10月29日(金)

 6時起床。小雨。ベッドから起き上がり、右足に体重をかけて床に立とうとしたら小指の付け根が痛くて危うく転びそうになった。前日、歩きすぎたせいかもしれない。しばらくして痛みはなくなったので安心した。

 朝食はとらず荷物をまとめた。今日からは再びすべての荷物を積んで移動・公演の日々なのだ。サイモンがチェックアウトのとき「今日の公演会場に生野菜を用意するように伝えたよ」という。イギリスに来てから野菜不足になったと皆が訴えていたのをちゃんと聞いていたようだ。細かいことによく気がつくマネージャーだ。

 さあ出発というときに、エンジェル・ホテルのオーナー青年がわれわれの記念写真を撮った。そういえば去年ここに泊まったときも記念写真を撮られた。UK04photos

 11時、今日の公演地ウィンチェスターへ向かって出発。

 今日のとまる予定のトラベロッジTravelodgeはチェックインが3時である。こういう遅いチェックイン時間のホテルは、われわれのような連日公演移動者には都合が悪い。早いチェックインだといったん荷物を部屋に置いて気楽に観光にも行けるが、それができない。ウィンチスターにはお昼頃着いてしまった。サイモンにウィンチェスター大聖堂の上の狭い通りの路上でわれわれだけおろしてもらった。2時半に同じ場所に迎えに来てもらうことにした。大量の荷物を積んだままどこか駐車するのは安全ではないので、彼はどこかで車の乗ったまま待機していなければならないというわけだ。

UK04photosUK04photos 有名なウィンチェスター大聖堂の広いコートヤードには、黒いガウンと卒業帽子の若い男女、その両親らしい人々が列を作っていた。今日は、大学の卒業式らしい。

 とりあえず街の中心地のイタリア料理屋Lillo'sで昼食をとった。マフィアの忠実な手下のような感じのいかついイタリア人中年男の対応がなかなかに楽しかった。イギリスのレストランでは珍しくBGMがかかっていた。BGM音量を下げてほしい、できないならジルオラ・チンクェッティかボビー・ソロを聞かせてくれと注文すると、背広を着たオーナーらしい男がやってきて、俺はフランク・シナトラがいいけどなあ、などといいにきた。パスタとサラダのランチは味もよく、みな大満足だった。オーナーらしい男にわれわれの公演のことを話すと、絶対に行く、といっていたが、本当に来たかどうかは分からない。

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 宍戸とぶらぶらと街を散策。車の入れない坂なりになったメインストリートは人でいっぱいだ。坂を上がりきった正面に古い門が見えた。低層の商店街は新旧のデザインだが、歴史を感じさせる。果物、雑貨、ソーセージ、衣類などを売る露天市場で、硬い洋梨とトマトを買う。メガネ屋でホルダーを3本購入。UK04photos

 待ち合わせ場所の大聖堂の中を見に行こうと広い構内に入ったが、卒業式の列がまだ続いていた。背広の男に聞くと、今日は特別なので一般人は中に入れないという。ウィンチェスターは、かつてのアングロ・サクソン時代のイングランドの首都であり、7世紀の教会跡地に1079年に創建された大聖堂はこの街のシンボルだ。内部をぜひ見たいと思ったが断念せざるを得ない。

 2時半に全員待ち合わせ場所に集合した。しかし、時間厳守のサイモンはまだ来ていない。45分に一度電話をいれると即座に、5分、という返答。小雨が降りだして大きなイチイの木の下で雨宿りしつつ待った。やってきたのは3時過ぎだった。「ここの一方通行道路はむっちゃくちゃだ。まったく」とサイモンがぶつぶついいつつ車をホテルに向けて走らせた。

UK04photos 宿舎のトラベロッジは、高速道路のサービスエリア内にあり、市街からかなり離れていた。これまで休憩した大きな高速道路サービスエリアでも見かけたので、アメリカのモーテルのようなチェーンホテルになっているのだろう。

 チェックインしようとしたら、現金支払いを要求された。ホテルはすべてマークが予約したのだが、予約した本人が直接サインしないと支払いはできないという。ウィットビーでもらったギャラから、1部屋50ポンドで4室分の200ポンドを支払った。南が抜けたので日本人は6人となり、これからは二人1部屋になる。わたしは宍戸と合部屋。

 部屋はダブルベッドが一つしか見当たらない。河合・伊藤組、池上兄弟組の部屋も同じだった。男同士のダブルベッドでは、道ならぬ関係が生じないとも限らず、どうも都合が悪い。レセプションの肥えた若いガム噛み女性に申し述べると、ソファベッドを使うのだという。

UK04photos 5時前にタワー・アーツ・センターに着いた。ウィンチェスターの市街地からちょっと離れた、新興住宅地のような感じのところにある。ここには2000年に来ているので、円形ドラムのような多角形ホールや周辺の雰囲気は覚えている。サイモンによると、今回の七聲会公演プロモーションで真っ先に手を上げてくれた会場だという。前回の公演が好評だったので館長のJohn Tellet氏が気に入ってくれたのだろう。会場入り口にU2のポスターが貼ってあり、宍戸が「ええーっ、U2もここでやるんだあ」とびっくりしていた。

 

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 控え室には、サイモンがいっていたように大ボールいっぱいの野菜サラダとサンドイッチが用意されていた。

 リハーサル開始。技術者は最近ここにきたというロブ青年。ロブへの説明はサイモンに全部任せた。

 これまで第1部はわたしがバーンスリーのソロをやってきたが、池上兄弟とのセッションはどうかと提案。竜笛の良生は「そんなレベルではない」と躊躇したが、笙の良慶は「おもろいやないか」と快諾。ここでの公演は、南が抜けた最初の公演である。「お前、笏念仏いこか」と良慶に命じられた宍戸が「そ、そんなあ」と緊張していた。最も声量があり、聲明に関しても最も経験豊富なまとめ役の南が欠け、お坊さんは5人になった。公演内容も違ってくるはずだった。

 8時開演。客席は満員で150ほどか。1部が、池上兄弟の笙+竜笛にわたしが絡んだ越天楽、バーンスリーのソロでDesh。2部の聲明源流+阿弥陀経でドローンの音量が小さかったが、まずまずうまくいった。

UK04photos 今日は宍戸の31歳の誕生日だ。終演後、ハッヒー・バースデイを歌って、館長差し入れのビールで乾杯。10時ころ、会場を後にしてホテルへ。中川・宍戸部屋に集まって二次会。宍戸とおしゃべりし3時ころ就寝。