10月19日(日)

 7時起床。曇り。ホテル周辺を散歩して街並などを撮影した。緑の多い街には人影も特徴のある建物も驚くものもなくしらっとしていた。

 全員揃って8時にレストランで朝食。ビュッフェ方式だが、満英朝食はなくコンチネンタル朝食だった。エスプレッソとトーストだけ食べた。

 朝食を食べつつ皆と今日の予定について相談した。帰国便は夜の9時30分発のKE908なのでヒースローには7時半についていれば良い。早めに出発すればロンドンで買い物をすることも十分に可能だった。レンタカーを返してヒースローから地下鉄でロンドン市内に出ることも可能だ。2000年以来のイギリスだった和田はロンドンで土産を買いたいと申し述べる。宍戸もロンドン観光してみたい、中川さん一緒に行きましょうよ、という。ワダスはお上りさんよろしく巨大観覧車のビッグアイに乗ってみるなんてのもありかなあとつぶやいた。他の河合、佐野、橋本もロンドン行きはやぶさかではないという表情をしていた。しかし結局はロンドン市内には行かないことに決めた。なんとなく皆くたびれていたのだ。

 

ヒースローへ出発

 

 12時、ヒースローへ出発。ノッティンガムからはM25のロンドン大環状線に入るまではM1の1本道だ。距離は210キロなのでおよそ2時間半のドライブだ。橋本の運転するSHARANに佐野と和田が、河合の運転するPoloに宍戸とワダスが分乗した。SHARANのお尻を確認しつつ車は広い高速道路を順調に走る。われわれの車内にはワダスのiPodに貯めてあったFM香川の「うどラジ」とか落語が流れ、もはや気分は日本だ。

 時間はたっぷりあるので急ぐ必要はなかったのだが、SHARANが加速していきなり追い越し車線に入り前方を走る車を追い抜いた。Poloは後続車を気にしつつSHARANを追う。こんなことがたびたびあった。そのたびに河合は「橋本さん、あの人、むっちゃやわー。てんでこっちのこと考えてへんやんか」とつぶやく。SHARANにナビーをつけてからの橋本の運転はまるで後続のPoloを無視した走りに見えた。本当に無視していたのかもしれないし、河合を試していたのかもしれない。こんなことが何度か続いた。と、SHARANがいきなり左のウィンカーを点滅させ則道へ入った。ナビーのない後続のPoloは従わざるをえない。本道と則道の分岐を危うく避けてSHARANに食らいつく。一つ間違えば則道分岐帯に激突していたかもしれない。とてもきわどかった。助手席に座るワダスは思わず腰を浮かした。そして、SHARANを運転する橋本に怒りを覚えた。ふざけるにしてはあまりに度が過ぎる。河合は「あったまくんなー。まったくう。何考えてるんや」と必死にSHARANを追いかけた。橋本にはもちろん悪意はなく標識を見てあわてて左折したのだろう。後続するPoloがそうすればどうなるのかという意識はそのときはなかったのだろう。と思いたい。

UK08 UK08

 本道からヒースローへの支道に入った。SixTレンタカーの事務所に近いガソリンスタンドで最後の給油。トータルで82.72ポンドを支払い2台の車を満タンにしてひとまずターミナル3の駐車スペースへ行き荷物を降ろした。荷物を一時預けにするよう頼んだ宍戸、佐野、和田をそこに残し橋本、河合、HIROSがSixTレンタカーの事務所に着いたのは3時だった。返却手続きはあっけないほど簡単に終わり職員にターミナルまでの行き方を訊ねた。

「彼が連れて行きますよ。バスで。もちろん無料です」

 こういって職員は事務所の角に無言で立っていた無愛想な大男を指差した。その大男は金色の短髪にあごの角張ったがっちりとした青年だった。ドイツ人のように見えたが分からない。その彼がわれわれ3人をミニバスまで案内しすぐに出発した。

 

ターミナル3ビル

 

 ターミナル3ビルの中では荷物に囲まれた宍戸、佐野、和田がわれわれを待っていた。一時預けを試みたがとても高かったので断念したという。彼らが待っていたのは到着ゲートだったので出発ゲートへ移動した。橋本が白いバレーボールをもてあそんでいた。「これ、どないしょう」という。ワダスはそのボールを預かり、入国してきたインド人夫婦に「ボールいりませんか」とヒンディー語で話しかけた。彼らは驚いたようにワダスを見て英語で応えた。「今、ちょっと忙しいんだ」といいつつ駐車場方面にカートを転がしていった。

UK08
UK08

 大量の荷物を転がしつつわれわれは2階の食堂街へ。ここでだらだらと食べながら時間をつぶすという計画だった。実は2004年にも同じような状況で時間をつぶした。フライトを待つ人々でごった返す食堂街には白人よりもアラブ、アフリカ、アジア系の人々が多かった。われわれはイタリア料理コーナーに近いテーブルに腰を落ち着けた。それぞれパスタ、ペンネ、サラダなどを注文してテーブルに広げ、余っていた2本のワインで食べ始めた。宍戸はダイエット中なので何も食べなかった。

 マークから預かった携帯電話を郵送するため1階にあるはずの郵便局を探した。案内所で聞くと、ターミナル3には郵便局はなく別のターミナルにあること、そして今日は日曜日で3時までしか開いていないとのこと。帰国後、日本から郵送するしかないようだ。

 6時ころ大韓航空カウンターへ行くとチェックインを始めていた。簡単な出国手続きの後、免税店に取り囲まれた待ち合いスペースへ。免税店をぶらぶらしたがどの商品も高い。ロンドンでの買い物ができなかった和田や宍戸は大量に買っていたようだ。驚いたことに、和田も橋本もなんとン十万もの現金をもっているという。うーむ、財布に3万円しかないワダスとはラベルの異なる長者だ。ワダスはブルーチーズとマスタードだけを購入した。それでも1780円もした。橋本が黒革のバッグを見せて「ひひひひ、いくら思う?」と聞く。ぱっと見には高価に見えた。「いひひひひ、3000円なのよね」と安く買ったのを自慢する。

 20時20分、18番出発ゲートへ移動。ほとんど東洋人で座席の埋まった大韓航空KE908便は21時20分に離陸した。ビビンバの機内食を食べてエディー・マーフィの「デイヴ」を見つつうつらうつらとしてふと気がつけば仁川空港到着のアナウンスだった。すでに20日だ。狭い座席で何度も姿勢を変えながら寝ているような覚めているようなでもんもんとしたが、10時間はあっという間に経っていた。

前ページ 次ページ