10月14日(火)

 6時起床。まだ薄暗い外はしとしと雨だった。ほぼ同時に起き出した佐野は「ちょっと散歩」と外出。部屋備え付けのコーヒーを飲んでからがくんがくんと動くステンレスの箱で2階の食堂へ行く。窓際から見下ろすとウーズ川のどんよりとした流れが見えた。小雨が降り続き気が滅入る雰囲気だった。

 満英朝食を食べていると河合が来た。宍戸はまだ寝ているという。しばらくして橋本と和田が、そして散歩から帰ってきた佐野が合流した。

 佐野とタバコ場へ。このホテルのタバコ場は、2階の緩く傾斜した長い廊下の突き当たり手前のドアを開けて屋外に出たところにあった。高い建物に挟まれたテニスコートのような空間の真ん中に藤棚のような屋根があり、その下にベンチとテーブルが置いてある。両サイドは窓のない壁。一方が川に面していて対岸の建物が見える。なんだか刑務所の運動場のような雰囲気だ。われわれは小雨の降る寒い中であわただしくタバコを吸った。

 

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National Center For Early Music

会場下見

 

 10時ころ皆で街に出た。まだ寝ている宍戸を除いた全員で会場の下見しそのついでに大聖堂観光に行こうということにしたのだ。2000年に訪れたブロービー村とか、2004年に公演をしたウィットビーはヨークからは近いので再訪するということも考えたが、小雨模様で外は寒かったし、時間もたっぷりあるわけではないので止めにした。会場の場所は昨日コインランドリーに来たので分かる。

 会場はウーズ橋から古い町並みを経て商店が途切れたあたりの閑静なところにあった。ホテルからは歩いて10分ほどだ。外観は古い教会だがガラス張りの平屋の事務棟がくっついた形をしていた。周辺の住宅と比べて飛び抜けて高いというわけではない。中庭を通って雨に当たりながらガラス扉の玄関に立つと小太りの中年女性が見つけてドアを開けてくれた。昨日電話で話をしたジルだった。短い金髪、ちょっと下膨れの顔にメガネをかけた女性だ。外は寒かったが彼女は襟ぐりの深い黒いTシャツ姿だった。

 ジルに案内された公演会場は天井の高い横長のスペースだった。内装はモダンで外観のイメージとは違っていた。高い天井は半円形の木組み構造で、メッシュの入ったものやステンドグラス付きの大きな窓のある壁はベージュに塗装されすっきりした空間だった。窓と窓の間のニッチには木彫のキリスト像がはめ込まれている。この建物は聖マーガレット教会といい現在も教会として使われることもあるそうだ。センターの名前であるNational Center For Early Music(国立古楽センター?)とあるように、ここでは主に中世ネルサンスやバロック音楽などのコンサートが催されるということだ。

 舞台は長手の中央、壁を背にした場所に設定され、客席のイスが横長に並べられていた。高い天井にしては反響の少ない空間だった。舞台と反対側にある控え室はかなり広い。角の机に最新式のiMacがあった。自由に使っていいとジルがいう。会場入りを5時半にすること、マイクおよびPA担当者の有無、掛け軸をかける方法、公演内容などをジルと確認した後、会場を後にした。

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 会場のゲートを出た路上に駐車してあるパトカーを見た橋本と河合が「うわー、パトや」といいつつ近づく。天井に青い回転灯をつけたイギリスのパトカーは青と黄の四角形が互い違いに塗られていてよく目立つ。幸い通りには人影がなかったのでパトカーを背景に5人のお坊さんたちの記念写真を撮った。地元の人には、スキンヘッドのアジア人がなぜそのようなパトカーに興味を示すかは理解できないだろうなあ。カメラを見ながらパトカーに悪ふざけをしている集団を警官が見たらどうなっていただろうか。旅の恥はかきすて状態のなんとも無邪気なお坊さんたちである。もっとも、日本でもやりかねない人たちではある。

 

ヨーク大聖堂

 

 曇り空の古い街並を歩いて市の中心部へ向かう。大聖堂のヨーク・ミンスターは狭い石畳の街路に軒を連ねる商店街の隙間からいきなり現れた。見上げる塔の先端まではそれほど高いとは思えないが、圧倒的なボリューム感でのしかかってくる。

