10月13日(月)

 7時起床。曇り空だった。3日ぶりの満英朝食。もう体が脂肪とコレストロールを欲している。これが習慣化したら日本に帰ったらどうなるんだろう。

 当初は10時ころに出発するつもりだったが少し早めに出ることにした。何しろ今日はMのついた高速道路は通らず地道を183マイル、約300キロの移動だ。300キロというと神戸から富山くらいまでの距離である。日本で調べたグーグル情報では約4時間2分かかることになっていた。

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 ホテルを9時に出発した。SHARANKに橋本・和田・HIROS、Poloに河合・宍戸・佐野が搭乗した。出発前、アリスの家に泊まっている柳沢さんの留守電に、昨日約束したアリスのスタジオ見学やプレゼントの海苔もお断りしたいとメッセージを入れた。車の移動なのでヨーク到着時間の計算ができないし、できるだけ早くヨークに着いて公演のない今日を楽しみたかった。今日はツアーの中で唯一の休みなのだ。

 ナビーにヨークのホテルのポストコードを入力した。大急ぎで計算した彼女は到着時間を12:46と表示した。ヨークのホテルのチェックイン時間が3時なので余裕をもって移動できる。

 A17の田舎道をひたすら北上する。高速道路ではないのでたびたびラウンドアバウトに出くわす。そのたびにナビーのやさしい声を聞く。彼女はもはやツアーメンバーの1人といっていいほど親しい存在になっていた。イングランド南西部よりも起伏の少ない平地が延々と続く。100メートルもあろうかという自走式散水機がときおり見えた。美しい風景だが退屈でもある。

 

果物ベストスリー

 

 時間つぶしのため同乗の橋本と和田にくだらない質問をした。(1)出身高校、(2)好きな果物ベスト4、(3)寿司屋で最初に頼むネタ、(4)今一番食べたいもの。

 橋本は、(1)大成高校剣道部実質帰宅部、(2)みかん、いちご、スイカ、ザクロ、(3)卵焼き、(4)梅茶漬け。みかんというのは和歌山出身のためか。ザクロは意外だ。寿司屋で卵焼きをまず頼むというのは、寿司を食べ慣れているということか。彼は子供時代から寿司を食べていたという。

 和田は、(1)宮川高校軟式テニス部、(2)梨、桃、さくらんぼ、10キロ走時のみかん、(3)赤身、(4)大根煮。同じ質問をこれまで何人にもしているが、梨が一番好きだという人はたぶん初めてだ。大根煮というのは分かるなあ。赤身をまず頼むのは安定志向といえるか。

 途中休憩のためカフェに入ったときにPolo組にも同じ質問。

 宍戸は、(1)朱雀高校、(2)いちご、さくらんぼ、はっさく、(3)卵焼き、(4)ざるそば。山形名産さくらんぼがリストアップされているのが好ましい。それにしても、ざるそばとは。そば、といえば圧倒的に山形が世界一だと断言できるが、京都にはおいしいざるそばはあるのだろうか。

 河合は、(1)東山高校、(2)リンゴ、バナナ、みかん、(3)マグロ、(4)きつねうどん。

 日本では育たないバナナが2番というのは意外だ。マグロをまず頼むというのは和田と同じ。彼は一番若くていつも元気だが、あんがい安定志向なのかも知れない。東山高校と聞いた宍戸が「親父が先生だったんだ」と応じて盛り上がる。河合の父も同じ高校の先生だったよし。

 佐野は、(1)豊津高校、(2)みかん、キウイ、イチゴ(甘王)、(3)イカ、(4)ゴボテンうどんという結果だった。イカをまず注文するのは鮮度のいいおいしいイカを日常的に知っているということであろうか。かけうどんでも天ぷらうどんでもきつねうどんでもいいのに、なぜゴボテンうどんなのか。

 それにして、皆それぞれ違うものだ。橋本は、寿司屋で最初に頼むネタはその店のレベルをはかる意味で絶対に卵焼きだと主張した。宍戸も同意見だと聞き、「なんでお前と一緒なんだよお」と申し述べる。質問の後、誰もワダスに聞いてくれないようお、と申し述べると、宍戸が申し訳なさそうに聞いてくれた。いったいに七聲会の人たちは、ワダスが質問してほしくないオーラを発しているという幻想をもっているのか、あるいは遠慮があるのか、ワダスへの個人的な質問をしない。ワダスは訊いてほしいのに、ちとさびしい。

