10月18日(土)

 7時起床。窓の外はまだ薄暗い。海岸沿いの広い道路まで散歩に行った。この時間だとかなり冷え込む。遠くにブライトン・ピアが見えた。中は俗の極みだがちょっと離れてみると美しい。朝の穏やかな海の眺めも気持ちよい。河合と佐野が手すりにもたれて海岸を見下ろしていた。

「朝焼けがごっつうきれいばい。あれっ、おーっ、今日は何かあるんやろか。フォルクス・ワーゲンのバンが続々集まってきよる。ほら、また来よった。なんやすごい。ほおーら、またや。壮観やなあ」

 と佐野。河合もそれを受けていう。

「うわー、ごっついやんけ。まだまだ来よる。なんやろね。なんか、大会みたい。すっごく古いのもありますね」

 7時半に地下の食堂で朝食。ここは満英朝食はなくイタリア風料理の朝食だった。ワダスはスモークサーモンとスクランブルエッグ。自家製ジャムを塗り付けたトーストと一緒に食べた。和田と橋本も同じものを頼んだ。河合、佐野は薄いパンの上にオイルサーディンをのせて軽く焼いたもの。河合の切れっぱしをもらって味見したがとてもおいしい。
 サズ奏者のラティフとパールヴァティも朝食をとっていた。2人とも昨日の聲明に感動したといった。

 

ラティフとパールヴァティ

 

 パールヴァティが部屋に戻ったのでラティフとしばらくおしゃべり。トルコで子供時代を送り音楽を習った。その後アメリカに渡る。アメリカを拠点としつつトルコを往復しながら世界中で活動している。

「インド音楽の即興性と日本のデリカシーをあわせもった演奏だった」と昨晩のワダスの演奏を評した。

「Kirvaniというのはトルコ音楽のマカーム、Nahawandと似ているね」

「そうですか。以前、イランの音楽家ホセイニ・アリザデと一緒に遊んだ時、彼はKirvaniはイラン音楽のイスファハーンというダストガーと同じだといっていた。で、あなたの顔が見えたので選んだんだ」

「そうか。アリザデか。僕は個人的には会ったことはないが名前は知ってる。彼は素晴らしいミュージシャンだ。ひょっとしてバーンスリーのサッチデーヴは知ってる?」

「アメリカで活躍している人でしょう。もちろん名前は知ってるけど会ったことない」

「友だちなんだ」

 他に、今回のフェスティバルに招待された経緯やパールヴァティとの演奏、マネージャーはいないですべて自分たちでやらなければならないこと、などを聞いた。

 部屋にいったん戻って練習した後、外でタバコを吸っていると、パールヴァティが「私もタバコ」といいつつ現れた。紺色のくたびれた作務衣を着て、インドの修行僧サドゥーのようなよじれた長髪を腰まで垂らしていた。

「タバコは歌手には良くないんじゃないの」

「そうね。でも1日4本か5本よ。2年前に100歳で亡くなった私のグルはあきれるほど吸ってたし」

 表情豊かな精気に溢れる目をきらきらさせ笑顔を交えて彼女は自分のことを話した。ベンガルのブラーマンの家庭に生まれたが、放浪の歌手集団バウルのグルについて歌を学んだという。子供の時から音楽が好きで、古典声楽のカヤールを習っていた。しかし、インド音楽界のエリート意識と差別意識に嫌気がさしバウルの道に進んだ。そこで出会ったのが1人の老バウルだった。グルは自由でお茶目だった。グルには多くの弟子がいたが、彼女は最も可愛がってもらった。多分、自分が唯一の継承者になるだろう。シャーンティニケタンのタゴール大学にいたとき、日本人留学生のサクラコと寮で同室だった。そんな縁で日本にも行った。山岳修行のために大峰山に登ったり、能役者と共演したこともある。ケーララ州のアーティスティック・ディレクターの夫とトリバンドラムに住んでいる。カタカリやクーリヤッタムなどのケーララの伝統芸能公演をプロデュースしたりする夫は世界一重い人形劇の使い手でもある。片手に10キロの人形をもって操る。

