10月28日(木)

 7時起床。朝食をとったあと、「今日はホテルで休養する」という伊藤を除いた全員
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がヒースローへ向かう。

 空港の手前で高速道路は渋滞していたが、10時30半ころTerminal3に到着した。南がサイモンに日本酒をプレゼント。ここで、ミッドハースト最寄りのヘイズルミーアHaselmere駅に夕方迎えに来てもらうことにしてサイモンと分かれた。

 到着ロビーの端にある荷物一時預け所に南の荷物を預ける。色の黒いスリランカ人の係員がいた。この仕事はゼニになるけど退屈だ、日本でなにかいい職はないか、ときく。

 長い通路を経て地下鉄の駅へ行き、河合と宍戸に一日乗車カードを買うように頼んだ。公演関係だけでなく生活全般をわたしに依存している彼らにとってみればある種の冒険である。河合と宍戸の若い二人は、サイモンとの会話などを通して英語にも次第に慣れてきたのでいいチャンスだ。英会話にまったく自信のない南、良生、良慶は、こういうことは自分の役割ではないとばかりに彼らを待つ。多少時間はかかったが青年僧侶二人は問題なくチケットを買って来た。約5ポンド(1000円)の一日乗車カードだ。

 まず、中華街のあるSOHOに近いピカデリー・サーカスまで行くことになった。天井の低いコンパクトな地下鉄車内で、隣席に座った宍戸がいう。「向かいの女性、むっちゃきれい。僕は白人よりもちょっと黒めの女性が好きなんです。インド人はきれい。とくに目のところが好き」。その二人の女性のそばには池上兄弟が座っていた。

 ロンドンの新宿ともいうべきピカデリー・サーカスは人でいっぱいだった。ロンドン初体験の河合が、いいすね、やっぱり、と感想を申し述べる。

 人ごみを縫い、セックスショップなどの多いあやしい界隈を歩きつつ、とりあえずはソーホーの中華街方面へ。途中に「小松」という日本料理屋があった。二人の日本人中年女性がメニューと値段表を見ていた。ラーメンセットが2000以上する。わたしが山形語で「高いなっす」というと「あら、どこの人」ときく。「山形だ」「あら、わたしは宮城」と答える。

 見覚えのある中華街の粥麺の文字に惹かれて一軒の食堂に入った。良生が「あれっ、ここは前にも来たみたいだ」という。「ちょうど同じテーブルに座ったんじゃなかった?」南さんも申し述べた。

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 青島ビール、油菜炒め、シーフードと野菜の炒めもの、蒸し餃子、焼き飯、豚照り焼きのせご飯、エビの炒めものを注文。良生が「やっぱりここでした。二階のトイレも覚えています」という。そういわれてわたしも思い出した。わたし麺とか粥の字に弱い傾向があるようだ。

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 久しぶりの中華料理だったので皆がんがん食べた。さらに牛汁そば、豚汁そばを追加した。河合が「麺が輪ゴムみたいっす」という。勘定は全部で120ポンド。一人20ポンド、4000円だから相当に高い。

 2階建てバスに乗って観光するには十分な時間がないので、ぞろぞろと中心部を歩き回った。

 バッキンガム宮殿の正面は観光客であふれていた。装飾の多いどっしりとした鉄柵ごしに、多くの観光客が二人の衛兵を眺めていた。有名な衛兵の交替儀式は、毎朝11:30に行われるという看板が、日本語を含めた他国語で書かれてあった。

 
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 葉が黄色に色づく大きなマロニエ樹の並木のあるグリーンパークを横切り、日本大使館へ入った。ガラス扉のある玄関には、黒人係官がものものしく荷物チェックをする。右手の小階段を上った待合室で久しぶりに日本語の新聞を読んだ。新潟の地震はそうとうひどかったようだ。死者が31人となっていた。イラクで日本人青年が人質になっていた。

 南のチェックインまでにはまだ時間があったので、皆でぶらぶらとピカデリーに向かい、しばらく自由行動。良慶と南が三越のバックをもって集合時間に戻って来た。

「あれっ、三越に行ったんですか」。

「土産をやっぱり買わなと思うて、行ってしまいました」

 と恥ずかしそうに南がいう。良慶は、

「そうやねん。買うときも、相当気にしていた。こんなん買うたら中川さんになんかいわれるやろな、と何どもいうんよ。せやけど、このバックみたら分かるわな」。

 わたしはかねがね、ブランド物を買う人の気が知れない、と叫んでいたので相当気にしていたようだ。

UK04photosUK04photos 地下鉄で再びヒースロー空港へ行き、JALカウンターで南のチェックインをした。出発待ち合いの2階の食堂街でビールを呑んだ後、帰国する南を送り出した。

 残ったわれわれは電車の駅があるウォーキングWoking行きのバス停を探した。河合、宍戸がインフォメーションでバス停の場所と行き方を聞いてきた。ところが、そのバス停の待合室事務所は閉まっている。チケットをそこで購入するというのだがどうにもならない。二人がバス停にいた男に聞いた。ここには停まるがチケットはバスで買えという。運転手に聞くと、そんなことはないという。わたしがもう一度インフォメーションで聞くと、ウォーキング行きバスはTerminal2のバス停4から18:15に出るという。皆にそのことを伝えてセントラル・バスターミナルに移動することにした。外は激しい雨が降っていた。われわれは寒さに震えながら、閑散とした4番バス停でバスを待った。18:15になっても目的のバスはこない。行き先表示にはウォーキングとは書いていないので不安になり、同じ待ちあい客である一人の女性に聞くと、たしかウォーキングへ行くはずと答える。ところが、18:45になっても次の19:05になっても目的のバスはやってこない。中央のインフォメーションボードを2度ほど確かめに行ったが、ウォーキング行きのバスは確かに4番からでると書かれてある。しかし、あまりに来ないのでターミナル2へ行き確かめようと移動した。そこで河合が「あれ、僕らがいたのはターミナル1じゃないすか」という。たしかにそうだった。ターミナルの場所を間違えていたのだ。われわれ、つまりスキンヘッド日本人男6人は、間違ったバス停で永遠にこないバスを待っていたのだった。

 結局、ターミナル2のバス停にやってきた正しいバスに予定より1時間半も遅れて乗りこんだ。運転手は、小柄な短い髪の中年女性。バスの中から携帯電話でサイモンにヘイズルミーア駅到着時間を知らせた。1時間ほどでウォーキング駅に到着。そのころは、スキンヘッド日本人男6人は心底くたびれ果てていたのでした。電車を待つ間、宍戸、河合、良生は自動販売機からチョコバーやスナックを買って食べていた。UK04photos

 10分ほど遅れてやってきた車内で、宍戸がiPodを聞いていた。どんなのが入っているのかと聞くと、さまざまなバージョンのソビエト国歌、インターナショナル、クイーンなど。彼は、勇ましく堂々とした感じの旧ソビエト国歌が好きなのだという。なかなかにユニークな好みだ。

 ヘイズルミーア駅にはすでにサイモンが待っていた。10分ほどでエンジェル・ホテルに到着。

 寒さと疲労で空腹だったスキンヘッド日本人男6人は、サンドイッチを作ってもらって食堂で食べるのだった。そこへ、ずっとホテルにいた伊藤も合流。明日の行動予定を確認し11:00に解散。部屋に帰ってすぐに就寝。