10月12日(日)

 7時起床。3階の食堂で、クロワッサン、洋梨、エスプレッソのコンチネンタル朝食の後、レセプションのコーナーにあったeMacでメールをチェックした。このホテルは、部屋でもWi-Fiが使えるのだが、ワダスのiBookG4は設定の関係からかうまくインターネットにつながらなかった。ウェブ・ニュースはサイパンからロスに移送された三浦和義が自殺したなどと伝えていた。

 タバコを吸いに1階へおりようとエレベーターに乗った。1階に着いたが扉が開かない。3階に戻ると扉は開く。再び1階のボタンを押すとガタンと下降して1階に着いたがやはり扉は開かない。仕方がないので再度3階に上がって別のエレベーターを待って降りた。街は昨晩のお祭り騒ぎがウソのように閑散としていた。

 チェックアウトのときに駐車券をもらう。1台5ポンドだ。カウンターにあったリンゴを2つもらう。橋本と河合に駐車券を手渡し、佐野、和田、宍戸、ワダスは1階に荷物を固めて車を待った。大量の荷物の積み込み手順にも慣れてきた。SHARANに橋本、宍戸、HIROS、Poloに河合、佐野、和田が分乗して11時にホテルを出発した。

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ノリッチに向かう


 ナビーは、今日の目的地であるノリッチには14:37到着と表示していた。今晩のホテルは4時以降しか開いていないということなので時間はたっぷりある。マークの迷走ルートのせいでロンドンを迂回するM25からM11へと逆走するコースになる。

 M25へ入る手前のM4を走っているとき、小さな青い車がふらふらしながら走っていた。よく見ると走りながらハンドルに突っ伏して居眠りをしている。橋本が声を上げた。

「やっべえー。あいつ、寝てたやんけ。絶対事故るやん、あんなんやったら」

 追い越してしばらくすると、その車が猛烈なスピードで追い越して行った。

 13時ころ、M25沿いのサービスエリアに入った。建物に見覚えがあった。2004年に、左足親指の付け根が猛烈に痛み出し、池上良慶にマッサージしてもらった場所だ。みんなバラバラに散っていたが、ワダスが外のテーブルでラザニアを食べていると集まってきた。もっとも宍戸は別行動をとっていた。サラダ、ラザニア、ミネラルウォーターで10ポンド。2000円というのはいかにも高い。

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 広いバルコニーの木の床に散らばる白いテーブルは満席だった。皆は余ったイスを集めてきた。陽光が強くまぶしい。冷たい風がときおり吹くものの日向ぼっこには最適な気候だ。河合は「きっもちいいっすねえ」と太陽に向かって目をつぶる。橋本が巨大ハンバーガーを両手にもち「でっけええ。何考えてんだ、ほんま」といいつつかぶりつく。それを見た佐野がすかさず自慢げに申し述べる。

「ほら、ぼくのはミニバーガー。ちょうどいい」

「これって、ぼくの頼んだのとちゃうんやけどなあ」

 和田が紙箱をごそごそと開ける。

 

軽油1リッター250円

 

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 サービスエリアで初めて給油した。とりあえず空いたスタンドに車を寄せる。セルフ方式だ。和田が備え付けのビニールの手袋をつけてSHARANに給油した。SHARANには1リッター1.249ポンドのディーゼルが71.61リッター、Poloには1リッター1.129ポンドの無鉛ガソリンが40.5リッター入った。ディーゼルの方が高い。1ポンド200円とすればディーゼルは1リッターあたり250円だ。コンビニを兼ねた事務所でスタンド番号を申告して支払った。付加価値税17.5%込みで112.11ポンド。

 道中、ヒースローでわれわれを迎えてくれた柳沢さんから電話が入った。ロンドンからバスでノリッチに向かっているが、途中で事故があり会場到着が遅れること、笹川基金の助成金の残りの一部を会場で手渡したいという。また、アリスという知り合いの女性と友人が来る予定なので主催者に連絡してほしいとのこと。

 

ノリッチ到着

 

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Wensum Guest House

 低層の古い住宅街に入った。ノリッチの町だ。ゆるやかな坂になった住宅街の一画にあるWensum Guest Houseの駐車場に着いたのは15時45分だった。こじんまりとした2階建ての建物だ。マークからの事前連絡では、4時以降にならないとホテルの人は来ないという。入り口の呼び鈴を押しても応答がなかった。玄関扉に、応答がない時は下記の番号に電話せよ、と書いた紙が貼付けてあったので電話した。ダリアと名乗る女性が出た。

