10月24日(日)

 5時起床。あたりは真っ暗だ。タバコを吸いに外にでると正面に北斗七星が明るく見えた。オリオンは背後。7時ころには皆が起きだした。部屋には湯沸かしもコーヒーもないので、持参したインスタントコーヒーを水に溶かして飲む。われわれの部屋には共通のバスルームがひとつしかないので、皆が起きだす前に早めに用事をすます。8時でもまだ薄暗い。昨晩の女性は、母屋の食堂で朝食がとれるといっていたので、霧雨のなか全員母屋へ向かう。ところが母屋への入り口は施錠されていて中に入れない。

 サイモンとどうしようかと相談しているうちに、一人の細い中年男を見つけた。その男に案内されて広い庭園が背後に広がるがらんとした食堂で朝食。UK04photos

 伊藤の口調がおぼつかない。まだ酔っ払っているようだった。

UK04photos 朝食室に案内した男は地元の仏教徒で、たまたま休みなのでここでボランティアをしにやってきたという。この施設はチベットの僧が運営しているということだ。広大な敷地と宿舎などが点在している。

 9時前に出発。雉、羊、なだらかにうねる田舎道、肌寒いのに短パンとティーシャツ姿でジョギングしている男。牧草地や畑が続く。典型的なイギリスの田舎の美しい風景。特に道路と牧草地の境界がすっきりしている。無粋な広告看板も、「ちょっと待て、その一瞬が死を招く」なんていう無意味な標語掲示板も、ひしゃげた白いガードレールもなく、ゆるやかにカーブする道路ぎわからすぐに緑の野原が広がる。道路面と周辺の土地との段差が少ないのも、すっきり見える原因だろう。途中から晴れ間が見えてきた。

 サイモンが今回のツアーのために350ポンドで買ったというPDAカーナビが女性の声でときおり道を指示する。サイモンはけっこう自慢したかったらしく、詳しく機械のことを説明する。GPS受信装置を挿入し、イギリス全土の地図情報が入った128Mメモリーのカードを差し込むとカーナビに変わる。小さくて情報も的確で分かりやすい。日本の高価高級なカーナビと違い、周辺のごちゃごちゃとした情報は示さないが、すっきりしていて実に見やすい。こういう機械ものを説明するときのサイモンは実にうれしそうだった。

 途中で燃料をいれる。ガソリンスタンドに停車したとたん、伊藤が外に出てタバコに火をつけた。サイモンが「ここでは駄目だ」と制止すると、スタンド敷地のはずれまでいって吸っていた。「そこはもっと駄目」と再びサイモンが叫ぶ。伊藤が立っていたのは大きなガソリンタンクの側だった。ディーゼル燃料は1リッター85ペンス。170円。とても高い。

「日本で大きな地震が起きたらしい。昨日のニュースで見た」とサイモンがいったので、河合があわてて携帯で家人に電話。新潟方面で起きたらしく、京都は大丈夫だとのこと。どうも、わたしが外国に出かけると大地震が起きるようだ。阪神淡路大震災のときもインドにいたことを思い出した。

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 10時前にウィットビーWhitbyに到着。北海を臨む港町だ。出発するときには曇り空だったが、街に入る手前あたりから強い陽射しになった。地図で見ると最小の点で示されていたので小さな漁村を想い描いていた。しかし、ウィットビーは意外に大きな街だった。切り立った断崖の上に立つ教会のような廃墟が突端に見えた。バイキングの侵入に備えた城塞の跡かもしれない。灰色の穏やかな海の沖合に、漁船かヨットのような小さな舟が白い航跡を作っていた。

 コンサート会場は海岸プロムナードの下の棚に建っていた。古い劇場に隣接してガラス張りのモダンな建物もあった。その建物の側に車を停め、担当者であるジム・マクラーフリンを探す。50代の中背の男だった。スタッフと紹介されたこ太りのサイモンAに劇場と控え室を案内される。中は古い映画館のようなつくりで暗い。舞台はわずかに客席に向かって傾斜していた。UK04photosUK04photos

 前日のミュージシャンたちの食べ残しが散らばる2階の控え室に荷物を持ってあがり、すぐにリハーサル。PA担当は白ティーシャツのポール。七聲会用に4本、わたし用に1本、マイクを用意してもらった。阿弥陀仏の掛け軸をバトンにかけスポット照明を当ててもらう。南が砂の入る入れ物がないかと聞く。線香を立てるためだ。池上兄弟が海岸まで降りて砂をもってきた。UK04photos