 ちなみにHIROSは、(1)長井高校ブラスバンド、剣道部、(2)桃、さくらんぼ、洋梨、ブドウ(3)鯛、(4)納豆メシ。

 ヨークに近づきつつあったので、ワダスは切り取ったきたロンリープラネット・イギリス版日本語訳のヨーク案内を橋本と和田に向けて読み上げた。このガイドブックは久代さんも一部翻訳者として加わっている。

「ヨーク:その始まりから
 歴史のどこかの時点で、誰もがこの土地を手に入れようとしたのではないだろうか。紀元後71年、ローマ人はここにエボラクムEboracumと呼ばれる砦を築いた。・・・その後はたいしたことは起こっていない。18世紀のヨークは、文化と新しい競馬場に惹かれて集まってきた貴族たちの華やかな社交の場となった。1839年に鉄道が開通すると、製菓など新たな産業も次々と誕生し、何千もの人々が雇用された。20世紀にこうした産業は衰退したが、その頃には新たな侵入者たちがやってきて、都市の入り口で道をたずねるようになっていた。手にガイドブックをもって」

 観光案内のガイドブックというのはやはりつまらない。

 空はしだいに暗くなり小雨がちらつくようになった。

 こんなことをしつつ北上中、柳沢さんから電話が入った。明後日のカンタベリー公演にも来る予定という。また、マークからはロンドン公演の担当者の電話番号をメールで知らせてきた。

 

ヨークの市街地

 

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パーク・イン

 そうこうしているうちにヨークの市街地に入った。大学の通りを過ぎて石畳の下り坂をおりると正面に橋が見えた。ウーズ橋だ。橋の向こうに大聖堂がちらっと見えた。その橋を渡らずに左折してNorth Streetをしばらく行くと今晩泊まるパーク・インだった。ウーズ川に沿って建つ10階建てくらいの面白みのない長方形のビルだった。

 3時のチェックインまで1時間ほどあったが、部屋の用意はできているということでそのままチェックインした。きれいに禿げた丸顔の男が宿泊手続きを淡々とこなす。40代前半だろうか。これまで一度も笑ったことのなさそうな表情だった。その表情を見てインド人のサントゥール奏者、サティシュ・ヴィアースを思い出した。

 いったん2階に上がり長い通路を通って別棟のエレベーターに乗る。部屋は3階だ。古いエレベーターががくんがくんと鈍重に動く。部屋割りは、#218が佐野・HIROS、#219が河合・宍戸、#220が橋本・和田。部屋は通路をはさんで川側と道路側に分かれている。われわれは道路側だった。ツインベッドのある室内は広く清潔で気持ちがいい。大きなバスタブもあった。

 お坊さんたちがこれまでためた汚れ物の衣類を洗濯したいというので街のコインランドリーを探しに街へ出ることにした。外は細かな雨が降っていて寒い。流れのないどんよりとした川にかかる古いウーズ橋を渡る。石畳の2車線の道路の両側には中世から変わってなさそうな灰色の石造の建物が続く。たいていの建物は1階が商店になっていた。本屋、銀行、電気屋、金物屋、理髪店などが並んでいる。そうした通りをしばらく歩くと、ザ・トイレットという年代物の公衆便所の建物があった。そこを右に折れ、ホテルの人に教えられた道をしばらく歩く。新旧の建物が混在する広い通りの家具屋でコインランドリーの場所を聞いたが、客の誰もいない店内にぽつんと座っていた中年男性が「知らないな。うーん、あっ、ちょっと待てよ。たしかもっと先にあったかも知れない」と要領を得ない返答だった。商店が切れてほとんど住宅だけの通りを、洗濯物の入ったショッピングバッグを手にした日本人スキンヘッド集団が歩く。年配の女性に聞くとたちどころに教えてくれた。途中で明日の公演会場であるNational Centre for Early Musicの案内標識を見かけた。これなら明日は雨でなければ歩いて来れるかも知れない。

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コインランドリー
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コインランドリー

 

 よほど注意して見ないと分からない場所にコインランドリーがあった。隣はカフェになっていたが閉店していた。中年の割とだらしない感じの女性がレジに座っていた。回転ドラム式洗濯機の使用料は1台3.8ポンド。仕上がるのに30分かかるという。その間、カフェかパブで時間をつぶすことにして皆で店を出た。

