10月30日(土)

 9時起床。宍戸はまだ寝ている。ベッドから床に着地したとき、前日の朝に感じた右足小指の痛みが猛烈に襲った。昨日は朝のうち痛んだだけだったのでそれほど気にしなかったが、ちょっと困ったことになった。右足に体重をかけることができないので、まともに歩けない。トイレに行くのもひと苦労だ。原因も分からないのでかなり不安になった。朝食はとらずに日記を書く。

UK04photos 11時、出発。ヒースロー付近で高速が混み出した。12:30、サービスエリアでランチのため停車。集合時間も場所も確認せずに、車が停車したとたん全員がぱっと散って行ってしまった。ケンタッキー・フライド・チキンのところで注文を待っている河合と良慶がいたのでビッコをひいて合流したが、他のメンバーは見当たらない。みんなが揃う前に河合と良生が買って来たポテト、サラダ、パイなどをテーブルに展開して、河合を先頭に猛烈に食べ始めた。遅れた宍戸超高速摂食上人は、残り少ないチキンを見て若干失望の色を見せる。どうも、南長老不在の七聲会はワレサキオレガオレガ状況になってきたようだった。UK04photosUK04photosUK04photos

 猛烈な足の痛みは続いていたので空手5段の良慶に診てもらった。右足小指第1関節のあたりがわずかに腫れている。ひょっとしたら痛風かもしれない。痛風だとすれば、すぐに直るというようなものではない。良慶は、患部をさすりマッサージをしてくれた。わずかに楽にはなったが、根本的にはなにも解決していない。 

 ワレサキオレガオレガ的ランチ後、もはやサイモンとのコミュニケーションもあまり必要ではなくなったので、助手席を宍戸に譲った。

UK04photos UK04photos途中にも渋滞があったので、ハーバーヒルHaverhillのホテル、ウッドランドWoodlandに着いたのは3時半だった。ウィンチェスターから4時間ほど走ったことになる。

 ウッドランドは、去年も来ているのでなんとなく懐かしい。バーの奥が狭いレセプションになっていて、メガネをかけた中年女性が応対して部屋割りを行った。宍戸・中川が1、池上兄弟が2、河合・伊藤が3。ところが、3はダブルベッドしかないので、もうひと部屋追加してもらう。部屋は昨年とおなじ離れだった。サイモンは母屋のシングル。ガラス張りのコンザーバトリーは去年なかったものだ。去年工事をしていたのはこのためだったのだろう。

 部屋で良慶に足マッサージと湿布をしてもらう。タイガー・バームを患部に丁寧にすりこむ。タイガー・バームは香港のメーカーだったが倒産し、今はタイに工場が移った、それをバンコクで見つけて大量に買った、国体の空手試合のときに肩の筋を痛めた、そのときスポーツトレーナーにマッサージをしてもらい、30分だけ肩が稼動するようにしてもらった、試合は3位だった、空手は5段、などという話しを聞きながらマッサージをしてもらう。良慶はすごい猛者だったのだ。池上3兄弟は3人とも空手を習得し、良慶が笙、フランスツアーで一緒だった良賢が篳篥、良生が竜笛と、雅楽を演奏する。兄弟だけでバンドができるというのはすごい。

UK04photos 4時頃、宿から会場に向かって出発。両側に広がる農場、羊、小さな集落などを見ながら田舎道を走ること30分、ブレイントリーBraintree村にある会場ハイバーンThe Highbarnに到着。バーンは納屋という意味だ。角度の鋭い切り妻屋根の大きな平屋がホールになっていた。その周辺には、たっぷりと間隔をとった小さな平屋の事務所などが取り囲んでいる。どの建物もかつては農家の一部として使われていたものだった。