 予定の11時を5分押して開演。このツアー最初の公演なのでみな若干緊張気味だ。客席が暗くてあまり分からないが、劇場内は300人くらいの聴衆で埋まっていた。満員だ。

 まず、作務衣姿のわたしが舞台に置かれた円座に座り公演の内容を簡単に紹介した。畳表とスポンジがサンドイッチ状になった円座は今回の公演のために日本から持ってきたものだ。用意した原稿を読み上げようとして、ふと気がついた。原稿は「Good evening, ladies and gentleman」で始まっている。今はお昼前だ。Good morningとすべきだなあ、などと考えているうちにわたしの英語がしどろもどろになってしまった。

 内容紹介の後、会場奥のPAミキサー横から黄色の袈裟を着けた七聲会が笏念仏で入道し、客席の前を横切り舞台へ上がる。良慶と河合の2管の笙とバーンスリー伴奏の甲念仏、回向文、散華、日中礼讃、聲明源流+阿弥陀経。

 プログラムは45分くらいで終わる組み立てにしていたが、句頭の伊藤に伝わっていなかったので日中礼讃が長くなり、10分ほどオーバーしてしまった。サイモンAは、次のグループの出番が12時半と決まっているのでわれわれの終わりは12時かそれよりも早めに終わってほしいということだった。しかし終わったのは12時過ぎていた。また聲明源流+阿弥陀経では、CDのEドローン開始、バーンスリーで短いメロディー、E音指示、という予定だった。しかし、句頭の宍戸はわたしの短いメロディーの途中で、しかも高めの音程で阿弥陀経を始めてしまった。背後に流れる音から一定の音程をつかまえ、その音程を維持しつつお経を唱えるというのは、お坊さんたちには不慣れなのだ。木魚によってテンポが加速される阿弥陀経と一緒に演奏するわたしは完全な自由即興なので大きな問題にはならになかったが、できればE音を最後まで保ってもらった方が、聴衆にはより聞きやすかっただろう。出国前にいちおうの練習はしていたものの、やはり本番では何があるか分からない。ともあれ、こうしてツアー最初の公演が終わり、全員で聴衆に一礼をするとかなり大きな拍手と指笛が鳴り響いた。

 サイモンは実によく働いた。控え室から待機場所への誘導、CD販売管理、ドローンCDを流すタイミングのPA技術者への指示、公演ビデオ撮影など。去年のツアーの運転手ケヴィンは舞台の動きにまでタッチしなかったので、大変だった。前回は公演ごとに細部にわたってわたしが技術者に説明していたのだ。

 舞台を退出するとき、袖にインド人女性舞踊家二人が待機していた。ヒンディー語を話したらびっくりしていた。

UK04photos 控え室にあがると、公演スタッフやインド人ミュージシャンたちが食事をしていた。彼らは1時半からの公演のために待機していたのだ。声楽をやるというひょろっとした縮れ毛の青年ビレーシュワール・ガウタムがグループの中心だった。彼は、ショバー・グルトゥからトゥムリーを習った声楽家であると同時にカタック舞踊家でもあり、実は昨日はカタックをここで披露したという。他にタブラー奏者カウシク・ボース、サーランギー奏者ディルシャド・カーン、ハールモーニアム伴奏者フィダー・フセイン・カーンという初老の腹の突き出た男が、主催者から用意された細切れピザ、サラダ、春巻きなどを立ったまま食べていた。彼らとヒンディー語で話していると、共通の知り合いが数多くいた。サーランギーのディルシャド・カーンは、なんと、かつてわたしが日本に呼んで公演ツアーを組んだことのあるスルターン・カーンの甥だという。こんな北海に望むイギリスの小さな港町の劇場で、ムンバイからやってきたインド人演奏家たちに会うとは予想だにしなかった。わたしが12月にはムンバイに行くというと、ぜひ向こうで会おうと約束した。

 着替えを終えたわれわれも、慌ただしく昼食をとった。サイモンが、「七聲会が8枚、HIROSが2枚、CD売れた」と報告してきた。

 主催者からギャラの現金支払いを受けているはずのサイモンを車のところで待っていると、眼鏡あご髭中年男が「ハーイ、ミツビシ、メツブシ」などと変な日本語の冗談で話しかけてきた。演奏やレコーディングで日本に行ったことがあるという。一緒にいたアラブ人らしい男と交互に記念写真を撮ってもらった。UK04photos

