2018年8月12日(日) メキシコ3週間よれよれ日記  前の日 次の日


 7時起床。外は曇っていて薄暗い。日記と練習後、9時にオレンジジュース、コーヒー、フレンチトーストの朝食。   
 マリナがやってきて「今日は1時にここでランチよ」という。

食事招待リスト

 マリナからこれからの食事招待リストをデータでもらった。場所、提供者の名前があった。マリナたち実行委員会が我々の毎回の食事のための費用を個人や会社に援助依頼したリストだった。こうして我々は、最後の日までぎっしりと続く招待食事スケジュールをこなすことになった。こうしたスポンサードのあり方はとてもユニークで、我々も参考にできると思う。
 マリナの話。人口6万(Wikipediaでは2.5万)のタカンバロは、パツクアロと同様にプエブロ・マヒコ指定都市になっているが、パツクアロほど知られていないので外国人観光客向けの観光促進が必要だ。現市長は文化に金を出すという考えがない。3年任期がもうじき終わるので次の市長に期待したい、などなど。
 今日は6時からパフォーマンス本番。最初に借りた使い物にならないギターの代わりや、象くんの使う太鼓が届く予定だったが、それがリハーサルまで間に合うかどうかがわからなかった。出たとこ勝負でやるしかない。
 沙也加、夕紀、優希子はマリナと町のスーパーマーケットへWS材料などの買い物に出かけた。

ランチ

 1時にホテルのレストランでランチ。トマト、豆、トルティーヤを細切りにして麺にしたもの、アボガド、チーズなどが入ったとろりとしたスープ、ソパタラスカが美味しい。すっかり気に入った夕紀はおかわりをした。
 食事の途中、ロシオとキアラの母娘が訪ねてきた。象くんのために木製スティック2本の打楽器を持ってきてくれたのだ。プレゼントだという。そのうち自分のギターを貸してくれるというガブリエルがやってきて、ついでに彼の自作の歌を披露。50代中頃に見えるガブリエルは、春日野道商店街で魚を売るおっさんのように見える。ギターもしっかりしているし、声質といい、高音の伸びがよく音程もしっかりしていてうまい歌手だ。今日のステージでも歌うとのこと。下田は借りたギターをすっかり気に入っていた。
 スープの後は、トウモロコシの皮に包まれた、トウモロコシの粉を練りこんだちょっと甘いもの。この辺の伝統料理だという。3本出てきたが、とても全部は食べきれない。
 食後、屋上テラスでリハーサルをした。上下黒に白い法被で統一することにした。それぞれの出し物、最後の盆踊りの構成などを練習した。

パフォーマンス会場の広場へ

 4時半過ぎ、雨の中、マリナと一緒に広場へ向かった。
 テント張りの会場には椅子が並べられ、すでに人がちらほら座っていた。
 まだPAなどが設置されていない大きな舞台をチェックした。ベニヤ板の床には釘などが出ていて、裸足で踊るつもりの角が女性陣と1つずつ引き抜いた。
 出演予定の化粧した子供の踊り子たち、地元の子供連れの人、関係者、若い女の子のグループなどから次々に記念写真をねだられる。外国人が珍しいからか、我々日本人が珍しいのか、本当に人気があるのか、なんともいえない。


 マリナに待機場所に案内される。2階にある市役所の一部の部屋だった。1階の入り口付近は、真っ赤なTシャツを来た踊り子たちの控えになっていて華やかだ。ここでも記念写真攻勢。開始予定の6時になってもまだPAが設置されない。6時半過ぎにようやくPAが設置され、地元バンドのエル・グスト・ポル・エル・ソンが舞台袖で待機していた。我々のPAチェックは期待できなくなった。
 スタッフは、一昨日の歓迎宴会に参加していた人たちが中心だった。司会役の建築家ハイメ、マリナ、フロイラン・マシエル一家、ロシオとキアラなどなど。

