11月3日(水)

UK04photos  7:30起床。サイモンが、受け付けのところにKansaiと書かれたプラスチックバッグがあった、あれは誰かの忘れ物ではないか、という。受け付けに行って青年から受け取る。中には、缶ビールやミネラル水が入っていた。

 昨夜、河合が女性にからまれたという。通りを歩いていると、二人の太った若い女性に話しかけられた。何をいわれたのか分からない。オーノー・ジェスチャーをしたら離れていったが、しばらくしたら一人が体当たりをしてきたという。

 10時出発。良生にりんごをもらう。今日の伊藤はそれほど匂わない。飲むのを控えたのかも知れない。

 Seven Bridgeという大きなつり橋を渡ると、ウェールズである。高速の料金徴収ゲートがあった。右手に煙をはく中規模の工場が見えた。この光景は、日本ではありふれているがイングランドでは珍しい。丸太が山積みされていた。UK04photosUK04photos

 起伏の多い風景に変わった。高い山々も見えてきた。イングランドに比べて家々の色、屋根材などが変化に富んでいる。この風景はどちらかというとフランスに似ているといえる。良慶は、「風の谷のナウシカ」に出てくる風景のようだという。牧草地の羊や牛、木々も多い。美しい風景だった。地名表示には、GWやYが多くすんなりとは読めない。

UK04photosUK04photos サイモン・カーナビの予告ぴったり、11:50にブレコンBRECONの宿に到着した。教会の横に立つ小さな民宿である。B&B The Grange guest House BRECON。坊主頭の中年イアンと黒い短髪、短いぶしょう髭の快活そうなジョンが迎えた。二人とも坊主頭なので、最近出所してすっかり更正した元囚人みたいな感じだ。後で聞くと、イアンは陸軍の衛生兵を退役し、地元の病院で看護士長をしながらこの宿を経営しているという。

 案内された部屋は広く快適そうだ。宍戸・中川は2。池上2、河合・伊藤は3階の屋根裏部屋。2階には、独立したバスルームとトイレがある。

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UK04photos ジョンにおすすめのレストランを聞くと、「俺だったら、金をもっているならTheaterのレストラン、そうでない場合はあそこの角のカフェへ行くな」という。迷わずTheaterのレストランへ歩いて行った。

 

 観光用の細長いボートが運河に舫っていた。小さな石橋の奥にでんと立っているのが今日の会場であるThearter Brychiniogの大きな黒っぽい建物。なんと読むのか。みな一斉にカメラを撮りだして撮影しだす。

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 レストランTipple Tiffinへ入った。中は広く、配膳および会計のカウンターの横の角にバーがある。

 わたしは昨日の夜からなにも食べていないので空腹だった。わたし、宍戸、河合が山盛りの細いポテトチップつきステーキ、良生がフライド・チキン、良慶がペンネ、伊藤がパスタ、サイモンは朝食をしっかり食べたのでとスープとパン。サラダを3皿皆で分ける。伊藤のパスタはおいしくなかったらしい。

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 パンに納豆のような糸をひくものが混ざっていた。口にした良慶は、おれはあかん、こういうのんは、という。納豆が嫌いなのだ。干したトマトということだ。地元のもので問題ないとサイモンはいう。食事中に、今日の舞台担当者ギャラスGarethが、「コニチワ、わたしはギャラスです。ヨーコソ、ブレコンへいらしました」と未完成日本語の挨拶をしつつ現れた。さらに、ちぢれ毛の色の濃いローウェルLowellが挨拶にきた。30代前半のローウェルは、この劇場に仕事を見つけて南アフリカから3ヶ月ほど前にやって来たということだ。UK04photosUK04photos

 ホテルに戻る。皆はミネラル水を買うといって集団で街へ歩いていった。わたしは、1階のトイレ修理をやっていたジョンに、街で見るべき所はどこか聞いた。彼は、んー、カテドラルかなあ、という。

 街の方へ一人でぶらぶらと歩いた。小さな街で、人通りも少ない。バス停、雑貨屋、フィッシュ&チップス、バー、不動産屋など。狭い路地に間口の狭い店が軒を並べていた。商店街を右に折れ、小川の橋を渡って上ったところに古い教会があった。それがジョンのいうカテドラルだった。中はひんやりとして静かだ。靴音がよく響く。大小のステンドグラス、祭壇ではテープらしいグレゴリアン・チャントが静かに流されていた。かなり大きな教会で、外部は改修工事のため足場が組んであった。UK04photosUK04photosUK04photos

 薬屋でのど飴、雑貨屋でピーラー、瓶詰めふた開け機を購入。部屋に戻り日記を書いていると宍戸が戻ってきた。軍の基地のまで行き、撮影しようとしたら咎められたらしい。

 しばらく昼寝。5時前に徒歩で会場に向かう。サイモンが「ホールを見たらみんなたまげるよ」という。「どういうこと」「ついたら分かる」「立派なホールということか」「そうだ」。

UK04photosUK04photos 彼のいったように、新築間もない大きなホールだった。500人入るという客席は3階まであり、舞台を三方から囲んでいる。舞台の奥行きが相当深いので、オペラでも上演可能だろう。2つ割り当てられた楽屋もぴかぴかだった。

UK04photos リハーサルを手短に終え、夕食を買いに河合と街に出た。今日の食事は、主催者が一人あたり7ポンドまで出すという。われわれはその分を昼食で使ってしまったので、夕食はわれわれの自腹だ。街のテイクアウトの店で、フィッシュ・アンド・チップスとホットドッグを購入して持ち帰った。楽屋に戻ると、良慶が大出血やわあ、まいってもた、といいつつソファに横になっていた。「さっきバッコしたとったんや、ほうなら、ばあーっと血いでよった」。持病の痔が反乱を起こしたのだった。このころから、大便を意味する山形語バッコがお坊さんたちに流行しだした。UK04photos

 今夜の開演は7:30。5分押しで開演。客数は70。キャパが大きいのですかすか感は否めない。まず池上2と河合の雅楽。ついでわたしのYaman。第二部も問題なかったが、最後の阿弥陀経で読経がとぎれそうになる部分があった。

 終わると、大きな拍手と口笛があった。良かったということだろう。実際、回を重ねるごとに良くなっている。

 合気道修行のために何度か日本に行ったというギャラスが、公演の録音をCDにしてくれた。

 終演後、この季節にしては暖かいといえる夜道を歩いてホテルに戻る。イアンに食事室を使わせてもらった。持参の夕食、ワイン、ビール。

 この日は、アメリカ大統領選挙の日だった。ジョンによれば、ブッシュがケリーに圧勝したらしい。まったくとんでもない話だ。テレビでは、次期のブッシュ政権とブレア政権のことなどを解説していた。

 部屋に戻って宍戸とおしゃべり。2時就寝。