10月15日(水)

 7時起床。満英朝食の後急いで定例用事を済ませ荷造りした。この日は早めに出発することにしていた。この日の目的地はドーバー海峡に近いカンタベリーだ。イングランドのほぼ北端から南端まで縦断する257マイル(413キロ)の移動である。途中の休憩も入れると5時間以上になる。

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 ホテルを出たのは9時。今日はSHARANに橋本・佐野・和田、Poloに河合・宍戸・HIROSが乗った。市街地を抜けてまず燃料を補給した。SHARAN用にディーゼル34.3リッター(1.259/リッター、43.18ポンド)、Polo用に無鉛ガソリン32.93リッター(1.079/リッター、35.53ポンド)を満タンにし、A1036からA64、高速のA1をひたすら南下した。ヨークを出た時は曇り空だったが南に下るにしたがって空は明るくなった。

 

車内は日本

 

 相変わらず美しいとはいえ道中の景色は退屈だった。運転する河合の気を紛らすために助手席のワダスはサービスに勤める。ジョークを連発し、それに飽きるとiPodに貯めている落語や美空ひばり、石川さゆり、クイーン、ビートルズを流した。三遊亭円歌の「中沢家の人々」や美空ひばりの「悲しい酒」を聞きながら高速道路を走っているとイギリスを旅しているとはとても思えない。まるで中央高速で信州あたりを走っている気分だ。

「ラジオ版学問のススメ」の山折哲雄のトークも聞いた。滑舌の悪さと高音のせいで聞きとりにくかったが、なかなかに面白い話題だった。多神教と一神教の違い、人間や動物ばかりではなく山も川もあらゆる生き物も皆ホトケであるという思想(山川草木皆悉成仏)を特徴とする日本仏教の汎人類性などなど。後の座席の宍戸がそれを聞いて、この人は好きではない、とつぶやく。その理由をいつか聞いてみたいものだ。

 

カンタベリーのホテル

 

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 サービスエリアで2回ほど休憩をとりカンタベリーの街に着いたのは3時だった。カンタベリーは英国国教会の権威をヨークと争ったという大聖堂がある古い街だ。しかし、街の人口規模としてはカンタベリーが4万、ヨークが14万だからずっと小さい。イングランドの庭園と称され、進化論のダーウィンやディケンズゆかりのケント州の都市である。

 市街地に入ったことは、高い城壁が現れたことで分かった。城壁の向こうに大聖堂のタワーが見えた。ナビーは城壁の開口部に入るよう指示した。ところが、城門をくぐった真っ正面の石畳の細い道は進入禁止になっている。仕方がないので左折すると袋小路に入ってしまった。ホテルの場所は進入禁止道路側の近くにあることになっている。どうしたものか。そこで皆にはそこで待ってもらい、ワダス1人でまずホテルまで徒歩で行くことにした。進入禁止の石畳道路を挟む町並みはとても古い。壁を接した3階建てくらいのレンガ造の建物がびっしりと立ち並んでいた。1階は間口の狭い商店や事務所が多い。角が丸まり一部にカビの生えた古箪笥のような街だ。中央に向かって進むにつれ、大聖堂の先端部分が大きくなりついに正門前の広場に出た。それほど大きくない広場には、真ん中の石のモニュメントを囲んでベンチ、青果店、花屋、スターバックス、三方向へ向かうやはり石畳の細い道、文房具屋などがあった。大聖堂の門といっても市街の建物に密着していて3メートルほどの開口部があるだけだ。古くて威厳は感じられるが壮麗とはとてもいえない。くすんだ灰色の3階建ての上に小先頭2つ、2階と3階の間には聖人たちの彫像が並んでいた。

 今夜のホテルがどこにあるのか最初は分からなかった。ワダスがマークからもらっている情報ではCathedral Gate Lodgeとなっていた。しかし、どこにもそんな看板が見えない。大聖堂の門の宿というからにはごく近くにあるはずだ。上の壁にCathedral Gate Hotelという看板のあるスターバックスの横のガラス戸の奥に狭い階段が見えたので上がってみた。踏み板の真ん中がすり減った階段を10段ほど上がったところに机のある小部屋があった。いかにもイギリス田舎宿屋の帳場の雰囲気だ。しかし、誰もいない。カウンターにあった呼び鈴を押した。しばらくすると若い女性が現れた。「どうしたの?」みたいな表情でワダスを見た。

