11月6日(土)



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UK04photosUK04photos 小雨。8:30に朝食。わたしとサイモンがフル・イングリッシュ朝食。他はコンチネンタル朝食。

 
 9:50、出発。Seven Bridgeを渡り、再びウェールズに入った。首都のカーディフを迂回し1時前に南ウェールズのLLantwit Majorにある宿ホワイトハウスThe White Houseに到着。ほぼ3時間の移動だった。

 あたりにはまばらな住宅だけで、街らしい街の様子がまったくない。チェックインは4時ということだったので、どうやって時間をつぶそうかと車中サイモンと話し合っていた。近くの大きそうなブリッジエンドBridgendかカーディフへ行って最後の買い物をするというアイデアもあった。ところがそのまま部屋を使ってもよいということになった。この宿の経営者は30代後半くらいのサイモンCとデボラ。

UK04photosUK04photosUK04photos 部屋に案内された。やたらとクッションが多い、色もパステル・カラーに統一されていてとても清潔、ゴージャスではあったが、どことなく少女趣味のような雰囲気だった。良慶は、きれい過ぎて落ち着かないという。伊藤・河合、池上兄弟、宍戸・中川がそれぞれ2階の部屋だった。バスルームはとても広く、トイレ、ビデ、バスタブ、シャワー・ブースがそれぞれピカピカに磨き上げられている。サイモン一人だけ3階の部屋。われわれよりずっと広く、大きなダブルベッドの上にピンク色のベッドカーテンが四隅から垂れていた。

 ランチに行こうということになり、サイモン、サイモンCと相談。主催者は7時にわれわれを日本食レストランへ連れて行く準備しているというので、とりあえず近くの海岸のカフェで軽く食べようということなった。ここはブリストル海峡に面しているので、海岸はすぐ近くにあるはずだった。宍戸は風呂に入るからと部屋に残った。

UK04photos 5分ほどで岩棚と小高い絶壁に囲まれた海岸に出た。平屋のカフェとその奥にトイレのある大きな建物だけがあった。観光客の姿もちらほら見えた。カフェでビーフシチューとコーヒーのランチ。入り口付近の売店には、ぬいぐるみ、プラモデルなどの子供のおもちゃや、ウェールズと書いた毛糸の帽子などを売っていた。河合と伊藤がその帽子を買う。岩棚を歩いて石笛を探し、二つほど拾って帰った。UK04photosUK04photos

 3時ころホテルに戻る。宍戸はまだ風呂に入っていた。彼は、普段も3時間ほど湯船につかるのだという。

 

 

UK04photosUK04photos 4:40まで昼寝。5時に会場へ。あたりはもう暗くなっている。大学構内のようなところに会場があった。

UK04photos UK04photos すぐに公演担当者のデイヴィッドDavid、技術者のジョーが挨拶にきた。デイヴィッドは、比較的長めの髪を六四に分けた髭の50代前半の男で、このアートセンターの所長だと自己紹介した。両耳にピアスをしている。ジョーは20歳で、公演の企画制作の会社をやっているという。

 デイヴィッドがわたしにいった。

「6時ころに日本食の食事を用意しているが、皆さん食べますよね」

「公演前には食べないのだ」

「困ったなあ、じゃあ構内の食堂は6:30に閉まるけど、とっておいて後で食べるように注文してほしい」

「持ちかえりができるのか」

「ソーリー、それはできない」

 どうも、融通のきかないシステムになっているようだった。

UK04photosUK04photos 古い木組みが剥き出しの天井、バルコニー席のあるホールは満員だと300くらいは入るかもしれない。楽屋は舞台奥の階段をのぼった2階にあった。化粧用の縦列電球と鏡、コーヒーセット、冷蔵庫などがあったが、全体に古く薄汚い。

 リハーサルを始めようとしたら、良慶が、えらいこっちゃ、掛け軸を幽霊オババのところに忘れたかもしれないという。彼によれば、昨夜の会場で確かに車に詰め込んだので、あるとすれば昨夜の宿しか考えられない。サイモンに電話で聞いてもらったが、ないという返事。出発前に荷物をいったん集めた玄関か、池上兄弟の部屋か、駐車した場所か。あるいは、今日の宿か。念のためもう一度、幽霊オババに電話すると、やはりないという返事。良慶が、車で今日の宿にいったん戻って確認しに行ったが、見つからなかった。残るは昨夜の会場だけだ。積み込んだのを確認したと大半の人がいっているので可能性は薄い。となると、おそらく、幽霊オババ屋敷の雑多なものに紛れてしまったのかもしれない。なにしろ、掛け軸の外観は水道配管用の塩ビパイプだ。荒ゴミと判断されかねない。ともあれ、今夜の公演には間に合わない。(後日談・・・掛け軸は昨夜の公演会場の楽屋で見つかった、とサイモンから帰国後にメールが届いた)。

