10月25日(月)

 4時ころ目が覚めたが、ベッドでぼやっとしているうちに6時になった。時差ボケで妙に朝早く起きてしまう。新潟で大地震があったというニュースをテレビ知る。7時過ぎに食堂へ行ったがだれもいない。一人でクロワッサン、グレープフルーツ、コーヒー、ヨーグルトを食べる。あたりはまだ暗いが、雨は降っていない。

 食堂からの帰りロビーでタバコを吸っていると南、宍戸が合流し、しばらくおしゃべり。サイモンの部屋へ行き、今日の行動予定を打ち合わせる。

 11時にオックスフォードに向かって出発。道中、巨大な台形の構築物が見えた。宍戸と河合が、遺跡か、お城か、砦の後か、などと推測を口に出していたが、実際は軍のレーダー施設のようだった。軍の施設、と聞いて朦朧とした元自衛官の伊藤がビデオカメラを向けた。

UK04photps 途中休憩をはさんで2時前に大学構内にある会場、ジャクリーヌ・ドュ・プレ・センターに到着。ジャクリーヌ・ドュ・プレとは、1987年に不治の病のため42才で亡くなった天才女性チェリストの名前である。会場の壁にかけられた彼女の肖像画を見て、アナンド・タッカー監督エミリー・ワトソン主演の映画「本当のジャクリーヌ・ドュ・プレ」で描かれた彼女の奔放な奇行や姉妹の葛藤などを思い出した。UK04photps

 ランチのために、全員歩いてオックスフォードの街に出る。当初わたしは、どこかに駐車して昼食をとった後に会場へ行こうとサイモンに提案していた。しかしサイモンは、街にある駐車場に車を置くと盗難にあうかも知れない、安全なカレッジ構内に駐車し、そこから歩いた方がいいと答える。比較的どこでも安全な日本ではあまり浮かばない発想だ。ともあれ、こうしたさりげない対応にサイモンの真面目さとプロ意識が垣間見えた。

UK04photps オックスフォードの街はちらっとしか見ていないので印象が薄い。割と狭い通りに面して建ち並ぶ背の低い小規模な商店街は全体に古びている。ゴチック式の大きな教会や、緑の多いキャンパスに建ち並ぶカレッジや寮などは、アカデミックな雰囲気と歴史を感じさせるが、街自体は意外に雑然としている。通りを歩く人々には、インド系、アフリカ系、中国系も目立つ。世界の秀才たちが紳士然と行き交う、という感じではなさそうだ。

 カレッジのロッジにいた黒人オッサンの受付係におすすめのインド料理屋を聞き、みなで街を歩きつつ探す。低層のうす汚れた建物の連なる界隈に、モロッコ、中華、インド、バングデッシュ、アラブ、ジャマイカなどの料理屋、民芸品店などが雑然と並んでいた。なかには「ガシガシ」とカタカナで殴り書きしてある日本料理屋もあった。UK04photps

 ランチタイムが過ぎていたせいか、たいていの食堂は閉まっていた。教えてもらったインド料理店「ムーンライト」に入った。受け付けにいた中年のベンガル人があまり嬉しそうではない表情で、ちょっと待ってくれという。かなり長い間レジの前の長椅子で待たされた。広い店内の壁面には稚せつで安っぽいインドの風景画。マンゴーラッシー、コーラなどの飲み物の後、インドの典型的な定食であるターリーを注文した。チキンやマトンのカレーが4種、プラオとナーン。見た目よりもずっと量が多く油っぽいので胃にドスンとくる。結局食べきったのは、1回の食事摂取量が人並み外れた宍戸とサイモンだけ。食事代は8人でチップ含め120ポンド。一人3000円くらいだ。街の食堂としてはかなり高い。UK04photps

 苦しいほど食べてジャクリーヌ・ドュ・プレ・センターに戻った。新しいレンガ造り2階建ての建物で、入り口付近は壁と天井が全面ガラスだった。周辺には数階建ての寮などが芝生を挟んでゆったりと建ち並んでいる。ガラス張りの空間には、現代美術の彫刻や絵画が展示されていた。われわれの控え室はピアノのある2室。レンガの壁むき出しのホールは200人入ればいっぱいの規模だ。舞台は客席から1メーターほど高い位置にある。

 
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UK04photps 今回のツアーのプロモーターであるマークが、PA機材をもってやってきた。今日の舞台は、会場側に技術者はいない。サイモンが照明と音響を担当し、マークはドアの開け閉めとCD販売を担当。マークは、今日は客が少ないという。

 本番待機中の控え室で、練習用らしいピアノに触った。スタンウェイだった。素晴らしい音がする。良慶が「エリーゼのために」を弾きだす。昔習っていたという。彼はバッハも好きそうで、わたしがリハーサル中に吹いた「無伴奏フルートソナタ」の一部を聞いて「ええなあ、最高やなあ」といっていた。どこに外出するときでも楽器ケースを携行し、楽屋に入ると真っ先にヒーターで笙を焙る良慶は、かなりミュージシャン・マインドのあるお坊さんだ。もっとも、常に楽器を持ち歩くのは、それで車1台買えるほど高価だからでもある。わたしの数十円のバーンスリーとはえらい違いだ。UK04photps

 8時すぎに開演。マークがいったように客は少なかった。30人くらいか。ちょっと張り合いがない。客席には日本人らしい若い女が二人見えた。

 最上川舟歌、秋田長持唄、Durga 30分で第1部。休憩20分を挟んで第2部。例によって笏念仏入道、楽付き甲念仏、回向文、散華、日中礼賛。ここまではこれまでと同じだが、新たに賛念仏と良生の龍笛が加わり、最後に聲明源流+阿弥陀経。終演は9時50分だった。CDは、七聲会が4枚、HIROSが5枚売れた。30人弱の聴衆にしてはいい成績である。

 タバコを吸いに外に出ると、4人の男女がおしゃべりをしていた。3人の男たちは去年関西学院に留学していて、京都に行ったことがあるという。もう一人は、大阪出身の日本人女子学生で、日本文化について勉強しているという。

 11時ころ、会場から今日のホテルのあるミッドハーストへ向け夜道を走った。途中、澄み切った夜空にオリオンが見えた。12時15分にエンジェル・ホテル到着。このホテルは去年のツアーのときも泊まっているので、建物が見えてきたとき懐かしい感じがした。明日からは、このホテルを基地としてそれぞれの公演地に行くことになる。

UK04photps サスペンダーをした初老の小柄なオッサンが受け付けだった。キースという名前のこの陽気なオッサンは、夜のバーの担当らしく、受付業務に慣れていない。部屋の割りふりに手間取った。チェックインの後、そのキースオッサンのいるバーでビールを呑む。その後、キースにグラスと氷をもらい、南・宍戸部屋でブランデーの水割りなどを呑んだ。これからの七聲会のありかたなどという真面目な話題を3時すぎまで話した。

 イギリスに来てから、移動、公演と毎日続き、仏教僧侶の集団である七聲会は次第にバンドの様相を呈してきている。こうした舞台公演活動と、職業的宗教者としてのあり方について、お坊さんたちもいろいろと考えることがあるようだった。