「ここがCathedral Gate Hotelなりや?」

「いかにも、そうでございます。して御用の向きは如に?」

「実は拙者はこうこうこういう者でござるが、予約されておると伺っておる。宿帳を見てくれるか」

「あっ、はあーい。ええと、あっ、ありましたあ。ようこそいらっしゃいました。お荷物は?」

「いや、荷物もさようであるが、城門の付近に車を待たせてある。そこで拙者以外の者どもが待機しておるのじゃ。じゃがここまでの真っすぐの道は進入禁止となっておった。どの道からこの宿に車をもってくるのかしかとは分からぬ故、教えてくれぬか。い、いや、手間は取らせぬ」

「さようでございましたか。簡単ですよ。そのまま来て下さい。進入禁止になっていますが、ホテルへの荷物運搬だけでしたらここまで横付けしてかまわないことになっておりますから」

「あい分かり申した。して、駐車場はいずこにありや?」

「城門の周囲が市街地の駐車場になっています。ここと、ここと、ここ」

 彼女は地図を示した。

「歩けばちと遠いのお」

「あーら、そんなことないですわよ。すぐですわ」

 もと来た道を戻り無事宿屋にチェックインしたことを皆に告げ、進入禁止道路に向かう。ところが一方通行の関係でかなり遠回りを強いられようやくホテルに横付けすることができた。

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明らかに床がたわんでいるCathedral Gate Hotel

 この宿屋は恐ろしく古い。大聖堂の門に密着しているところからすると、おそらくこの街でも最も古く由緒のある宿なのかもしれない。建物も調度もいちいちが歪んで古びている。共用バス・トイレは踊り場に後で加えたようになっていた。つまり部屋にバス・トイレはないのだ。それぞれの客室には番号ではなく名前がつけられている。日本だったら「桔梗の間」とか「すずらんの間」といった感じだ。佐野・河合がWisteria、宍戸・和田がRooftop、橋本・HIROSがCloud。Rooftop、Cloudは最上階だ。アフロヘアーの若い黒人女性の案内で重いスーツケースを引きずり狭くてきしむ木製の階段をぎしぎしいわせて上った。ベッド2つと年代物の洋服ダンス、小型テレビの乗った引き出し付き小物箪笥、洗面シンクだけで手狭になってしまった部屋だった。もちろん、荷物を展開するスペースはない。狭いのは仕方がないが、何よりも驚いたのは床が大きく傾いていたことだった。ベッドに横になると頭が足よりも低くなる。橋本はベッドに横になって叫んだ。

「ええーっ、なあにー、これえー。酔いそうやわあ」

 ワダスは窓際のベッドを選んだが、ちょうど枕元に小さな洗面台がある。

 Rooftopを見に行った。われわれの部屋よりもちょっと広めだが天井が低い屋根裏部屋だった。やはり床が傾いていた。われわれの部屋は大門に向かって低くなっていたがRooftopは逆に門の方が高い。後で広場から見上げると、われわれの2つの部屋は間の部屋をはさんでゆるいU字形になっていた。これ以上傾けば崩壊するだろう。

 窓からは広場がよく見えた。小中学生らしい団体がたむろしていた。ベンチに腰掛けた老人がぼんやりと通りを眺めていた。数百年前でも同じような眺めだったに違いない。

 

市街地散策

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 公演までは時間があるので街を散策した。宿屋の間近にそびえているカンタベリー大聖堂見学という案も出たが、拝観料が7.5ポンドもすることが分かり止めた。どっしりと堂々としたデザインだったが、ヨーク大聖堂よりも小さかったというのも止めた理由だ。

 宿屋の通りの1本向こうがメインストリートのようだった。比較的大きな間口の商店が軒を連ねていた。テントを張った路上の果物屋、アクセサリー、安物の革製品屋、古着屋などもあった。パーティーグッズのような小物屋でカツラを見つけたのでおもしろ半分で買った。9ポンド。2000年にロンドンのピカデリー・サーカスでもカツラを買ったことを思い出したのだ。もみあげのついたリーゼントスタイルのプレスリー型カツラだった。形はプレスリーだったが髪の色は真っ黒だった。かぶってもぎょっとするほどのものではない。実際ワダスはかぶって皆に見せたが、一応は笑うものの「いるう、いるうー、こういう感じのオッサン。ぜえーんぜん違和感あれへん」と反応はもう一つだった。橋本、佐野、宍戸にもかぶってもらった。やはり「いるう、いるうー、こういう感じのオッサン。ぜえーんぜん違和感あれへん」だった。

