るとはなしに見て佐野のつぶやきを聞くとはなしに聞いていた。

 

シンプルだがすぐれもののカーナビ

 

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右端に見えるのがナビー

 カーナビをあれこれいじっていて分かったことは、どうやらポスト・コードを入力すれば即座に目的地へのルートを検索し誘導する仕組みのようだ。つまり、次の目的ポイントのTravelodge Bracknell Centralへ行くにはポスト・コードであるRG12 7PAと入力すればよい。日本のカーナビの電話番号入力の代わりだ。このシステムは便利だ。カーナビにデータを入力すると、紫色で強調されたルートが現れる。到着時間は12:30と出ていた。高価で多機能の日本のカーナビと違い、小さなディスプレーの画面はとてもシンプルで見やすい。

「3 miles. roundabout. take third exit(3マイルするとロータリーです。3番目の出口で曲がって)」

 間違った道に入るとこうなる。

「Calculating(ちょっと待って。新しいルートを探してるから)」

 速度制限のある区域では赤白反転表示で警告する。

 カーナビの女性(以後ナビー)の声が分岐ポイントにくると柔らかく響く。憂いのある声といってもいいかもしれない。ナビーはどんな女性だろうか。すらりとした170センチくらい細身の体、胸はそれほど大きくない。20代後半か30代前半、肩にかかる金色の混じった焦げ茶の髪で細面。一度結婚に失敗し、男性との関係に自信がもてない。しかし、やるべき仕事はしっかりと把握し間違うことがない。007にときどきちょっかいかけられるMI6の秘書といった風情か。

 

スキンヘッド東洋人青年中高年男一団ブラックネルを散策

 

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Travelodge Bracknell Central

 11時半にTravelodge Bracknell Centralに到着した。昨日の例もあるのでチェックイン・カウンターの若い女性に駐車料について訊ねた。「タダよ」というので空いたスペースに車を停め、チェックインの3時まで町を散策することにした。

 ホテル付近は中低層の新しい建物が並んでいた。ところどころに「To Let(貸家)」の看板が見えた。ぽかぽかした陽光を浴びながら6人のスキンヘッド東洋人青年中高年男性が町を歩く。おおまかに2つに分類できる。

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 まず、帽子眼鏡派。ちょいと太めの宍戸の服装は、フード付きの黒い綿のパーカー、ベージュのチノパン、正面に白い英文字の入った黒の野球帽。人々の服装や、特に女性の美醜観察にときどき鋭さを見せる。半袖の白灰ポロシャツの上から薄手の黒い大きめのベスト、茶の、なんとなくてかっとしたスボン、くすんだ萌葱色の毛糸の帽子は佐野。上腹部が突き出ていて上半身全体が分厚く見える。頭に浮かんでくる想念を貯めず即座に表出し周囲の認知を期待する九州人。白い長袖のユニクロシャツの上から灰色ニットのユニクロベスト、黒いユニクロジーンズ、緑の靴ひもの黒い運動靴、明るい砂色の折り返しのある紺のニット帽子、水色のグラスホルダーという姿は小柄口ひげのワダス。ユニクロが多いなあ。

 次に無帽裸眼派。真っ白なニットの長袖にジーンズ生地作務衣のズボン、肩からオレンジの頭陀袋を下げているのが橋本。鋭角デザインのサングラスが不気味な雰囲気を漂わせる。奇しくもワダスと同じユニクロの長袖の上から灰色のフード付きニット、ブルーンジーンズ、ひもの多い黒のリュック姿が最年少の河合。少年のような憎めないあどけなさを残す顔相はがっしりした長身とどこかアンバランスだ。Vネックの白いセーターの上に黒のジャケット、白いチノパン、紫の頭陀袋という出で立ちが和田。小柄で口数は少ないが、ときどきつぶやくようにぼそっと話す感想は的確で面白い。彼のスキンヘッドは形がきれいなのでCDのジャケットに使った。

 こんな一団が人通りのない道を固まって歩く。相当不気味に映っているかもしれない。大きなロータリーにさしかかったところでアジア人らしい中年女性に駅の方角を尋ねた。

「ああ、駅ならこっちですよ。ちょうど私も向かうところなので一緒にどうぞ」といってくれた。彼女はフィリピン人で1年半前にここに来たという。

 ラウンドアバウトの真下であたる壁画や落書きのある地下通路を通り抜けるといきなり人通りの多い繁華街に出た。石畳の歩行者用道路の両側に低層の商店が連なっている。年代物の茅葺き家屋が1軒あったものの、他はどの建物も通俗的なコンクリートとガラスの建物だった。ロンドン通勤圏の新興都市なのだろう。繁華街の面積は広くはないが、若者も含め人通りが多いのでなんとなく華やいだ雰囲気だった。