 すぐ近くに市の城壁があった。旧市街の境界になるのだろう。城壁は歩道になっていて人が歩けるようになっていた。われわれも歩いてみた。手すりもガイドもない石の道は開放的で気持ちよい。散歩には最適だ。家々や道路を見下ろしながら歩いた。ところが途中でワダスの腹部ににわかに異変が起こった。突き刺すような痛みが腹部を移動し直腸下部を刺激しつつあった。どこかでトイレを見つけなきゃ、ということでクリーニング屋に近いところのパブに駆け込んだ。皆がビールを飲んでいるころ、ワダスは暗くてとても清潔とはいえないトイレの中で、ポンド紙幣を印刷物がわりに眺めつつ用事を務めたのであった。お腹の緊急的混乱はいったん終息したもののまだどこかに再変調のきざしを感じた。ワダスは皆と別れて1人ホテルに戻ることにした。

 小雨の中をウーズ橋を渡り川沿いに歩いた。ホテルの手前にAgrosという電化製品の店があったので入ってみた。ガラス越しにiPodのポスターがあったのでひょっとしたらiPod用のFMトランスミッターがあるかもしれない。がらんとして店内には客が2、3人いた。案内所の女の子に聞くと、分厚いカタログを取り出して調べて、これですか、と指差す。シガーライターから電源を取るタイプで値段は14.99ポンドだった。即座に注文し伝票をと番号札をもって商品受け取りカウンターに行った。客は1人もいないしカウンターの上のディスプレーにはワダスの番号が表示されているというのに、商品がなかなか出てこない。カウンターの商品棚から鼻ピアスをしたあんちゃんがようやく商品を手にもって現れ、ほれ、という感じでカウンターに置いた。

 ホテルに戻りしばらく岸田秀の『古希の雑考』を読みつつトイレに座った。この儀式にはどうしてもちゃんとした印刷物が必要だ。さきほどのように、パブの暗い室内でポンド紙幣を読みながらでは正しく出ない。お腹の混乱もおさまった。

 iBookを開くとメールが受信できる状態になっていた。しかしどうしても送信できない。メーラーの設定が違っているのかも知れない。ともあれ受信フォルダーにはたくさんのメールがどんどんたまる。マークからもメールが来ていた。彼はワダスが常時メール接続環境にあると思っているようだ。ヨークの担当者が明日何時に会場に入るか聞いているという。そのメールを呼んでいたら当のヨークの担当者ジルから電話が入った。彼女にプログラム進行と舞台で必要なものを説明した。

 久しぶりに風呂に入った。ぬるい湯につかって本を読むのは最高である。なかなかに落ち着く。『古希の雑考』はなかなかに面白い。人類の歴史を唯幻論で理解するとどういうことになるのか。ちっょと乱暴な展開とも思えるが、白人は元来黒人として発生した人類のアルビノ(白子)が差別を受けて北方に移動したのだ、などという彼の明快な断言が気持ちがいい。

 ホテルから歩いて5分もしないところで中華バイキング店Jumboを発見した。かなり大きな店だった。表通りからガラス越しにさまざまなおかずが並んでいるのが見えた。肉類も多いが、焼きそばや野菜炒め、焼き飯なども見える。食べ放題で8.99と書いてあった。悪くない値段だ。今晩はここで食事にしようと決めた。皆も喜ぶだろう。
 再び部屋に戻って練習していると佐野が入ってきた。30分以上はかかったがいちおう洗濯をすべて終えて市街を見物しつつ皆で戻ってきたという。

 

中華バイキング

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 6時頃、皆を引き連れてJumboに行った。久しぶりの非英国食に皆興奮している。ノリッチからの道中でランチをとっていないのと、野菜渇望感で猛烈な食欲だった。ワイン3本もあっという間に飲みつくした。特に宍戸の食欲には鬼気迫るものがあった。てんこ盛りの大皿を3回もお代わりし、すごいスピードで口に入れる。最後の10すくいほどのアイスクリーム山もあっという間に片付けた。

 コンビニで水、リンゴ、桃などを買って部屋に戻った後、河合と夜のヨーク散歩に出た。日中の雨はほとんど上がっていたがときおり小粒の雨が落ちてきて肌寒かった。旧市街の細い道路、ライトアップされた堂々とした大聖堂、2階の張り出し窓が道路に突き出ている古い住宅、左右がゆがんだ三角屋根、大聖堂前の写真撮影青少年団体、アールグレイしか扱わない紅茶屋、閑散とした路上マーケット。1時間20分ほど街を歩き回り部屋に戻ったのは9時すぎだった。佐野はもう寝ていた。『古希の雑考』を開いてまもなく10時すぎに就寝。

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