「ハーイ、日本人団体ね。聞いているよ。今そっちに向かっている。5分で着くから待ってて」

 4時ぴったりにダリアの車が着いた。若い男たち3人も一緒だった。ダリアは20代後半か30代前半の美しい女性だった。彼女に部屋を案内され、ひとまず落ち着いた。部屋割りは昨日と同じで、1階の#15が橋本・和田、#17が佐野・HIROS、2階の#19が河合・宍戸。こじんまりとして清潔な部屋だった。客の出入り口はチェックインカウンターのあるメイン出入り口とは別にもあり、その鍵も渡された。ワダスと佐野の部屋はその出入り口のすぐそばなので、タバコのために外へ出るのに都合がいい。外には、暖かい日であればそこで食事をしたくなるようなイスとテーブルのセットが2組あった。Wi-Fiも使えるのでiBookで接続を試みたがやはりだめだった。ウィンドウズのマシンでなければダメなのかもしれない。

 佐野がでかいトランクを開けさまざまなものをベッドに展開している。日本を出るときに皆に見せびらかせたiPhoneで現在位置を確認したり地図でファイルを見ながら明日の行程を確認する。今回はナビーの出現でその役割は減ったが、彼女がいなければ佐野のデータ依存度は高かっただろう。佐野はこまごまとした行動のたびに「よしっ」とか「あれはこうで、と」「何がかにして」とか声を発する。ワダスはそれを聞きつつ机に向かいiBookに会計の計算や日記データなどを書き込む。

 今晩の主催者に電話をするが、これまでの公演地でも同じようにやはり留守電になっていて、入り時間などを相談できなかった。

 

お坊さんが練習

 

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 部屋で練習していると、七聲会のメンバーも外に集まって練習を始めた。今回のツアーでは初めての練習だった。昨日の公演の乱れを反省したようだ。イギリスの地方都市の静かな住宅街でお坊さんたちの朗々とした声を聞くのはなんだか不思議な気分である。ワダスは部屋を出て彼らの練習を直に聞きに外へ出た。

 橋本が宍戸にいう。

「お前、回向文のときい、合わせよう合わせようとしてへんか」

「うーん、そうなってますか」

「あれは、しっずかな湖畔の森の木陰で、みたいな輪唱だけど、先行のお前がなあーんや合わせよう思うてかしらんけど後行きのおれらに近づいてきよるんよ。そない思わへん」

「そうですか」

 宍戸が遠慮がちに申し述べる。

 最も年長の佐野が、

「知らんうちにそうなりよるばい、気いーつけなあかんたい」

 河合と和田は橋本の主張に反論せずじっと様子を伺う。

 七聲会のメンバーはワダス以外は浄土宗の僧侶である。僧侶の世界の上下関係、先輩後輩関係はワダスのような部外者には分かりにくい部分があるので、ワダスも口を挟みにくい。

 

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楽屋
左からアリス、クミコさん、柳沢さん
クスクス・ディナー

Norwich Arts Center

 

 あたりが薄暗くなった6時、SHARANで会場へ向かう。会場は、なんとなく場末感ただよう通りに面した芝生の庭の奥にあった。石造の古い教会を改造したものらしい。右手のドアから入ると受付になっていた。メイン出入り口の横に出窓があり、縞模様の小さな猫がガラス越しにきょとんとワダスを見てあくびをした。受付では男性1
人がコンピュータや各種チラシの置かれた机の向こうに座っていた。

「日本からきた仏教僧ですが、あなたがイアンですか」

「ああ、いらっしゃあい。いや、僕はイアンじゃない。ちょっと待って。今呼んでくるから」

 彼が奥へ探しに行った。まもなく「やあやあ」とイアンがやってきた。30代の中背の男だった。イアンの指示で車は路上に駐車した。6時以降は取り締まりがないからという理由だ。

 まず案内されたのが控え室。女性トイレの表示のあるドアを開けて階段を上ったところが控え室だった。天井の低い緑色の壁の部屋で、大きなテーブルやイスが並んでいた。全員が入るとかなり狭い。

 ついで公演会場である1階のホールに案内された。会場の床は受付のフロアーから数段下りた位置にあった。中央の階段を大きく囲むように左右にスロープのついた通路があった。1メートルほどの高さの舞台とスロープ通路に挟まれた空間が客席である。イスが円弧状に並べられていた。古びたレンガ壁と高い天井の歴史を感じさせる空間と、天井から吊られたバトンだらけの舞台や周囲の仮設パイプ照明架台が対照的だ。

 イアンは背の高い細身の青年、ポールを紹介してどこかへ行ってしまった。ポールは舞台上のごついモニタースピーカーや舞台に向けて立てられた数本のマイクスタンドを指差して「こんなんでどない」という顔を向ける。

