11月1日(月)

 8時起床。昨夜、伊藤はベッドから落下したという。朝食が用意されているはずの部屋に行ってみると、河合、池上がいた。しかし、テーブルの上には昨夜の残骸があるだけでなにもない。結局、街の食堂で朝食をとることになり、相変わらずベッドで意識不明になっている宍戸を除いた全員で、カスバKasbahという小さな簡単食堂へ行った。

UK04photosUK04photos わりと肥えた中年オバチャンとわりと肥えた若いネーチャン。ベーコン、卵焼き、ソーセージをはさんだサンドイッチを頼んだ。一人分にしてはかなりの量だった。窓越しに中学生らしい集団が歩いているのが見えた。インド系、中国系、アフリカ系の顔も見えた。伊藤がその学生集団にビデオカメラを向けようとしたら、サイモンが、それはやめた方がいい、と申し述べる。

 コーヒーのタイミングがずれ、朝の定例儀式に意外に手間取った。あわてて荷物を詰め込んだら、集合時間の10時を10分ほど過ぎていた。車に行くと、全員荷物を積み込んでわたしを待っていた。皆から声をそろえて、遅いんでねえが、といわれてしまった。

UK04photos どこまでもなだらかに広がる牧草地や、遠くの城郭、大教会などの建物を見ながら、ほぼ1時間でチチェスターの宿、ジョージ・アンド・ドラゴンGeorge& Dragonに到着。ここは去年も来ている。パブの裏手がホテルになっている。

UK04photos チェックインは2時と聞いたので、2時再集合まで自由行動にした。お坊さんたちには土産物を物色したり散策にとチチェスターの街へ出かけていった。サイモンはいったん自宅に戻るといった。出際にサイモンの携帯にマークから電話が入り、3時にここのパブで待ち合わせすることになった。

 わたしは日記でも書こうとパブに入った。若い女性に、今まだ11時だが部屋は使えないかと聞いた。すると、いいわよ、との返答。そこで、あわてて帰宅しようとしていたサイモンを呼びとめチェックインした。街に放牧されたお坊さんたちの重い荷物もサイモンと二人で一部屋にまとめて入れた。

 わたしは自分の部屋で日記を書いた。特に毎日日記を書く必要はないのだが、最近は特に恐ろしい勢いで記憶が揮発していくので忘れないうちに書き留めたい。比較的鮮明な記憶はせいぜい前日のことで、その前となると急にかすんでくる。だから、今回のような移動・公演と毎日続くツアーでも、できるだけ時間を見つけて書いてきた。もう、ほとんど強迫観念に近い気分だ。

 同室者の宍戸が2時半に戻ってきた。日記を書くわたしを見て、USBメモリを外部記憶に使えばどうかというので、それを買いに二人で街へ行くことにした。去年デジカメ用のメモリを買ったDixonに向かう。大聖堂の前の東西の通りに面していたはずだ。ところがDixonはすでになく、同じ場所には携帯電話を売る店になっていた。他のコンピュータの店を探す時間もなかったのでホテルに戻る。

 マークはパブで待っていた。今回のツアー費用、来年の計画などを話しあった。来年もできたらいいとマークはいったがどうなることか。予算をもっと多めにしないと長続きはしない。

 今回のツアーは、諸経費として発生する渡航費、滞在費、交通費を差し引いても多少の人件費が出る、という条件を承諾して実現したものだ。マークは、われわれの渡航前にそのための予算案を出していた。ただ、各地主催者の買い取り公演、つまりあらかじめ収入が決まった公演以外のものもあり、そこが不確定要素だった。彼の予算案は、買い取り公演と同じ金額がそうした収入不確定公演でも見込まれるという前提で組み立てられていた。ある程度のリスクをマークと共有するという契約内容である。しかし、これまでの収入不確定公演では、どう見ても予測以下だった。こうなると、お坊さんたちへの「ギャラ」はもちろん、わたしの準備人件費も、最悪の場合は立替払いの渡航費すらカバーできない可能性があった。それでいて、マークはコミッションを一定額で受け取ることができるシステムになっている。こうしたリスク共有では難しいし、あまりフェアーとはいえない。今後もこうしたツアーを続けるためには、出演者一人当たりせめて運転手に支払う程度の「ギャラ」がなければ難しいだろう。したがって、もし今後もツアーがあるとすれば、ツアー全体の出演料額を明記した契約にすべきだと提案した。われわれのようなまったく無名の、しかもとても地味な「音楽」をやっている「バンド」をイギリス各地主催者に売り込むのはとても難しい、とマークは説明する。七聲会がイギリスで3度も公演ツアーができたのは彼の努力によるところが大きい。彼がいなければ不可能だった。七聲会としても、条件はあまり良くなかったとしても「種蒔き」としてこれまではやってきた。とはいえ、フリーランスのわたしはもとより、それなりに定収入のあるお坊さんたちにしても、なんの報酬もなしにこのようなタイトな公演ツアーを続けるのは無理がある。マークは努力しようといってくれたが、今後も七聲会のイギリスツアーが続くかどうかは不明だ。