 良慶とサイモンが宿に戻っていなかったが、音響担当のジョーとリハーサルを始めた。照明スタッフはまだこないというので、CDの音出しタイミング、入退道の確認などをチェックした。

 楽屋に戻ると、河合が、今日はツアー最後の公演なので、阿弥陀経が終わったら最後に十念をし、聴衆にお辞儀をしたらどうか、と提案。お辞儀はそれまでの荘厳さを損なうし、新しいことをやればどこかで破綻する、それよりも自分のやるべきことをしっかりやれ、と戻って来た良慶から叱咤がとんだ。聴衆へのお辞儀は、このツアーの3回目の公演からわたしの提案で取りやめることにしていた。われわれの公演は、ショーであると同時に、宗教儀式を見せることでもある。そのことを強調する意味で、公演を終えたお坊さんたちが粛々と舞台を去る方がよいと提案したのだった。

UK04photos 楽屋と舞台をつなぐ連絡役として、フミFunmiという黒人の女の子が来た。強そうな髪を編みこんだ背の小さい16歳の女の子だった。ここのカレッジの学生で、今日はアルバイトなのだという。舞台裏でハミングしていた。

 8:15開演。まず池上兄弟と河合による盤渉の越天楽。ついで、わたしの伊谷民謡をベースとしたアーラープソロ。第二部もつつがなく終わり、われわれが退出してからしばらくして大きな拍手がきた。

 着替えを済ませ、受け付け販売コーナーでお寿司を売っていた小柄な日本人中年女性に箸と醤油をもらい、皿に盛ったサラダパスタさんま缶詰盛り合わせを食べた。

 片付けのために舞台に戻ると、二人の若い女の子が「アリガトウ」と話しかけてきた。ルーシーとハンナという24歳の双子姉妹だった。ルーシーは髪を一部紫に染め、唇に金色のピアスをしている。ハンナはルーシーよりもちょっと大人びていた。聞けば、去年の9月の1ヶ月間、京都の田舎に農業研修に行ったという。二人とも日本が大好きだという。できればもう一度行きたい。あなたに会えてとてもうれしい、などなど、終始笑顔で話しかける。

 楽屋に戻り再び外に出て正面玄関の所に行くと、また例の双子姉妹に出会った。こんどはもっと馴れ馴れしく、あなたのトランクに詰めてでも日本に連れていってほしい、シイさんという男性に恋をしたのだ、とルーシー。そこへ、映画を作っているというトムと名乗る青年が会話に加わった。日本で民族音楽を教えているというと、ぜひ今後もコンタクトをとりたいと名刺をくれた。トゥバ、チベットなどなど楽器作りや音楽に興味があり、その種の映画もつくったという。

 こんな立ち話をしていたら、良生がやってきて、バーでビールを飲ませてくれるそうだから来てくれ、という。双子姉妹とトム青年に別れてバーに行くと、デイヴィッドが皆にビールを注いでいた。わたしは、通風の恐れがあったので、ワインをもらった。

 サイモンからギャラとして現金800ポンドを受け取り宿へ戻った。サイモンCの息子らしい青年がナイトガウン姿で扉を開けてくれた。

UK04photosUK04photosUK04photos 宿の美しい食堂で最後の二次会。サイモンCとデボラにビールグラス、ワイングラスを借りる。ここで、お坊さんの中では最年長の伊藤からサイモンへDVDプレーヤーのプレゼント。サイモンは持っていなかったらしく顔をくしゃくしゃにして喜んでいた。今度は逆にサイモンから全員にプレゼントだと小さな包みを手渡された。ウィスキーのミニボトルだった。

 これで14公演は無事終わった。大きな障害も問題もなく、なんとか最後までやり遂げ、やれやれ感がただよう。宍戸がビデオで個別にインタビューを行う。12時ころお開き。部屋に帰ると、宍戸が荷造りを始めた。1時半ころ、荷造りの音を聞きつつわたしは寝てしまった。