 河合が1人1人に20ポンド紙幣を手渡した。

「これっ、2日分の食費でえす」

 メンバーの身勝手な注文をまとめて支払いをするのはこりごりだと思った河合がそう決めたのだった。前回のツアーで会計係としてさんざん使い走りをさせられたのに懲りたらしい。今回は七聲会の会計から食費として20万円分(約1000ポンド)を空港で両替していた。

 2時半に広場の東屋集合ということで6人のスキンヘッド東洋人青年中高年男がなんとなくばらけて散策した。ワダスは、河合、宍戸、佐野と本屋で地図を探したり、バーガーキングでハンバーガーをかじった。外は気持ちのよいぽかぽか陽気だった。コーヒーを飲みつつひっきりなしに行き交う人々を眺めた。商店や事務所のたたずまい、そこを行き交うさまざまな人々を見ていると、まるでマーティン・ハンドフォードの『ウォーリーをさがせ!』の世界だ。

「この辺の、特に女性って、誰1人おんなし服着てませんよね。日本だと、ほら、たいてい似た服の女性もいるでしょう。でも、ここは、ほんまに、みんなバッラバラですやん」

「ね、あっこの歩道橋のとこに固まってる女たちいますよね。あっこの人、あ、あの金髪の女性。むっちゃ美人ですやん。思いません?」

 主に女性方面の観察にフォーカスを当てた宍戸がときおり感想を申し述べる。彼がいうように、男女とも、服装も、歩き方も、表情も、肌の色も、髪の色も、眼の色も、まったく統一性がない。白人に混じってインド系、アフリカ系、中国系の人々も多い。むしろこの統一性のなさに統一性があるかの如くである。

 河合が腕時計の電池交換したいというので時計屋に行った。防水時計なので1週間かかるとといわれたので断念。

 広場の東屋で全員再集合。果物屋でリンゴなどを買い求める。1ポンドで5個のリンゴは小さいが味は水っぽくなくしっかりしていた。

 

ドローン・マシンから煙が

 

 3時まえにホテルに戻りチェックイン。部屋割りは昨日と同じ、河合・和田、橋本・佐野、宍戸・HIROS。

 荷物を解いて練習を始めようとタンブーラー・マシンのスイッチを入れた。しばらくしてボンという音が鳴った。

「中川さん、やばいですよ。煙が出てます」

 宍戸がこういったのでマシンを見るとたしかに煙が出ている。そしてそれまで一定だったドローンの音が歪んできた。あわててプラグを抜いた。ひょっとして、とマシンの背面を見た。電圧の設定を日本のままにしていた。イギリスの電圧は220ボルトだから、突然過剰電力が流れてトランスが焼き切れたらしい。PAのない会場で使う必要があるためけっこう重いマシンをわざわざ日本からもってきたのだったが、ここで壊れてしまったら骨折り損だ。なんということだ。と思ったが、さいわい、スイッチを切ってそのままにしていたら復活した。もっとも、低音弦の音が鳴らなくなったが。インド製の電気製品は逆境に強い。

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河合と本原さん

 タバコを吸いに外に出て戻ると、河合と1人の日本人女性が食堂で話をしていた。30代だろうか。本原和代さんというイギリス人男性と結婚した長崎出身の女性でロンドンに住んでいるとのこと。本原さんご自身はロンドンの高校の科学実験助手をしている。またご主人はその同じ学校の建物保守管理人だという。彼女は河合の大学の同級生のお姉さんで、河合に会いがてら今日の公演に来てくれたのだった。

 ホテルのレセプションはインド系らしい男2人に代わっていた。その1人にヒンディー語で話しかけた。「なんであんたはウルドゥー語を話すのか」といわれたのでかつてインドに住んでいたといった。彼らはパキスタン系だった。それ以後彼らは急に親しげになり、ワダスを見るたびに話しかけてきた。「電話を借りたい」というと即座に「おうおう、これ使ってくれ」と彼らのコードレス電話を差し出す。

 借りた電話で公演会場の担当者William Trevelyanを呼び出すと留守電になっていた。ホテルの番号に連絡せよとメッセージを残した。しばらくするとパキスタン系の1人が「おい、あんたに電話だ」とウルドゥー語で呼ばれた。

「日本からの聲明グループのHIROSっつうもんだけど、何時ころにそっちへいったらいいんだべが」

「はーい、HIROS、今日は。こちらウィリアム。着いたんだね。そうね、開演は7時半だから、6時ころどうだろう」

「了解。では後ほど」

 