 入り口付近には、レインコートを着た団体の子供たちや観光客たち群がっていた。われわれは塔と大聖堂の拝観料1人7.5ポンドを払い大聖堂の内部に入った。受付には観光客の長い列ができていた。「イングランド最大の中世の大聖堂であり、ヨークシャーで最も重要な歴史的建造物」(ロンリープラネット)という説明にふさわしく内部の眺めも壮大豪華だ。中世のステンドグラスとしては世界最大だという幅9.4メートル、高さ23.7メートルのグレート・イースト・ウィンドウ(1405年)。大きさはテニスコートほどだという。へええ。聖人や権力者たちの彫像、絵画、細部の彫刻などなど、へええ。この種の巨大宗教建造物にはもちろん建築美は感じるが、建造の企画者や建造に必要な膨大な富の集中とそれを可能にした権力および搾取のシステムに思いを馳せてしまう。なぜこれほどのエネルギーと費用をかけて建造する必要があったのだろうか。高い天井のボールト構造の屋根組を見上げていると、昔読んだケン・フォレットの小説『大聖堂』を思い出した。12世紀ころのイングランドの放浪の建築職人トムの物語である。

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 ひと通り大聖堂の中を見た後、塔に上ることにした。塔への上り口に受付があり、そこでチケットを出す。受付の年配の女性がわれわれを見て訊ねた。

「あなた方の中に60歳以上の方はいらっしゃいませんね」

「いないっす」

「高血圧の方とか、何か持病をおもちの方は?」

「いないっす。でも、なんでまたそんな質問をするのですか」

「塔へ上る階段がとても急で狭く、途中ですれ違うことができないので途中で倒れられたら困るんです。しかも、275段もあります。下ってくる人たちがまだいますのでもうしばらく待って下さい」

 塔へ上る時間表の表示があったのは上るか下るかの一方通行だったからだ。

 螺旋状になった石段はたしかに狭く急角度で、場所によっては真っ暗だった。踊り場もないので途中ですれ違うこともできない。途中で足が笑ってくる。頭上が明るくなったので終点だと思ったら違った。メインの塔へ向かう屋根の上に出たのだ。急角度の屋根に沿って狭い通路が設けられており、お上りさんはそこを通り主塔への階段へ向かうのだ。街並みを見下ろすことができるのだが、下を見るのはかなり怖い。主塔の階段を上りきると回廊式の展望台に出る。周囲は金網で囲われていた。ヨーク市街地の全貌が眼下に広がる。たしか作曲家の野村誠君はヨーク大学に留学していたなあと思い出した。彼もここに上ったんだろうか。しばらくして階段口に立っていた若い女性が「今だったら下りることできますよ」とわれわれに声をかけた。下りきると足ががくがくする。ホテルのある方向の向こうに観覧車が見えた。駅に近いので鉄道博物館のあたりかもしれない。

 12時半から何か説教のようなものが始まるというアナウンスがあった。ひょっとすると中央にあるパイプオルガンも鳴り響くかもしれない。期待して待ったがオルガンは鳴らなかった。和田と橋本が興味を示して人々の集まる一角に行った。祭壇の真ん中に薄緑の錦を着た神父が立ち、何やらしゃべっていた。それを日本仏教僧2人が神妙に聞いている。なんだか変な構図である。河合とワダスは彼らを残して外へ出た。雨が降っていた。ドイツ語を話す少年少女たちが入り口の階段にたむろしていた。

 佐野、和田、橋本が戻ってきたので入り口で合流。雨の中を皆で近くのスターバックス・カフェへ駆け込んでしばらく休憩。

 鉄道博物館へ行くという和田、河合、佐野を見送った橋本とワダスはホテルに帰った。ワダスは風呂に入って読書したり、たまっていた日記を書いて過ごした。しばらくして佐野が戻ってきた。

「鉄道博物館はでかいばい。エリザベス女王のお召し列車とか、新幹線もあった。全部見るのは疲れるたい」

 鉄道好きの和田には楽しかったに違いない。

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公演会場へ

 

 5時過ぎにホテルを出た。当初は徒歩でと思っていたが雨が止まないので車で行くことにした。

 会場に到着した頃はどしゃぶりになっていた。ホールには舞台担当の若いサイモン、年配のピーターがいてスピーカーやマイクなどを設営中だった。ピーターはサイモンに命令されてのろのろ動く。マイクスタンドの位置や七聲会の立ち位置などを彼らと確認する。遅れて舞台監督だという生真面目そうな青年ベンがきた。マークから聞いていた公演担当者のデルマも顔を見せた。