 ワダスのバナーラス時代の話などをした後、インド系作家について彼女に訊ねた。サルマン・ラシュディーは『真夜中の子供たち』が良かったがその後の作品は難解すぎると批判した。ワダスは、そうともいえるけど『恥(シェイム)』も悪くないと申し述べた。ワダスがインド留学の前に読んだ『インド・傷ついた文明』に感心したVS・ナイポールはどうだと聞くと、最近になってイスラームを批判しているので嫌いだという。『停電の夜に』を書いたジャンパ・ラヒリは好ましい。非差別カーストに対する不公正を糾弾し続けるアルンダティ・ロイは頑張っていると評価した。ワダスが思いついたインド系作家たちの作品を読んでいてかつ自分なりの批評眼をもっている。こういうインド人は珍しい。20代後半くらいだろうと思っていたが現在32歳だという。自分の意見を一方的に饒舌に語る一般のインド人インテリにはない謙虚な純粋さを感じた。帰国後、そのとき彼女からもらったCDを聞いた。1弦のエクターラとドゥブキという太鼓だけの伴奏ののびのびとした素晴らしい歌声だった。時間があればもっといろいろと話したかったが、出発時間が迫っていた。部屋に戻って大急ぎで荷造りした。

 

ノッティンガムへ移動

 

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 11時にホテルを出た。今日は最後の公演地ノッティンガムへ移動だ。ブライトンからまっすぐ北上する190マイル(約300キロ)の行程。ナビーは約4時間ほどかかると表示していた。ノッティンガムのホテルは3時チェックインなのでゆっくり走っても十分間に合う。M23からロンドン大環状のM25を抜けてM1の単純なルートだった。

 途中のサービスエリアで給油。ディーゼル55.8L(1.259/Lで63ポンド)、無鉛ガソリン35.14リッター(1.079/Lで36.41ポンド、うち9.37と5.42が付加価値税)。喫茶コーナーを見たとき、ふと紅茶用に積み重ねてあったマグカップでミニヌードルを食べようと思った。数日前に河合にもらったものだ。1杯1ポンドの紅茶を飲むにはマグカップにティーバッグを入れて熱湯を注ぐ。ティーバッグの代わりにミニヌードルを入れて湯を入れレジにもっていった。お湯だけで1ポンドを払うのは釈然としないが仕方がない。レジにいたインド系青年に「お湯だけだが、いくら?」と訊ねた。青年はカップを一瞥して手を振った。ゼニはいらないからあっちに行け、というしぐさだった。ちょっと得した気分でミニラーメンをすすった。イギリスにいることが日常になったという気分だった。

 

Inkeeper's Lodge

 

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 3時にノッティンガムのホテルInkeeper's Lodgeに到着した。ここは4年前にも泊まっているので見覚えがある。緑の多い閑静な表通りに面した部分はToby Carveryという全国チェーン居酒屋になっている。カーヴェリーとは、辞書によれば客の好みに合わせて肉を切り分けるイギリス特有のレストランとある。葡萄色の壁に構造体の黒い柱が浮き出た2階建ての建物の正面が入り口だった。店内はかなり広い。われわれの泊まる宿泊棟はレストランの奥を上がったところにある。前回泊まっときは坂を上がった宿泊棟専用レセプションから出入りした記憶がある。今回もそうだろうと思ってその付近に駐車したのだが、かつてレセプションのあったドアには、チェックインはレストランで、という張り紙があった。

 客で混雑したレストランのバーカウンターにいた若い女性に聞くとチェックインはここだという。坂の上で待機していたお坊さんたちは車を下に移動させレストランに荷物を運び入れた。食事をしていた客たちは、おおきなスーツケースを転がして入ってきた東洋人男性スキンヘッド集団に驚いたに違いない。カウンターに近い席にいた中年夫婦はじろじろとわれわれを見ていた。

 マークが予約していたのはすべてツインベッドのあるシングル・ルームだった。102が河合、104が佐野、108が宍戸、109がHIROS、202が橋本、209が和田。部屋はかなり広くて気持ちがいい。バスタブはなかったもののバストイレも広々としていた。

 荷物を展開した後しばらく練習したり、費用の計算などの事務をしていると、佐野がノックしてきた。

「すんまへん。あのお、鍵を部屋の中においたままロックしちゃった」

 レストランの青年に頼むと「いいよ」といって合鍵で開けてくれた。よくあることなのだろう。

 

Lakeside Arts Center

 

