11月4日(木)

 晴れ。7:30起床。下に降りると伊藤が朝食をとっていた。10時、出発の予定だったが、サイモンが10時になっても降りてこない。部屋に行くと電話をしていた。

 昨夜の会場へ再び立ちより、ギャラを受け取る。昨夜の聴衆は70名で、収入の80%をもらうことになっていたので、430ポンドほどの収入。

 ウェールズの田舎町を走る。地名がほとんど読めない表示が多い。牧草地に点在する農家や、小さな集落の家々は、黒のスレート葺き屋根や白い壁が多い。浅く幅広い川のおだやかな流れと岸の美しさ。ゆったりとした起伏の山のてっぺんまで緑の牧草地が広がり、ときおり羊や牛が草を食んでいる。木々の多い対面通行の田舎道を走っていると、ふと北海道の道を走っているような錯覚を覚えた。

UK04photosUK04photos 12:40に、カーディガンCardiganの宿The Garth Guest Houseに到着。快晴に近いが日陰はかなり冷え込む。正面玄関の前は広いグランドのようになっており、その向こうにはそっくりのデザインの住宅が並んでいる。建て売りのような雰囲気だ。

 ゲストハウスの、ほとんど球形に近く太った小柄な中年女性が部屋を案内した。1階に良生と河合、2階の1室に宍戸、伊藤、良慶の3人、そしてわたしとサイモンが1部屋。われわれの部屋にはバスルームがなく、廊下にある共用バスルームを使う必要がある。窓枠やドアのペンキがはがれていて、年季の入った宿だった。

 荷をほどいて会場の下見と食事に行く。

 カーディガンの街は、昨日のブレコンよりもちょっと大きい程度の小さな街だった。狭く曲がりくねった街路に間口の狭い商店が立ち並ぶ。ウミネコが上空を飛び回っていた。海が近いのだ。

UK04photos UK04photos街はずれの坂の下にあるMwldan劇場(ムウォールダンと読むらしい)は宿から5分のところにあった。外観はモダンなガラスとレンガの建物だった。

 会場には、カフェ、ギャラリー、映画館などが入っていた。この街の唯一のエンタテインメント・センターになっているようだ。入り口の宣伝チラシをはさみこんだ透明プラスチックの掲示板に、七聲会をはじめ他の公演、映画「ヒーロー」のポスターなどが見えた。UK04photosUK04photosUK04photosUK04photos

  公演担当者はアンドリュー青年と、短い髪の技術者オーエン青年。オーエンに、彼のすすめる中華料理店を聞くと、あるが今は閉まっているという。インド料理店もあるといっていたが、その気分ではない。しかたないので、ここのカフェで食事をとることになった。

 メニューを見ると、意外に高い。ただ、昨日と同じように主催者側が食事代として一定の金額が支給されるので、昼食分でそれを使ってもいい。それぞれ、スープ、パスタ、二皿のサラダなどを頼んだ。河合はフィッシュ・アンド・チップス、伊藤はスパゲティ・ボロネーズ。

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 注文をとりに来た20代の青年が、日本語を話した。見た目も日本人だ。聞くと、9歳まで枚方で育ったという。父親がイギリス人の混血だった。父親がこの辺に牧場を買ったので来たという。こんなウェールズのはずれの小さな街で日本語を話す青年に会うとは。名前はケンジ。

 ランチの量は1トンほどあった。スープだけでも十分だったかもしれない。ここで宍戸は、尋常ではない食欲を見せつけた。自分の分を猛烈な勢いで摂食しつつ、目は食の細い伊藤の食べ残したスパゲティに注がれ、間髪を入れず新たな攻撃に移る。第二次攻撃中も、鋭い視線は他の食物をスキャンし続ける。彼は結局そのあとアイスクリームも食べたのだった。

 サイモンはケーキを食べた。ここ数日甘いものを食べていなかったからと言い訳する。甘党なのだ。

 ついでに夕食用のサンドイッチも作ってもらった。カフェは人手が足りないらしく、注文してから料理が来るまでかなり待たされたが、新たなサンドイッチの注文と支払いにまた長い時間待つことになった。結局、カフェを出たのはすでに3時になっていた。

 昼寝をしたいという伊藤、宍戸、良生を宿でおろし、良慶、河合、わたしとで海を見に行った。宿の前の細い道路をちょっと走るといきなり視界が開けてきた。カーディガン湾だ。干潮なので、泥の上にヨットやボートが転がっていた。展望台からは、断崖や砂浜、ゆるい勾配の丘などが遠くに見えた。真西にはアイルランドがあるはずだ。海からの冷たい風が吹きさらす坂道にポツンとある三角屋根の住宅。こんなところで毎日灰色の海を眺めて暮らすのはどんな気分だろうか。カーディガンを通してしみ込む海風は冷たかったが、どこまでも広がる青空と風景が心地よかった。

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 ホテルへの帰り道、河合の要請で街の薬局へ行った。痔の軟膏を買うためだ。良慶も痔で苦しんでいたが、河合にも1個小隊ほど出現し、血を見たという。時計のついた派手な装飾の大きな建物の向かいの薬店で購入した。

 ところで、カーディガンというのは毛糸衣料であり、犬の1種の名前でもある。ここの地名と関係があるのだろうか。メインストリートを歩く人々は、わたし以外にカーディガンを着ている人はいなかったし、狐のような顔のしっぽの長いウェルシュ・コーギー・カーディガンをつれて歩く人もいなかった。後で調べてみると、犬はどうでもいいが、衣料のカーディガンの由来が分かった。19世紀のイギリス貴族であった第7代カーディガン伯爵様が前ボタン開き毛編みセーターを愛用したことから、この種のものをそう呼ぶようになったという。街の名前とは直接関係なかった。道理で誰も着ていないわけだ。

 河合が街をぶらついて徒歩でホテルに帰るというので、良慶とわたしがサイモン車でホテルに戻った。

UK04photos UK04photos30分ほど昼寝して、全員で再び会場へ向かう。ホールはまだ座席が作られていなかった。ここは1階の座席が階段状の二階席の下に収納され、動力でせり出す仕組みになっていた。座席は薄い赤。旅客機の座席のようだ。最近作られた施設なのだろう、すべてがピカピカだ。控え室の新品の化粧台裸電球がまぶしい。室内がちょっと寒かったのでこの電球はありがたかった。

 バーンスリーのためにワイヤレス・マイクを使用することになった。なかなかいい音だ。第二部の入場のみを確認して、リハーサルは大幅にカットした。コントロールルームにサイモンがついているので心配はない。

 7:35開演。ホールは満員だった。例によって3人の雅楽、盤渉調子越天楽。ついでわたしのJog。出入りのキューは、黒幕裏の天井電灯。第二部もほぼ問題なく終わる。終わって舞台を退場しても客席はしんとしていた。そして、30秒ほどした大きな拍手がわき起こった。

 片付けのために舞台に戻ると、数人の客が口々に素晴らしかったといってくれた。特に超越瞑想の指導をしているという眼鏡中年が興奮していった。「あなたの先生はハリプラサードではないのか」「そうだ」「やっぱりなあ、音を聞いてそう思ったよ。ブリストルで彼のコンサートを聞いたが本当にすごい人だった。ニキル・バネルジーの弟子の若いシタール奏者も良かった」。わたしの先生の名前はウェールズの田舎町まで届いていた。

 10時ころホテルに戻る。2階の3人部屋で夕食とビール。またしても宍戸の猛烈な食欲。サイモンのPDAで良慶の写真を見て盛り上がった。

 11時部屋に帰り、ほどなく就寝。