 宿屋1階のスターバックスの外のベンチに座ってコーヒーを飲みつつ夕暮れのなか広場を行き交う人たちをぼやっと眺めた。学生の団体が目立つ。隣に座っていた高校生くらいの女の子がドイツ語で会話している。20歳の頃に親しんだドイツ語の響きは懐かしい。聞けばドレスデンから来たという。この街はヨーロッパの学生にも人気があるのだろう。

 別行動をしていた河合が戻ってきていった。

「ここらへんはごっつう古いじゃないすか。でもね、ちょっと離れるとマイカルみたいな街っすよ」

 5時ころ、携帯が鳴った。柳沢さんからだった。

「今ね、街の中でお坊さんに会いましたけど、もう着いていたんですね」

「えっ、今どこですか」

「カンタベリーですよ」

「じゃあ、ワダスのいるところからは近い。ここで待っていますので」

 ほどなく彼女がやってきた。

 

The Gulbenkian Theatre

 

 5時半に集合し、歩いて城門外の駐車場へ。全員SHARANに乗り込んで今夜の会場に向かう。定員ぎりぎりなので柳沢さんも窮屈そうだ。会場は市街地から離れたケント大学構内にあるはずだが、ナビーはどう見ても大学構内には見えない住宅地に誘導した。おそらく間違ったポストコードを入力したのだろう。住民の1人に大学の方向を聞いた。ナビーに頼れないので不安なまま走ってようやく大学構内に入った。入ったところは工学部とか理学部の建物だった。通りかかった黒人学生に訊ねた。

「あー、あっちかなあ、多分」

 というのでしばらく走るとThe Gulbenkian Theatreの表示が見えた。しかし車はすでに劇場への通路を通り過ぎていた。前方は工事中で狭い1車線だ。橋本は「しゃーないやん」といいつつ強引にUターンした。

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ピーター
佐野と柳沢さん
本番舞台

 公演会場は3階建てほどの矩形の建物だった。すっきりしたモダンなデザインだ。ライトアップされた最上部の壁面に劇場の名前が浮き出ていた。劇場の背後には大学病院のような幅広い大きなビルがあった。

 通用口のようなドアを明けて入ってきたワダスを見た青年がいった。メガネをかけてひょろりとした青年だ。
「はーい。僕、ピーター。待ってたよ。控え室はここね。誰もいない時は鍵をかけて下さい。これが鍵。すぐにホール見る? OK」。

 劇場は台形の舞台を客席が三方から囲むようになっている。真っ赤なイスの並ぶ客席は舞台に向かってゆるやかに傾斜していた。コンパクトで開放感のある劇場だ。ただ残響はほとんどなくデッドな空間だった。

 ピーターに掛け軸やマイクの位置、公演の順序などを説明した。ふんふんと聞いたピーターが即座に準備に取りかかる。はしごをもってきて掛け軸を吊り下げ、照明の方向を調整し、マイク、マイクスタンド、モニタースピーカーの配置や調整と彼1人が走りながら準備した。どうもピーターには助手はいず、すべてを1人でやっているようだ。そのピーターが走り回っているとき、パムというころんとした中年女性が現れた。彼女が公演主催担当者だった。

「食堂であなたがたの食事を用意してある。7時に食べるということでよいか。えっ、食べない? 簡単なサンドイッチを公演後にもち帰るって? あっ、そう。マークとの約束とは違うけど、いいわよ。それと、ピーターに公演は休憩なしで80分だといったそうだが、マークからは休憩ありの45分ずつの2部制だと聞いている。そういう契約になっているの。でも、そちらがそうするといえば断れないけど、それもマークの連絡とは違う。本当にそれでいいのか。いい? じゃあそれでいきましょう。CDを売ってほしいって? OK。じゃあ、預かりますね。後で清算しましょう」

 こうしたやり取りの間の彼女の表情には、これまでの他の会場のときのような笑顔がなかった。どうも彼女は厳格な原則主義者でありかつマークとの間で大きな誤解があるようだった。ともあれ、リハーサルも含め準備は順調に進んだ。公演中は客席後部のコントロール・ルームにいる予定のピーターは、お坊さんたちの楽屋からレストランを通って劇場へ出る複雑な経路やiPodのプレイのキュー出しもちゃんと把握していた。

 柳沢さんは、Q&Aでは第三者が司会としていた方がいいとアドバイスしてくれたので、彼女に司会役をお願いした。ところがその案はダメになった。ピーターが舞台袖に常駐する連絡係がどうしても必要だ、というので柳沢さんにそれを依頼したのだ。彼女は「ええー、どうしてもですか」と抵抗していたが、会場にはそうしたスタッフを用意していないということなので選択の余地はない。そんなわけで、インカムをもたされた彼女は舞台袖に隠れて公演を見るはめになってしまった。彼女がここまで来た目的は、笹川財団の助成金の残りを支払うことと、来年のヨーロッパ公演のためにきちんとわれわれの公演内容を把握することだった。しかし、いきなりADに指名されたため斜め後からわれわれの公演を見ることになってしまった。

