2018年8月10日(金) メキシコ3週間よれよれ日記  前の日 次の日


 タカンバロ市街地にある広場を経てホテルに着いたのは午前3時半だった。メキシコシティー空港から10時間近くかかったことになる。日本からメキシコへのフライト時間とそう変わらない。
 部屋は2人ずつにわかれ、ワダスは下田と同室(203号)だった。204が角、象くん、102が優希子と沙也加だった。バルコニー付きセミダブルの固定ベッドのある部屋はなかなかに清潔で快適そうだ。酒がないかとレセプションの爺さんに聞いたが要領を得ず「マニャーナ(明日)」という返事。下田のいびきを聞きつつ4時頃就寝。

最初の朝食

 8時起床。マリナの事前の説明ではインターネット接続には問題ないということだった。しかし、部屋に大きなルーターが壁からぶら下がっているのにうまくつながらなかった。普段はビュンビュンのネット環境に慣れているので、ちょっと不安になった。結局、高い天井のある中庭では時間によっては問題なく繋がることがわかったので一安心だった。
 10時にレストランでフライしたトルティーヤのチラキレス、スクランブルエッグ、コーヒー、オレンジジュースの朝食をとった。ベルリンから合流した夕紀、遅れてプリシリアーノ、カルラ、マリナがやってきて同席。


 我々よりも遅れてベルリンからメキシコシティーに到着した夕紀は、マリナとともにシティーの地下鉄に乗り、バスターミナルから出ているタカンバロ直行の長距離バスに乗って到着していた。6時間ほどだったという。
 
マリナ

マリナとプリシリアーノ

 マリナが、低めのよく通る声でこれからの計画などを話した。今回のタカンバロ日本祭のコミッティー主要メンバーだ。首から背中がまっすぐに立ち、後ろで髪を束ね、目鼻立ちの整った知的な顔だ。目尻のかすかな皺とわずかなそばかすが年齢を感じさせる。今回のプロジェクト全体を把握し細かな配慮も行き届いている。褒められた時や笑った時、大きく開いた口を瞬時に締める仕草が印象的だ。すらりとしたやや細身の体型からか、リビドーを感じさせないのが不思議だ。かつて英語の教師をしていたほど英語が堪能な彼女は、実にポイントを押さえていて頼もしい。今年の初めまでは市の文化担当を勤めていたが、40代の現市長が文化には全く興味がないという理由もあって辞めたという。これまでカナダ、アメリカ、フランス、スペインなどに旅行したことがある。

街の散策

 1時過ぎ、皆で街の散策することにした。我々のホテルはタカンバロ市街地のもっとも高い場所にあるので、街に出るということは常に坂道を下りることになる。ということは当然、帰り道はきつい上り坂。1654mの標高ということもあり、まるで登山のように喘ぎながらホテルを目指すことになる。この時期は雨季ということだが、この日はよく晴れていて陽射しが強烈だった。
 プリシリアーノの経営するカフェ・アシエンダでコーヒーを飲んだ。店では息子のサビノ(8歳)が朝食を取っていた。奥ゆかしい奥さんのアナ・テレサがそれを見守る。
 プリシリアーノが生のコーヒー豆が製品になるまでのプロセスを説明してくれた。焙煎度合いによってコーヒー豆の色や味が変わる。友人が作っているという地コーヒービールとエスプレッソをいただいたり、1mほどのくぼみになっている中庭で火の玉ホッケーのスティックの使い方などを教えてもらった。
 たまたま店に来ていた、英語の堪能な70代の長身の男フアン・パスコとしゃべる。彼は、活字を彫るところから印刷、製本まで全て手作りでやっている。かつてはソン・ハロチョ(Son Jarocho)というベラクルスのバンドでハラナという小型ギターを演奏していたが、耳の調子が悪くやめた。英語が流暢なのは、母親がアメリカ人だからということだった。

カフェ・アシエンダと角 前列左サビノ、アン・テレサ、右マリナ
火の玉ホッケー練習 フアン・パスコを囲んで

中央広場

 カフェ・アシエンダから中央広場へ。多くの人がたむろしていた。飴玉や菓子を売る子供たちがときおり売り込みに来る。
 これからのワークショップ会場となる、広場に面したマルコス・ヒメーネス文化館の回廊でエル・グスト・ポル・エル・ソンの青年4人に出会った。

 銃も売っている雑貨屋でテキーラよりも度数の高い地元の酒メスカル500ccを180ペソで購入した。小さなプラスチックカップで2種類を試飲させてもらったが、50度の強い酒なので結構効く。
 カテドラルに面した広場にはテントと仮設舞台が設置されていた。途中、妻の祖父がモリヤという日本人だという青年と妻の父に当たる中年の男と出会った。ミノという青年は新婚旅行で日本に行ったことがあるという。
 カフェ・アシエンダから1ブロック隔てた通りに面したプリシリアーノの家に立ち寄った。息子サビノ(8歳)、娘プリシラ(6歳)、ナニー(4歳)の娘2人とアナ・テレサが迎えてくれた。一族が住む大きく古い自宅だ。