 打ち合わせを終えたマークに、USBメモリのことを話したら、店につれていってくれるという。二人で裏通りを歩いて、Diskingという商店街の小さなコンピュータショップへいった。そこで、256メガのUSBメモリを6000円ほどで購入。マークの知りあいなので割り引いてくれた。

 さっそく部屋に戻ってわたしのテリオスにそのメモリを差し込んだ。ドライバがないので認識できないという表示。このCEマシンには使えないのだ。軽くて薄いテリオスは、旅行中に日記を書くのにとても便利なのだが、外部記憶デバイスがまったくない。書いた文章を自宅のマックに移し替えるためには、テリオスにイーサーケーブルをつないで自分宛にメールを送信するしか方法がない。USBメモリーがあればそんな面倒なことをしないですむ、という理由で購入したのだが、駄目だった。

UK04photos 5時前に、今夜の公演会場に向かった。5分もしないで会場に到着。会場はミネルバ劇場。Minerva Theaterと壁面に書かれた割と大きいモダンな建物だった。向かいにもFestival Theaterという大きなホールがある。ミネルバ劇場の1階にはミュージアム・ショップ、ワークショップ・スペース、事務所、ボックス・オフィスがあり、中央の階段をあがったところがホールの入り口になっていた。

UK04photosUK04photos ホール内部は、中央の広い舞台スペースを三方から囲むように階段状の真っ赤な客席が囲んでいた。ここも、床舞台方式だ。収容人数は400人くらいか。舞台スペースの背中に黒幕、その対面の高い部分にコントロール室がある。

 まず1階の着替え室に案内された。準備をしてホールへ行くと、照明準備が進行していた。サイモンが、スタッフの長身カール青年に進行を説明する。照明器の位置調整用移動式昇降機が上がると特定の音程のある音がした。その音にあわせて笛を吹くと、乗っていた若いスタッフが、にやっとする。

 三方を囲まれているので、円座の配置が難しい。これまでは舞台奥にすぼまった半円形の配置だったが、今回は客席に弧状に対峙する半円にした。マイクはわたし用に一つ用意してもらった。

 リハーサルの途中でスタッフが休憩だといっていなくなった。どういう労働条件になっているのか。これでは放置された出演者は困るではないか。

UK04photos 今日は、良慶、良生、河合の3人でまず雅楽をやってもらい、ついでわたしのソロをすることにした。後半の甲念仏の句頭が良生から河合に変わった。リハーサルのとき、河合が笙の音から発声音の音程がとれなかった。この甲念仏では、わたしも即興でからむことになっていて、これまでは問題なかった。しかし、句頭のピッチが大きくずれたまま始まってしまうと、わたしの方は難しくなってくる。本番ではどうなるか。

 昼食を食べていないので空腹だった。楽屋から直接行ける1階の売店で、宍戸が好きだというMarsのチョコバーを30ペンスで買う。べとっとしたキャメルを包んだものすごく甘いチョコバーだった。口の中がねちょねちょし歯にまとわりつく。

 7:50pm、開演。池上兄弟と河合の雅楽隊がまず入場し、盤渉調子越天楽を演奏。ついでわたしの解説の後、ソロでHemavatiを演奏した。唇が妙に乾くのと、唾が出てちょっと困った。

 20分の休憩の後、第二部。河合の甲念仏句頭はうまくいった。普段はケロリとしている彼はけっこう真剣な表情だった。リハーサルでの音程狂いを反省したのだろう。最後の阿弥陀経では、宍戸の木魚と読経の音のバランスがうまくいき、とても洗練された響きになった。

 着替えをせずに控え室で待機し、ほとんど客の帰った舞台で記念撮影。数人の客が質問をした。ある女性が「とても美しい夜をありがとう」といってくれてうれしかった。公演は好評だったようだ。記念撮影は、マークの妻スーが撮った。彼女は学校の美術教師だったが、マークの制作会社が忙しくなり、最近はスタッフとして専従している。

 着替えているとマークが楽屋にやってきて、CD売れ上げ報告。七聲会のCDは預けた46枚のうち1枚売れ残り、ほぼ完売だった。わたしのCDも完売した。これで、日本からもってきたCDはすべて売り切れたことになる。すごいだろう、とマークがお金の入ったビニール袋を渡す。

 荷物をまとめて車に。マークとスーが皿に入った夕食を持ってきた。ここで、マークとスーに別れを告げる。

 ホテルに戻ったわれわれは、バーテンダーに許可を得てパブで持参した夕食をとった。飲み物を頼まないと悪いのでビールを頼む。店のナイフとフォークも借りたが、わたしとサイモンは箸を使った。皿に盛られた夕食は、ステーキ、サラダ、ポテトなど盛りだくさん。冷たいがなかなかにおいしかった。

 部屋の外のテーブルで、皆でワインを飲む。公演の反省点などを良慶が申し述べる。良生の竜笛があまりにいいので、笙もとてものりが良かったという。雅楽奏者にとって、セッションはけっこう難しいことが分かった。

 12:30、就寝。3日ほど続いていた右足小指関節の痛みはほとんど消えた。通風ではなかったのかも知れない