11月5日(金)

 6:50起床。フル・イングリッシュ朝食を食べる。食堂には宍戸をのぞいた全員がそろった。

UK04photosUK04photosUK04photos 10時出発。ウェールズから再び橋を渡りイングランドへ。いったんは典型的ななだらかな平野の続くイングランド風景だったが、いつのまにか山道に入った。丘の頂上からはウェールズとの境界である入り江が遠くに見えた。

 ユーレイUleyの宿のHill Top Guest Houseに着いたのは1:40だった。カーディガンから3時間半移動したことになる。ものすごい田舎だ。途中にお城のような建物がポツンと建っていた。地名にちなんで幽霊城と名づけた。UK04photos

 宿は高台の牧草地のはずれにぽつんと立っている感じだった。迎えてくれたのはヴァーブ婆さん。快活でよくしゃべる、ちょっと腰の曲がったおばあさんだった。年齢を聞くと、28歳、がははは、と応えた。ユーレイの婆さんなので、幽霊オババということになった。われわれはコートを着ているというのに、彼女はTシャツ1枚だった。その彼女と、やはりTシャツ1枚のサイモンが長々とおしゃべりを始めた。これまで見た限り、イギリスの人たちは寒くとも薄着でいるのが好きなようだ。

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 わたしとサイモンはそれぞれ一部屋で1階にある。トイレは共用だ。池上兄弟、他の3名がそれぞれ2階の部屋へ。ここは家中、いろいろなものが規則性なしに飾ってあった。陶器製の動物の置物、大きな布袋様の彫刻(ヴァーブ婆さんが75ポンドで買ったという)、ダイアナ妃結婚記念マグカップセット、無数の大小縫いぐるみなどなど。芝生の庭の角にも、豚や牛の陶器製の置物があった。入り口の豚の置物の顔の部分が割れて悲惨な感じだ。UK04photos

 

 荷物をいったん部屋に置き、会場確認とレストランを探しにユーレイへ行った。20数軒の住宅があるだけでなにもないさびしい集落だった。

UK04photos 今日の公演会場Prema Arts Centerはすぐに見つかった。外観が六角形の灰色の石造建物。コートヤードには墓石のような名前の刻んである薄い石板が塀に沿ってたてかけてある。入り口に入って声をかけると太鼓のような体型、太くて長い縁取りの濃いメガネをかけたゴードンという男が、やあやあ、とiMacの並ぶ事務所から裸足のまま近づいてきた。彼の後をついて2階へ。大きくはないがよく響く六角形の空間だった。これならマイクは不要だろう。UK04photosUK04photosUK04photos

 ゴードンに、近くで食事できるところはないかと聞くと、ちょっと行ったところにパブとカフェがあるという。「パブの飯はまずいよ。カフェならまあまあだ」。     

 ところが、彼のいう「ちょっと行ったところ」がなかなか現れない。延々と農地が続き街らしい集落はない。15分ほど走ると、ネイルズワースNailsworthという商店街のある街に出た。パブ、雑貨屋、床屋、スーパー、パン屋、衣料品店、肉屋などが狭くて曲がった通りに面して立ち並ぶ。台地の底辺を流れる川沿いに展開する街は、ユーレイという地名からの連想や、灰色の曇り空のせいもあり、なにかしら妖気を秘めているような感じだ。一番大きいスーパーSomerfieldの前の駐車場に車を停めてレストランを探した。しかし、角に寂しいフィッシュ・アンド・チップス屋があるだけで、それらしいところは見当たらない。サイモンが、駐車場の前にパン屋でランチもできるといったのでそこに入ることにした。1階がパン屋で2階がちょっとした食堂になっていたのだ。

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 スキンヘッド日本人がぞろぞろと2階の食堂へ入ると、長いテーブルの端に座っていた白髪夫人が、ぶつぶつと話しかけてきた。

「あらら、いきなり侵入されたようだ。あんたたちはいったいどこから来たの」

「日本だ」

「ええ、それはそれは」

「今日、Prema Arts Centerで公演するグループなんだ」

 と、サイモン。

「ああ、そのグループだったのね。知っているよ。でもダンナの面倒みなきゃならないので私は行けないんだ」

 新聞の<ヨーロッパはもっとアメリカのいうことを聞かなければならない、とブレアがいう>という記事に怒っている。

「あたしゃ、ブレアは嫌いなんだよ。ところでPremaというのは、インド人の宗教家のインスピレーションで始まったやつだ。ええと、だれだっけ、有名な、ほら」

 と両手をあわせてすり合わせる。

「サイババ」

 というと「それっ」とうなずく。そのうち、どういうわけか、ユングの生涯や「Being something others」を書いたというLaurence Van Depostの話なった。彼女自身はスコッティッシュだという。