 サイモンが戻り、ノッティンガムに向かって1時前に移動開始。

 深い谷のある丘陵やなだらかに広がる牧草地に沿って南下した。牧草地にはときおり羊や牛が草を食んでいるのが見えた。

 最後部座席に窮屈な姿勢で座る南、良生、良慶は、前夜からの強行軍のため熟睡。まだ酒の抜けない伊藤は赤い目でビデオを撮り、若い宍戸と河合が次々と現れる景色に反応しつつ、サンダーバードがどうしたこうしたなどとしゃべり続けていた。サイモンに、ノッティンガムという都市はたしか「長距離走者の孤独」を書いた作家アラン・シリトーの小説の舞台だったはずだよね、といったら知らないとそっけなく答える。

 途中、サイモンがBBCラジオ局から電話を受けた。ウィンチェスター公演告知のためわたしにインタビューしたいという。マークからの連絡では来週の日曜日にインタビューとあったが、この日にあるとは聞いていない。先方は、もうすぐ放送予定なのでどこかサービスエリアの公衆電話から話せないか、といってきた。仕方がないのでサービスエリアの電話ボックスに入ったが、受話器が壊れていた。結局、サイモンの聞き取りにくい携帯電話でインタビューとなった。音声はときどき途切れるし、男女のパーソナリティーが交互に「今回のツアーではイギリス人聴衆になにを伝えたいか、仏教僧侶である彼らが舞台公演をする意味は何か」などと、すぐには答えにくいことを尋ねてくる。多分、意味不明のわたしのよれよれコメントがラジオで流れたと思う。

 この思いがけないラジオ取材で時間が取られ、4時入りの予定だったノッティンガムの会場Lakeside Arts Centerに到着したのは4時半だった。ウィットビーから3時間半かかったことになる。

UK04photos Lakeside Arts Centerは、ノッティンガム大学構内にあった。ノッティンガム大学はオックスフォードやケンブリッジなどと並んでイギリスではトップクラスの大学で、学生数55,00人という。緑の多い広大なキャンパスだった。

UK04photos 会場はモダンな平屋の建物の中にあるホール。床面が舞台スペースになっており、200ほどの客席はその床から階段状にせり上がっている。舞台スペースの奥にキャスターのついた簡単なミキサーが転がしてあった。担当の30代前半と思える知的かつ憂鬱そうな女性、ヘレン・ビショップとうち合わせをしたが、なかなか要領を得ない。スピーカーはあるがマイクはない、照明の技術者もいないという。マイクはどうしても必要だといったら、なんとかするという。

 まずはいったん今晩の宿であるThe Innkeeper's Lodgeへ行き荷をほどいた。会場から5分ほどのところにある瀟酒なホテルだった。バスタブもついた部屋は広く清潔だ。UK04photos

 6時に再びホールへ。ヘレンは、技術者に来てもらうことになったが何時になるか分からないという。そうこうしているうちに、ドローンCDが見当たらないことに気がつき、わたしだけもう一度ホテルに引き返すことにした。ところが、どう探してもCDが見当たらない。ドローン音源のバックアップ用iPodと、日本から持参した笙を焙るヒーター用のコンセントアダプターをもって会場へ引き返した。楽屋で再びCDを探すと、なんとリュックのポケットにちゃんと入っていた。どうも、疲労で頭がボケてしまったようだ。

UK04photos なんとかするといっていた音響技術者も結局間に合わず、マイクは使えない。CDドローンの出入り、ビデオ撮影はサイモンにやってもらう。サイモンは単なる運転手だったはずが、こうしたことをきっかけにずるずると舞台監督兼技術者も兼ねることになった。開演ぎりぎりまでリハーサル。

 開演は7時半。お昼の舞台のように、まずわたしの簡単なプログラム紹介の後、最上川舟歌、伊谷の民謡、Kirvaniのアーラープをソロで演奏した。できはもう一つだったが、満員の聴衆は静かに聞いてくれていた。客席の中には日本人のような顔をちらほらと見えた。

 休憩をはさんで七聲会が笏念仏で入道。楽付き甲念仏、回向文、散華、日中礼讃、聲明源流+阿弥陀経。前半が器楽、後半に聲明というこの組み立ては、今回のツアーの最後まで同じだった。よく響く会場だったので美しい倍音が強烈に鳴り響いた。最後の阿弥陀経の出だしがちょっと心配だったが、宍戸が今度はきちんとドローン音をとらえたのでうまくいった。

 大きな拍手を受けた。CDはHIROSが15、七聲会が20枚売れたことからも、公演は好評だったようだ。

UK04photosUK04photos 終演後、ピアノのある楽屋で生モヤシなどの混ざった冷たい食事のあと、10時過ぎにホテルへ。全員でバーへいき、ビールで乾杯した。なんとサイモンのおごりだった。12時ころ部屋に戻り就寝。長い1日はこうして終わった。本当にへとへとだった。