ホテルへ

 5時頃、ホテルに戻った。ネット接続がうまくいかないので皆イライラしている。
 18日パツクアロでのWSの打ち合わせ。その日はタカンバロで短冊と手ぬぐいのWSがあるので、わかれて行動する必要があった。パツクアロでうちわのWSをする沙也加に下田、象くんが同行し、ワダスと角はタカンバロで夕紀の主導する手ぬぐいWSに回ることになった。
 明日はパツクアロへ行く予定だったが、そこに住む横尾咲子さんとつながらない。彼女といつ会うかは明朝マリナが電話して確認することになったが、とりあえず10時に救急車改造車のエミリアーノに迎えに来てもらうことになった。

歓迎パーティー

 7時予定の歓迎パーティーのため食堂の上階のかなり広いガランとしたテラスへ。その前に食堂隣の薄暗いバーでお土産を持ち寄った。下田の日本酒、須磨の海苔、角の奥さん手作り箸袋セット、ワダスの招き猫のれんなどなど。レストランを経営するベニートおっさんも我々へのプレゼントを持っていたが、後でみんなに渡すよという。
 ぞろぞろと螺旋階段を登って会場へ。舞台もある広い空間だった。大きなガラス窓を通してタカンバロ市街を見下ろせる。マリナが壁際にある椅子、テーブルを並べる準備をしたので手伝う。テーブルをセットし終わっても参加者の数は少ない。そのうちダラダラと人々が集まりだした。

歓迎パーティーのセッティング 左からベニート、ロシオ、カルラ、マリナ、ベロニカ夫、サビノ、プリシリアーノ、ベロニカ 左から優希子、下田、ブラヤン、エドガー、ヴァレンティーナ
左から象くん、優希子、ヴァレンティーナ、フロイラン ヴァレンティーナと次男エリ ベロニカ(中央)


 22歳のアラビア語を勉強する背の高いブラヤン青年、25歳のレストランマネージャーをやっているエドガーと話す。2人とも英語ができた。彼らは、特にブラヤンは言語に興味を持っている。タカンバロに1つある大学の学生でエンジニアリングを専攻している。ワダスの隣には優希子。エドガーのレストランで魚料理の招待を受けた。
 会話グループがあちこちで出来上がり、マリナの挨拶で全体が統一されたのは9時頃。その間にタコス、キャベツ千切り、ソース、カナッペなどが用意された。
 マリナのこれまでの経緯紹介とプロジェクト実現が喜ばしいという挨拶後、参加者全員が自己紹介。
 タカンバロ商工会議所会長の女性ロシオ、プエブロ・マヒコのタカンバロ代表の女性、レストラン「Burgar」を経営するベニートおっさん、長身のインテリアデザイナーのマルガリータと建築家の夫ハイメ、13日の骸骨張り子WSを担当する予定の元タカンバロ文化センター所長のフロイラン・マシエル、すらりとした長身の妻ヴァレンティーナ、大学で地理を教える息子エデゥ、絵、彫刻などをやる巻き毛イケメンの次男ヘスス・エリ。この家族からは17日ランチの招待を受けた。
 ブラヤン、エドガーの先生だったというベロニカ、タカンバロに移住して来た日本人が祖父だという中年女性エルヴィアとその娘2人のモリヤファミリー。彼らからも23日ランチを招待された。そのモリヤさんの娘が下田にギターを持って来てくれたが実は使い物にならなかった。
 参加者には他にプリシリアーノ、妻アン、娘2人、息子サビノ、カルラなども見えた。下田のスペイン語習得速度が速くなってきた。なんと途中までスペイン語で挨拶。他にも多くの人がいたが覚えきれない。
 それぞれ食事を持って再び会話の島ができる。平林がブラヤンとエドガーと話していたが、普段から口数の少ない沙也加はなかなか理解できず笑顔を返すだけなので助けに入った。2人のうちどっちが好きかと聞くと、笑いながらブラヤンをさしたのでエドガーがギャアーという。
 参加者が帰るたび抱き合って挨拶するうち、会場は次第に閑散として来た。11時頃になると、マリナ、プリシリアーノ家族、カルラ、マリナ、我々だけになった。テーブルセットのバラシも結局ゲストである我々が主だった。結構疲れた。
 部屋に戻り、メスカルを飲む。角、象も部屋へ。12時30分、ベッドについた。下田がすぐに寝入る。いびきが昨日よりも大きい。4時半ころ、トイレで話す下田の声がした。てっきりスペイン語の暗記をしているかと思ったが違ったようだ。神戸の島田さんからの電話だった。結局、2人とも起きてしまったので、バルコニーでオリオン座を見ながらタバコを吸って喋る。

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