South Hill Park Arts Centerへ

 

 公演会場であるSouth Hill Park Arts CenterへはSHARAN1台で移動することにした。公演が終わったらロンドンに電車で戻るという本原さんも同乗した。

 会場は文字通り緩やかに傾斜した広い公園の一角にあった。2階建ての堂々とした屋敷全体が地域のアーツセンターになっていた。中は古い貴族屋敷のようだった。広い玄関ホール、そこから2階へ通ずる幅の広い階段。左の部屋は美術の展覧室、右にも奥まで部屋が連なっている。高い天井にはシャンデリアが吊ってあった。

 玄関ホールの受付に座っていた初老の女性に来意を告げると、今ウィリアムはいないけど担当者を呼んでくるね、といってどこかへ消え、なかなか戻ってこない。その間、左隣の現代美術を眺めたりさらに奥にあるホールを見て回った。館内散策していると、オレンジ色のシャツに焦げ茶のベストを着た背の高い青年が近づいてきた。

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ウィリアム

「はーい、俺、ウィリアム。今夜はよろしくね。車どうするかって? んー、荷物ある? OK。じゃあ、荷物を降ろしたら車は駐車場の空いたとこに入れて。あっ、控え室ね、2階のリサイタル・ルームの奥。今、一緒に行く? OK、じゃあ、ついてきて」

 われわれは荷物をもって2階のリサイタル・ルームに入った。円形の天井のある細長い部屋にイスが並べられていた。左に並ぶ窓から下を見下ろすと、芝生のある庭園が夕暮れの奥に広がっていた。屋外のベンチ周辺ではビール片手の人々が談笑していた。

「ここが君たちの今夜の会場。正面が舞台。マイク?あるよ。一つだけだけどね。iPodとつなげたいって。OK。俺はPA専門じゃないけど、いけるんじゃない。試してみてくれ。ほら、これがミキサーだから。んーと、あと必要なものは? 掛け軸を正面に吊るす、と。えー、どうしようかなあ。あっ、ここに釘があるからこれから吊るそうか。後は何かある? 華籠と木魚を置く台ね、OK。電源ケーブル? OK。公演時間と構成はどうする? ふんふん、ふんふん、なるほど、ふんふん、全体で80分から90分ね、OK、パーフェクト」

 こんな感じでウィリアムはひょいひょいと公演準備をしてくれた。

 

リハーサル

 

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リハーサル

 リハーサル。舞台といっても客席と同一平面のスペースがあるだけである。床に座ってしまうと客席から出演者が見えなくなる。

「じゃあ、立ってやろうか。それで、立ち位置は、HIROS、宍戸、河合、佐野、橋本、和田の順と。まず、佐野さんがお香を焚いて阿弥陀さんに三礼し、笏を叩いて念仏。それをきっかけにわれわれが入り口ドアから念仏しつつ入道と。ほんでもってえ、甲念仏、散華(さんげ)、回向文(えこうもん)、大懺悔(おおいさんげ)そして阿弥陀経という順でどうかな。いいよね」

 聲明公演の順序や内容については、リード役の橋本の一言で決まった。全体の構成は、まずワダスの短い挨拶、20分くらいのバーンスリー・ソロ、休憩なしで七聲会が入場し聲明、最後の阿弥陀経のところでバーンスリーが加わる、ということにした。全体で約80分くらいの公演になる。ワダスのソロのときのドローン音源を入れたiPodはあれこれいじってうまくミキサーと接続できた。ワダスはイスに座って演奏することにした。舞台の角にあったグランドピアノの上に物を置いてマイクの調整をしているとふと注意書きが目についた。

「このグランドピアノはむっちゃ高価な貴重品である。この上には何物も置いてはいけない」

 あわててバーンスリー・ケースをどけた。

 簡単にリハーサルをした後、階下のレストランで食事をということになった。本原さんはじめ皆はハンバーガーとポテトフライを食べていたが、お昼にヘビーなハンバーガーを食べたワダスはパスして、広い芝生を見渡す外のベンチに腰掛けタバコを吸った。小さな男の子とボール遊びをしていた男がいた。夜空は澄み渡りチカチカと光る星がくっきりと見えた。

「コンバンワ」

 ふと向かいのベンチに座っていた中年男が声をかけてきた。

「あれ、日本語できるの?」

「いやあ、ほんのちょっと。柔道の試合で日本に行ったことがあるんだ。この辺で柔道を教えていてね」

 

マークが現れた

 

 

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マーク・リングウッド(2004年撮影)