コンサート開始

 7時前になってようやくコンサートが始まった。我々は関係者たちと舞台に並んだ。ハイメが開始宣言。市役所の観光責任者の中年女性が挨拶し、それをマリナが英語に訳す。今回のフェスティバル実現に至った経緯、メンバー紹介に続き、下田の挨拶の頃は客席はほとんど埋まっていた。外は雨で薄暗かったが、数百人はいただろう。
 まず、地元のエル・グスト・ポル・エル・ソンの演奏から始まった。ヴァイオリン、ベース、小ギター、ギターの編成。3拍子を3連符に刻むような早いテンポのリズムだ。メインボーカルの青年が舞台から降り、あらかじめ用意してあった板の上で近くの女性と踊り始めた。ほとんど下半身のみの動きで細かなリズムで足踏みをする。そのうち周りの人たちも踊りに加わる。象くんが女性に誘われて踊りだす。次第に我々も一人ずつ呼び込まれる。ステップが激しいので足が疲れる踊りだ。
 次にウエウエコヨトゥルによる地元の舞踊が披露された。舞台袖で伴奏したのはたった今出番を終えたエル・グスト・ポル・エル・ソン。着飾った子供たち、杖を持ちポンチョ姿の老人仮面をつけた男たちの滑稽でいながら見事なステップの踊りが素晴らしい。男たちに混じって4歳くらいの男の子が大人の真似をしているのが可愛らしかった。頭に水壺を乗せた若い女性たちの動きが上品だ。壺を落とさないように上体をまっすぐにしているので美しい立ち姿になる。走って回転する踊りでは足の動きが凛々しい。
 ギターを貸してくれたカブリエルの入ったバンド、コリブリ・デル・ラド・イスケルダ(左のハチドリという意味)が舞踊を引き継いだ。バイオリン2、ギター2、小ギター2、女性ボーカルの編成だった。彼らのバンドは予定にはなかったので、急に参加になったのかもしれない。ガブリエルの歌唱力は良かったがギターのチューニングは大きく狂っていた。
 ついでトロンボーンのように見えるトランペット、ベース、ギター2、バイオリン編成のクスタクア・グループの演奏。このグループは典型的なプレペチャの伝統を守っているという。プレペチャとはスペイン侵入前にこの地に住んでいた原住部族名である。どの音楽もリズムの使い方はよく似ていた。
 我々は用意された最前列の椅子に座っていたが、ダンスに呼ばれてちょっと席を離れるとすぐに誰かが座ってしまう。
 最後が我々の出番だった。
 全員舞台に並び、それぞれが紹介される。ワダスがバーンスリーと歌で秋田長持唄を披露した後、下田が自作の「ナイチンゲール」をワダスのバーンスリーのオブリガートを入れつつ弾き歌った。象くんは10センチ弱のスティック2本クラベスのソロの後に「白石踊り口説き」を歌った。そこへ後ろで待機していた上半身裸の角さんが下駄を履いて登場。角によれば「荒魂ダンス」。終わってマイクセッティング後、いよいよ盆踊りを披露した。ソプラニーノの短いソロ、囃子が入り、本曲へ。角と3人の女性が踊る。掛け声の途中で「タカンバロ」と何度か繰り返すが、期待した以上の反応はなかった。
 少なくなった客席からの大拍手で終了。司会のハイメの宣言でプログラムが終わった。
 舞台袖では再び記念写真攻勢。全て終わったのが9時半頃だった。

ウアルクア(火の玉ホッケー)

「荷物は後でいいからついてきて」というプリシリアーノの後をついていくと、広場の駐車スペースのような場所で火の玉ホッケーの準備ができていた。ソフトボール大の川石に布を被せ紐で縛りそこへ灯油をかけて火をつけた玉を曲がった木のスティックで叩く。火の玉は激しく移動し、その度に観客が声を上げた。後で聞くと、火の玉ホッケーことウアルクアというゲームは単なる遊びではなく、原住部族の神話に基づく神聖な儀式に近いものだという。

ディナー

前列右、横尾しず、横尾さん、2列目右、アン・テレサ、サビノ、3列左から2人目カルラ、後列左マリナ、ベニート、むきむき青年、床屋のベネズエラ人スポンサー、プリシリアーノ

 10時前に、ディナーのためにベニートの店「バーガー」へ。今夜のスポンサーは理髪店ネルソンをやっているベネズエラ人だった。彼の息子だという小さな男の子がおもちゃの車で遊んでいた。
 参加したのは、CAPの7人に、横尾ファミリー5人、マリナ、カルラ、ベネズエラ人の友人のむきむき青年。角がベネズエラの紙幣と千円札を交換していた。マルガリータ、スイカジュース、小タコスとサラダ、牛肉とコメと生野菜。全部はとても食べられない。タカンバロの人たちは、こちらがスペイン語が理解できるかどうか関係なくスペイン語で当たり前に話しかけてくる。ワダスは逆に日本語だけでカルラに話しかけてみた。彼女はキョトンとしてどう反応したらいいか戸惑っている。ひひひひ。
 タバコをくわえたマリナの後をついてホテルに戻った。
 今日の舞台の録画を見ているうちに眠くなり、12時半頃就寝。

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