「こんなにマイクはいらないよ。それにモニターも使わない。iPodをつなげたい」

「OK。じゃあ片付けるね」

 彼はあっさりと応えた。

「iPod? 全然大丈夫。どれ? うーん、これってどうやってプレイにするの? あっ、こうね。OK」

「掛け軸を舞台正面に吊りたい」

「OK。どんなやつ? ああ、全然問題ない。だあいじょうぶ。もうじき照明の担当がくるからそのときに場当たりをしよう」

「線香を焚きたいけど、ここはOKですか」

「うーん、消防法の関係があるからねえ、聞いてみないと、なんともいえない」

 マイクやiPodのプレイタイミング、キュー出し、お坊さんたちの位置決め、出入りなど、ポールのてきぱきとした対応で準備は順調に進んだ。照明の場当たりだけを残す段になって、肝心の照明係がなかなか現れない。ポールやイアンも「おっかしいなあ。6時には来ることになっているんだけど」とつぶやく。そうこうしているうちに開演時間に近づいてくる。舞台でしばらく待っていたが結局、照明係は現れないのでわれわれは控え室に戻った。

 外でタバコを吸っていると、薄暗くなった道路から柳沢さんが現れた。肩までの茶の縮れ毛をしたイギリス女性と小柄な日本人中年女性と一緒だった。

 イギリス女性はアリス、日本女性はクミコさんという名前だった。細身のすっきりした表情のアリスは、大学教授の夫をもつイギリス唯一の和太鼓製作者。柳沢さんによれば最近ではプロレベルの楽器を作れるようになったらしい。2年ほど韓国のお寺やインドネシアにいたこともあり、アジアの芸能に関心をもっていた。

 クミコさんはイギリス人の夫とともに6年前からノリッチに住んでいる。自身はデザインをするといっていた。

 3人を楽屋に案内した。柳沢さんは、電話で頼んでいたワインとつまみ類の入った紙袋を見せつついった。

「なかなかこれを買うのに苦労したのよ。それと、はい、これ。300ポンドです。仮領収書にサインして下さい」といって現金の入った封筒を手渡した。

 開演の8時まで時間があったのでホールの様子を見に行った。照明係はまだ来ていなかった。イアンは、ま、なるようにしかならないといいつつ客席のイスを並べていた。開演と同時に舞台に香を運ぶ予定の宍戸がやってきた。

「ええと、確認ですけど、わたしはこの後のドアから右のスロープを通って舞台に出るんですよね。で、同じ経路で戻ると」

「そうですねえ。ただ、舞台袖で待機している僕からだと見えにくいですね。どうしよう。じゃあ、同じ経路で戻るのを止めてそのまま待機中の僕のところまで来るというのはどうですか。で、僕は宍戸さんを確認して舞台に上がると」

「分かりました。ええと、右のスロープで間違いないんですよね」

 楽屋で話し合った内容とは違ってきたためか、彼は何度も念を押した。

 本番近くなって、階下のレストランの背の高い男が食事を運んできた。大量のベジタリアン・クスクスとサラダだった。なんと割り箸までついている。ちょっと味見してみた。なかなかにおいしい。お腹はすいていないという柳沢さん、アリス、クミコさんにちょっとお裾分けした。演奏前には食べないのでパックしてほしいと大男に頼んだ。

 公演はほとんど昨日と同じだった。ワダスのソロはAhir Bhairavという朝のラーガにした。七聲会の演奏時間は昨日よりも短くまとまってとてもよい仕上がりだった。ホテルでの練習や、左耳が難聴である佐野の配置を左端に変えたせいもあるのだろう。聴衆は70人ほどか。

 今日のQ&Aコーナーは橋本とワダス。客から「あのような迫力のある声はどこから出るのか」の質問に自分の口を指差し、「メロディーは誰が作ったんですか」には正面に吊るされた阿弥陀来迎図の掛け軸を指差す。うーん。笑いを取りたい気持ちは分かるがちょっとあんまりだ。

 楽屋に戻って着替えをしているところへ柳沢さん、アリス、クミコさんが入ってきた。柳沢さんは「Q&Aのとき、HIROSも演奏者だから誰か第3者が入って質問する方がいいと思います」と申し述べる。ワダスの演奏についての質問もあるので、お坊さんの通訳のように見えているワダスのポジションが曖昧に映っているという。

「じゃあ、カンタベリーのときは晶子さんに通訳をお願いしようかなあ」

「いいわよ。絶対その方がいいと思う」

 アリスが、明日の午前中に自分のスタジオを見に来てほしいといったので承諾した。

 アリス宅に泊まる柳沢さん、自宅に戻るクミコさんと別れ、10時近くに会場を後にした。

 ホテルの外のテーブルでワインとクスクス・パックの打ち上げだった。話題は公演の反省点、内向き志向の日本仏教、橋本の宍戸への説教など。和田や佐野も宍戸を諭していた。個としての自立を尊重する若い宍戸には、先輩のお坊さんたちにいいたいことがいっぱいあるようだった。お坊さんになるのもなかなか大変のようだ。やりとりを聞いていると体育会系クラブの反省会のように思える。

 しゃべり足りない宍戸が部屋にやってきて結局2時くらいに就寝。ツアーではどうしても寝不足になる。

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