10月27日(水)

 UK04photos曇り。8:30起床。ようやく普通の起床時間になってきた。9時過ぎに重量級フル・イングリッシュ朝食をとる。同席は南、伊藤、遅れてサイモン。離れた席に池上兄弟と河合。伊藤は相変わらずどんよりした赤い目だ。

 10時過ぎに図書館でメールチェック。新潟の地震は死者30人以上とかなり大きな被害だったが、実家のある山形ではほとんど被害はなかったらしいことが配偶者からのメールで判明。

 11時に集合し、翌日の行動計画を確認した後、下痢と風邪と大量飲酒で体調の思わしくない伊藤以外の全員で、ホテル近くの城跡周辺とミッドハーストの街を散歩した。UK04photos街の東端にある城跡は、小さなミッドハーストの唯一の観光名所といえるが、観光客らしい人はごくわずかだ。市街地から外れた牧草地に立つ廃墟への未舗装の道を歩くと、冷たい風を遮るものがないのでかなり寒い。小川にかかる石組みの小さな橋を渡った。UK04photosまばらに立つ納屋のような建物には、比較的大きなヴァイオリン工房やマウンテンバイク専門店などがあった。再びミッドハーストの街に戻り、唯一のメインストリートをだらだらと西端まで散歩し、ホテルに戻って昼寝。

 3時47分、今日の公演地オールダーショットAldershotへ向かう。途中から雨になった。

UK04photosUK04photos 1時間ほどで到着。会場は、East End Center。表には顔や体の白い線画が描かれた黒地の旗が立ち並ぶ。なだらかな坂の多いオールダーショットは比較的新しい建物が多く、風情に欠ける。会場からは公園の向こうに軍関係者用中層住宅が見下ろせた。

 背面の楽屋口から、舞台のすぐ後ろにある狭い控え室へ。良慶と河合が電熱器を接続してさっそく笙を焙る。寡黙な良生が竜笛の音だしチェックをする。

UK04photos 床舞台方式のホールに行くと、緑と灰色の迷彩ズボンをはいた小柄な女性と小年が床の拭き掃除をしていた。女性は今夜の音響と照明を担当するジェリー、小年はジェリーの8歳の息子ジョゼフだった。楽屋連絡担当はニック青年、楽屋にはブッキング担当者のバーネイが顔を見せた。UK04photos

 一通り短いリハーサルをした。ちいさなホールなのでマイクは使わない。客席はちょうど108席あったので、煩悩ホールと名づけた。サイモンがジェリーに進行の詳細を説明。こうした説明は完全に彼に任せるスタイルになってきたのでとても楽だ。販売用CDは今日は出さないことにした。というのは残り少なくなったので、マークの主催するチチェスター公演のためにとっておくことにしたからだ。これまでの4公演で、50枚もってきたわたしCD残が16枚、七聲会は持ってきた分はすべて売り切り、20数枚しか残っていない。

 狭い控え室でシーフード、スペシャル、Hot&Spicyのピザの夕食後、本番。

 予定どおり8時過ぎに開演。満員だった。例によって第1部は、秋田長持唄、最上川舟唄、雨が降っていたのでBrindavani Sarang。休憩をはさんで、笏念仏入道、甲念仏、回向文、散華、礼讃、讃念仏、聲明源流+阿弥陀経。伊藤のスキンヘッドから大粒の汗が吹き出ていた。舞台はむしろ寒いほどなので、体調がおかしいのかもしれない。

 終演後、楽屋にビールが持ちこまれた。良生が空き瓶を吹く。

 ジェリーが「客の一部が舞台に残った紙を拾っている。あれは持って帰っていいのか」と聞くので、そうだと答える。着替え後、舞台に戻ると、数人の聴衆が公演の内容や仏教について質問してきた。息子の嫁が日本人だという中年女性が、孫にいい土産ができたと喜んで紙の華を持ち帰った。

 10時30半に会場を後にし11時30半ホテル着。今日はなにもなしで各自部屋に戻る。