「この掛け軸を天井から吊ってほしいんだが」

とサイモンに見せた。

「ええ、どんなふうになってるの? ああ、なあるほど。でも天井からは無理だね」

「照明器具なんかがついているわけだからできるはずだよ」

「そうなんだが、実は今は梯子がないのだ」

 というわけで、祭壇のようになっている簡単な台の上にイスを乗せ、その上に乗せた譜面台から吊る形にした。垂直にならないのでちょっと変だが他に選択肢がない。また、客席と舞台には段差がないのでワダスはイスに座り、お坊さんたちは立って演奏することにした。サイモンにイスの移動やiPodのプレイを押すタイミングを伝える。

 広い控え室にわれわれを案内したジルは「キッチンもあるのよ」という。じゃあ料理もできるということだね、と冗談でいうと、

「えっ、ここで料理をするんですか」と真に受けて応える。

 音響の人が使うものだといっていた最新型のiMacを使わせてもらった。メールチェックもできた。
 中年のおばさんたち3人と若い黒人女性が受付のあたりで飲み物の準備をしていた。聴衆に出すワインだった。そのうちの1人が「こんばんわ」と声をかけた。聞けば、熊本に行ったことがあるという。娘が英語の先生として一時住んでいたので訪ねていったということだ。日本は美しくて大好きだといっていた。そのおばさんに「タバコはどこで?」と聞いた。彼女は「外よ。でも、屋根がないから濡れるわよ」と肩をすくめた。

 タバコを吸いに外に出る。ガラス戸の外は土砂降りの雨。しかもガラス壁には庇がないのでまともに雨がかかった。まったく、タバコのみにはつらい世の中になってきたもんだ。

 

ヨーク公演

 

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ジル
サイモン
ピーター
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ベン
飲み物売りの 女性
公演告知掲示板
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 ほぼ時間通りの7時半に開演した。聴衆は80人程か。例によって香をもった宍戸が控え室のドアから舞台に向かって静かに歩く。ドアのところにはベンが立って誘導した。それまでざわさいていた客席は、後ろから現れた宍戸の姿を見たとたんしーんとなる。宍戸が阿弥陀来迎図の下に香を置いてお参りした後、再び来た道を戻る。それを確認したワダスが舞台に進んでイスに座る。聲明のこと、インド音楽との関係などを簡単に解説した後、ラーガ・キルワーニーを演奏。そしてお坊さんたちを呼び出す。彼らが笏を叩く佐野を先頭に入堂してくる。所定の位置に収まったところで聲明が始まる。左手のイスに座り目をつむって彼らの聲明を聞く。気持ちのいい時間である。ときどき客席を見ると、大半の人も瞑目して聞いていた。最期の挨拶の後、大きな拍手でわいた。

 Q&Aコーナーでは他の公演地と同じようにいろいろな質問が出た。拾った華はご利益があるというと前列の人たちが足下の華を拾いだす。お坊さんの衣装には何か意味があるのかという質問も出た。佐野は、袈裟はインド、衣は中国、長襦袢は日本由来なのだと応えた。また、お坊さんたちが入堂のとき、常に直角に方向転換をするのはなぜかという質問に佐野は「畳の縁を歩かないようにすることからきている」と応えた。こうした細かな所作は、いつの時代かからかなんとなくそうなるようになったのか、あるいはちゃんとした理由があるのか。畳の縁を歩かないように、という答が正しいのかは分からない。

「こちらでは食事は用意していないので現金を手渡したいがそれでいいか」とジルがで60ポンドの現金を差し出す。このような申し出は初めてだった。

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 10時前にホテルに戻った。ワダスはラーメンを食べに行こうと提案し、皆が賛成した。ただ、昨晩に異常な食欲を示した宍戸はまだ昨日の未消化物が残っているのか部屋にいるという。昨日のJumboの斜め向かいにあるちょっと高そうな中華料理店に入った。光るものの多い派手な店内はかなり広かった。ただ、閉店時間が迫っていたのか客はあまりいなかった。隙のない制服を着けた中国人店員が注文を取りにきた。11時がラストオーダーだという。3種類のエッグ・トマト・ヌードル・スープ、豚ミンチ・ヌードル・スープを各2杯、四川あんかけ麺1杯を注文。味はどれも良かったが一つ一つの盛りがものすごい。ビールもしこたの飲んだので過食気味の打ち上げとなった。勘定は全部で58ポンド。ジルにもらった食事代で間に合った。

 満腹状態のまま12時ころ就寝。

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