彼とそんな話しているといきなりマークが現れた。手には携帯電話とファイルをもっている。

「やあ、HIROS。元気か。すぐにエジンバラに飛ばなきゃならないのでゆっくりしてられないけど、とりあえず、これ、携帯と現金をもってきたんで」

 実際に彼に会うのは4年ぶりだが、今年の1月からずっと一緒に今回のツアー準備をしてきたので久しぶりという感じはしない。坊ちゃん刈りの茶髪、同じ色の全てつながった口ヒゲ、会うとなんとなく憎めない表情も変わっていない。

「この携帯には今のところ25ポンドのバウチャーがついている。なくなったら街のボーダフォン電話屋で買い足してくれ。番号は知らせたよね。07810486517。で、最後の日に本体、充電器、付属品をこの封筒に入れて送ってくれ。マニュアルは捨ててもいい。住所は書いてある。それと、主催者から小切手の支払いがあったらこの封筒でやはり送って欲しい。で、これとこれが主催者と僕との契約書。あんたとの契約書もある」

「OK。で、現金は?」

「もちろん、今渡すよ。これに入ってる」

 彼は20ポンド札の束の入った封筒をワダスに渡していった。

「念のため、数えてくれ。きっちり1000あるはずだから」

「ところで、俺たちは今レンタカー2台で移動ということになった。君が予約していたミニバスは借りれなかったんだ」

「えっ? なんで」

「ミニバスを運転するには日本発行の国際免許じゃダメでイギリスかEUの免許証が要るからだ。レンタカー会社の話では、そのことはちゃんとウェブに記載してあると言っていた。あんたはちゃんと読んだのか? おかげで移動コストはダブルになってしまう。こっちとしてはとんだ災難だよ」

「えっ、本当か。そんなことないはずなんだけどなあ。別のグループもミニバスで移動しているし。おっかしいなあ。対策はなんか考えよう。あと、もし俺の助けが必要になったらいつでも電話してくれ」

 彼はちゃんと読んでいなかったはずだ。その場をなんとか取り繕おうという表情で、それ以上この話題に触れないのでそれが分かった。しかし今さらそのことをあれこれいっても仕方がない。彼は腕時計をちらっと見つつ、なんとなく集まってきた七聲会のメンバーに一通りの挨拶をした後、

「もうすぐエジンバラ行きのフライトなんだ。ゆっくり皆と話したいんだけどそうしちゃいられない。じゃあ、今晩の公演頑張ってくれ」といい残して去って行った。マークと話をしたのは10分もなかった。2004年のときもそうだったことを思い出した。

 

公演1回目

 

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 公演は予定通り7時半に始まった。客席はほとんど埋まっていた。80人ほどか。ワダスは、聲明とは何か、聲明の前に何故インド音楽を演奏するのかなどを簡単に説明した後、Raga Kaishiki Ranjaniという深夜の曲を演奏した。七聲会の演奏は、カノン風になる予定の回向文がじゃっかんもたついたものの初日にしてはまずまずだった。大懺悔という曲は初めて聞いた。音域が広く途中で一定のテンポを保ったメロディーが挿入された素晴らしい曲だった。   

 演奏を終えた後、佐野とワダスが舞台に再登場し、質問コーナー。公演後の質問コーナーがあればいい、というのは柳沢さんのアイデアだった。床に散らばった散華の華を拾ってもち帰るとご利益があるというと皆がもそもそと動き出して拾い始めた。聲明の訓練はどうするのか、僧院での生活はどんなものか、誰に向かって祈るのか、などなど難しい質問がくるので英語の聞き取りも大変だ。扇子はどうして襟に刺すのか、という質問に「他に置く場所がないから」と佐野が答えた。この答えに皆が爆笑した。CDの宣伝をすると、用意した枚数はすぐに売れてしまった。お客さんは公演に満足したようだった。

 ホテルに戻り、全員がワダスの部屋に集まり反省会。橋本には内容的に不満な部分があったらしく細かな注文を出していた。こうした音楽的な意味で聲明をとらえ、よりいいものにしていこうとする意欲のあるところが七聲会のいいところだ。

 イギリス・ツアーの第1回目の公演はこうして無事に終わった。明日はケンブリッジへ移動して公演である。

 マークからもらった携帯電話で早速、久代さんに電話した。音声もはっきりしている。まるですぐ近くで話しているようだ。入院している山形のハハの容態はまあまあ安定しているとのこと。ツアー中にハハの病状が急変するようなことがなければと思いつつイギリスにきていたのだ。

 宍戸と1時くらいまでおしゃべりをして長い一日が終わった。今日は宍戸がベッド、ワダスがソファだった。

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