UK04photosUK04photos 頼んだピザ3種類とサラダ、ワインなどがきた。ピザはまあまあおいしい。宍戸が障害物をものともせず猛烈な勢いでピザを食べる。運んできたシェフと女の子の助手を良慶が写真を撮りたいというので並んでもらった。サイモンも二人も恥ずかしそうにしている。

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 食事が終わって、夕食のためのサンドイッチなどを作ってもらった。

 駐車場に4:10集合ということにして、各自が街を散策した。小川、小さな広場のモニュメント、商店。良生や河合は土産物になるようなものを物色していたが、買うべきめぼしいものはない。本当に田舎の小さな街だった。

UK04photos 時間前に野菜・果物の店で、洋梨とりんごを買う。お坊さんたちはみんなでSpmerfieldで買い物をしていたようだ。サイモンのプレゼントも買ったよ、と良慶がいう。なんですか、と聞くと、良生が、「DVDプレーヤー。サイモンはなにかメカっぽいのが好みだって聞いたのでこれにしました」と答えた。

 いったん宿舎に戻り休憩した後、5:30に会場へ。玄関扉はロックされていたがほどなく女性が現れてカギを開けてくれた。こ太りの若いレイチェルだった。 

UK04photosUK04photos ホールでサイモンと技術者のアンドリューが照明、音響の準備をはじめた。途中で「ガールフレンドと会う約束なんだ」といってアンドリューがいなくなった。つまり、本番はサイモンが舞台を全部仕切らなければならないことになった。これには彼も怒っていた。アンドリューにではなく、今回の雇い主であるマークにあった。

「マークは主催者にCDを使うとは知らせていたが、技術者が必要だとはいわなかった。つまり、それは音響は俺に任せたというわけだ。

 朝からずっと運転、会場の準備、主催者との契約確認、君たちの送迎というように、単純な運転手であればやらなくともいいようなことを結局やらざるをえない羽目になった。最初からこうなるのを知っていたマークはずるいやつだ」とぼやく。無理もないと同情したいが、本来のわたしの仕事もすべて彼がやってくれたので、こちらとしては大助かりではあった。

UK04photos ホールは実によく反響する。反響しすぎるくらいだ。サイモンたちが準備している間、僧たちは散華に撒く華の飛ばしあいをしていた。うーむ、ノーテンキな坊さんたちだ。準備が終わったので軽くリハーサル。最後の部分だけを調整した。

 1階の控え室には茶色のグランドピアノがあった。それでしばらく遊ぶ。サイモンが飲み物をもってきてくれる。控え室はバー・スペースに隣接し、階段に直結している。ドアは組み合わせロック式で1453と順にボタンを押すと開くようになっていた。

 8時に開演。聴衆はぎっちり満員で座れない人たちもいた。102人だったという。 

 まず河合、池上兄弟による越天楽。ついでわたしはKirvani。挨拶のときに、ホールの名前Premaの由来をちらと話した。プレーマとはサンスクリット語で「愛」の意味である。

 休憩中、若い30歳くらいのインド人女性トリショーが顔を見せた。UK04photos夫がタブラー奏者でこの日は別の所でコンサートなのだ、自分もタブラーを演奏するのだ、最近、ブライトンでアニンド・チャタルジーがソロ公演をやったのを聞きに行った、ハリジーの公演も何度も見ている、あなたの笛を聞いていたら、きっとハリジーに習ったんじゃないかと思った、ダンナはギャーン・プラカーシュ・ゴーシュの弟子の弟子で、アニンドは兄弟弟子だ、公演が終わったら、ここから歩いて30秒のところにある自宅にお茶に招待したい、と続けざまにいろんなことを申し述べる。

 第二部も予定どおり進んだ。ただ、最後の阿弥陀経のときに宍戸の発声がわずかに上ずった。全員になって戻ったが、危うかった。

 着替えをしていると、くだんのトリショーが若いイギリス女性と一緒にまた楽屋にやってきた。パンツ、ステテコ姿の坊さんたちなんておかまいなしだ。

 イギリス人の若い女性は、広島と奄美大島に3年半ほど住んでいたという。片言の日本語を話す。久しぶりに日本人に会ってナツカシイという。

UK04photos レイチェルがビールとワインを提供。みなで乾杯。ディーという女性が会計責任者で、サイモンに今日のギャラ、約600ポンドの小切手を渡した。良慶が、サイモンに、レイチェルの電話番号聞いてたんじゃない、と揶揄すると、違う違う、好みじゃないよ、どちらかというとディーが好みだよ、と真面目な顔で否定した。

 ホテルに戻り、わたしの部屋で夕食。相変わらず宍戸の食欲は旺盛だ。公演は残すところあと一つになった。

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 12時半ころ解散。そのまま就寝。