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キャサリン
ロブ
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リチャード
ニールのボス
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ニール
ロブとリチャード
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 ホテルから会場のLakeside Arts Centerへは10分もかからない。薄暗くなった6時に着いた。この会場も2004年に来ているのでよく覚えている。ノッティンガム大学の広大なキャンパスの中にある。正面入り口の向かいは小さな湖になっている。玄関ドアを開けると公演担当者のキャサリンが笑顔で迎えてくれた。肩までの焦げ茶の髪にメガネ、黒い瞳、胸が大きく開いた薄いカーディガン、胸元に金のネックレスが光っている。30代中頃だろうか。

 ホールに案内されると、次々とスタッフを紹介された。短い赤毛の小柄な青年がロブ。本業は照明だが今回は舞台全体とPAをまかされている。赤いシャツを着たひょっろっとした青年が照明助手のリチャード。スーツにネクタイという青年がわれわれの連絡係、ニール。くそ真面目だがどことなくドジを踏みそうな感じの青年だった。傍らに良家のお嬢さんという清楚な雰囲気の女性が付き添う。白い半袖のブラウスと茶のスカートを着けている。彼女は大学院生だといっていた。ニールは彼女を「僕のボスなんです」と紹介した。

 そのニールが、恐ろしく真面目な表情で全員を引き連れて火災時の避難経路を説明した。こんな説明を受けたのは今回のツアーでは初めてだった。

 ロブらスタッフと舞台の打ち合わせ。寄せ木の床が舞台だった。客席は舞台床面から階段状にせり上がり、舞台を見下ろす構造になっていた。席数は16席×13列の198席。コースターのついた冷蔵庫くらいのPAアンプ類と左右の小さめのスピーカーは前回同様にあったが、生音でも十分に響く空間なのでマイクは使用しない。ただ、ドローンをiPodから取るのでスピーカーは使う。掛け軸を高い天井からつり下げるためリチャードがアルミ梯子をもってきた。キャサリンに香炉で線香を焚けるかと訊ねた。建物管理者の確認をとってきて「OK」といった。香炉は客席に近い床に直に置くことにした。

 会場整理係をしていた若いベトナム系女性に公演中の撮影を頼んだ。ここの女子大生だった。「こういうのはてんでだめ」という彼女に「ここを押すだけだから」とカメラを押しつけた。後で見ると、彼女は10枚以上も撮影してくれたがほとんどピンぼけだった。

 細長いスペースの楽屋も前回と同じだ。カウンターの上にハム、キュウリ、にんじん、トマトなどの生野菜、豆類、ナッツ類などの盛られた白い皿が置いてあった。乾燥しないようにラップで覆われている。食べ物が用意されていることはありがたいが、あまり食欲をそそらないたたずまいだ。2004年にここで演奏したときの、皿に盛られた生モヤシの生臭さを思い出した。こういう食べ物を供するのがここの伝統であるらしい。皆は生野菜などを除いて食べたが、ほとんどは食べ残した。

 楽屋と舞台の間の廊下に青年が1人座っていた。楽屋連絡係兼ドアマンだった。彼は別の大学で数学を専攻する学生で、今日はアルバイトだという。

UK08
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ツアー最後の公演

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 ツアー最後の公演は7時半開演だった。客席は7割ほど埋まっていた。プログラムは前夜とまったく同じで休憩を挟む2部制。ロブのiPod操作、タイミングはばっちりだった。演奏の質としては昨晩の方が良かったかも知れない。ただ、最後だということで力みが取れリラックスしたものになった。Q&Aは橋本に頼んだ。前夜に引き続き、彼は世界のあらゆる苦悩を一身に背負ったような表情で質問に答えた。公演自体は、アカデミックかつ淡々とした会場にふさわしい余韻の少なさだった。

 最後の挨拶をしにきたキャサリンに、このツアーのためにもってきた薄い座布団をすべて進呈した。薄いスポンジにイグサでカバーされた極安座布団に彼女は喜んでいた、ように見えた。

 10時前にホテルに戻り居酒屋レストランで打ち上げ。数少ない客がときおり嬌声をあげるが広い店内は閑散としていた。食べ物は10時までというのでビールとワインのみ。公演内容にはほとんど触れなかった。話題は明日の予定。みんなの気持ちはほとんど明日の帰国に向いているようだった。

 11時、部屋に戻って12時ころ就寝。

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