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 長身の気品のある顔をしたクリス、技術者のサイモンB青年、手伝い女性ジョーと打ち合わせ。ホール内部は、天井がなく屋根の支持構造剥き出しで相当高い。照明、音響装置、バー、録音スタジオなどが整ったライブハウスのような感じだった。建物自体は800年ほど前のもので、かつては穀物倉庫として使われていたという。太い柱を見るとたしかに古そうだ。

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 われらが舞台監督、サイモンが公演詳細を説明し、クリスがアルミ梯子にのぼって照明器具を調整し始め、ちょっと不機嫌そうなサイモンB青年がマイクやモニタースピーカーを出し、ジョーが客席の掃除やテーブルのセッティングを始めた。ここの責任者は誰かとクリスに聞くと、わたしがここのオーナーだ、と申し述べる。

 われわれの控え室は離れの平屋。入り口正面にギターが壁からぶら下がっていた。普段は事務所として使われているようで、ソファ、大きな机、コンピュータ、プリンターなどがあった。大きな窓からは、太陽がちょうど地平線に沈むところが見えた。UK04photos

 わたしは、足が痛むせいかなんとなくいらつく。舞台の準備が整ったのにお坊さんたちが舞台に現れない。伊藤がタバコを吸いつつふらっと周辺を漂っていたが、控え室からビデオカメラをもってきて撮影を始めた。他のメンバーもばらばらに動いているのでリハーサルのための待機状態に入れない。七聲会にワレサキオレガオレガ状況が醸成されつつある兆しか。

UK04photos 全員リハーサルのあと、わたしのソロのためのマイク調整。終わってお坊さんたちを探しに行ったが控え室にいない。サイモンの案内でホール奥の待機室へいくと、皆が食べ物を前にしておしゃべりをしていた。ここにいることを誰かが教えてくれてもいいのになあ。これもワレサキオレガオレガ状況か。

 主催者が用意してくれた食事は、白い陶器の皿にもられたサラダ、ジャガイモ、薄切りハム、チキン、果物などなど。どれもおいしかった。部屋の装飾も、古いものと新しいもののバランスがうまくとれていて、雑誌に載るようなとても洒落た空間だった。ここが本番前の待機室になった。

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 離れの控え室で着替えをし、待機室へ。空には満月二日過ぎの月。すこし霧がかかっている。

 8時過ぎに開演。池上兄弟とわたしで、盤渉の越天楽。そして、バーンスリーソロによるAhir BHairav。演奏していたら、舞台の突端のマイクの近くにわたしのデジカメが見えた。なんでここにあるのだろうと思いつつ演奏していた。長い30分ほどの休憩後の第2部も問題なく終わった。

 丸いテーブルを囲んで座る聴衆はおそらく50人くらいか。入場料が18ポンドとかなり高いコンサートだった。

 片付け、着替えをして車に荷物を入れホールに戻ると、ある俳優とその女友達がHIROSと話をしたいので待っている、とサイモンがいった。その俳優とは、トムという40代中半くらいの自然スキンヘッドの男だった。来週、ロンドンで能の「敦盛」にちなむ芝居で、蓮生の役をする。演技の参考にしたい。熊谷直実が、一の谷合戦のとき美少年の平敦盛を切るさい、敦盛のもっていた笛を(敦盛は笛の名手として有名)鳴らしたといわれる。なぜそんなことをするのか。業(ごう)とはなにか、熊谷が後に蓮生という僧侶になったのはなぜか。南無阿弥陀仏はどう読むか、敦盛の正しい発音は、などという質問。業やなぜ僧侶になったのかを説明するのは、日本語でもとても難しい。かなり勉強していたようなのできっといい俳優に違いない。ロンドンの舞台では、ほとんどがイギリス人スタッフだが、日本人の一人が美術で参加しているという。

 ホテルに戻ったのは11時半。良慶が本格的なマッサージをしてくれたが、これがとても痛い。とくに足裏が痛かった。わたしの苦悶する表情を宍戸がビデオで撮る。見せたくないなあ、あんな姿は。1時すぎに就寝。