 楽屋はわれわれが入ってきた通用口のすぐそばの細長い部屋だった。四方にメークアップ用の鏡が取り巻いている。ワダスはそこであわただしく柳沢さんから残りの300ポンドをいただいた。

 開演は7時45分。舞台からは対岸にあるコントロール・ルームのところで待機していた宍戸が、香をもって静かに舞台へ進みでる。この会場は消防法の関係で香を焚けないので形だけの儀式である。舞台袖で待機したワダスが宍戸の退出を確認して舞台中央に上がる。客席の入りはほぼ8割で100人ほどだろうか。例によって、休憩はないこと、聲明のこと、ワダスのソロ演奏の内容などを簡単に説明して演奏に入った。今日はRag Jogを演奏した。昨日よりもちょっと長めの35分ほどのソロだった。七聲会の部の仕上がりも上々だった。Q&Aは、パムが今日の聴衆にはそのことを伝えていない、お客さんの帰りが遅くなる、という理由で取り止めになった。

 パムからCDの売上げ92ポンドとサンドイッチをもらい10時近くに会場を後にした。この日にロンドンへ電車で帰るという柳沢さんを途中の駅で降ろした。彼女とは明日のロンドン公演で再び会う予定だ。

 城壁外の駐車場から皆で歩いてホテルに戻り、宍戸・和田の部屋であるRooftopでワインとサンドイッチの打ち上げだった。部屋が狭くかつ傾いているので窮屈な宴会だった。頭の低いベッドで11時半就寝。

 後日、パムとマークのメールのこんなやりとりを後で知った。マークは主催者にきちんと説明をしていなかったのと、パムの思い込みが誤解を大きくしたようだった。

 

パムのメール

 

「パム:マークへ
 こんなことはいいたくありませんが、お坊さんたちの公演は素晴らしかったし、聴衆もとても喜んだのですが、当初わたしが思い描いていたものとはずいぶん違いスムースではありませんでした!

 まず、あなたの要望通り8名の演奏者のためにツインの部屋を4つ予約したのに、いつの間にか変わっていた。ホテルに電話したらどうも6人だけのようだったからちょっと心配だった。

マーク:4つのツインルームを予約したのは正しい選択です。人数は6人ですが、2人のお坊さんのいびきがひどいので4部屋といったのです。(HIROS:マークの単なる間違いなのに、なんという言い訳!!)

パム:それとあなたが合意していたように、8人分の夕食を6時半に予約していたんですが、お坊さんたちはそのことを知らなかったようです。彼らは7時のディナーを結局キャンセルし、その代わりにサンドイッチのテイクアウトを要求したのです!

マーク:6時半のディナー予約についてはまったく知らなかったし、通常、アーティストはそんな公演に近い時間には食事はしないものだ。

パム:開演5分前に販売用CDを預かりました。そこで初めて、休憩を挟んだ45分ずつの2部構成ではなく、80分休憩なしでやると聞いたんです。また通常は公演後に彼らが申し出たようにQ&Aタイムを設けていますが、わたしたちの告知ではそのことは触れていませんでしたし、聴衆にはそれを知るのは遅すぎでした。

マーク:たしかにあなたとの契約では45×45の2セットとなっています。それは七聲会とも確認していました。ですからそれがカンタベリーで変更になったとはまったく知らなかったしQ&Aについても知りませんでした。すみませんが、わたしには全部初耳です。(HIROS:ワダスはすべて彼には説明していて、彼も同意していた!!)
パム:最後に、こうした情報はもっと前に知らせてもらうべきだと思います。そうだったら、休憩時間の飲み物とかタクシーを頼んであったお客さんにお知らせできてたのに。それに、きっと興味深かったはずのQ&Aがなかったのも残念でした。アキコ(柳沢)はとても協力的な通訳者なんですけど、今回はツアーマネージャーとは呼べませんでした。彼女がそういうことをしてくれると期待していたんですが。

マーク:アキコがツアマネだなんて誰もいってないですけどね。彼女にはツアー準備の段階でとても協力してもらったんですが。

パム:残りの主催者たちにはこうしたことがきちんと伝えられ、わたしたちよりもベターな準備ができることを願っています」

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