2018年8月15日(水) メキシコ3週間よれよれ日記  前の日 次の日


 8時頃起床。ちょっと練習。唇の調子のせいかきちんと音が出ない。
 11時「ドーニャ・マルセ」の隣にあるサラダショップ「ヌトリアス(Nutrias)」でブランチ。大皿、小皿にそれぞれトッピングとして混ぜるものを選んで注文する。ワダスは大皿を頼んだ。サーブする青年は日本語がちょっとできた。マリナが「皆さんの手伝いをしてくれるドゥルセです。英語はある程度話せます」と若い女性を連れてきて紹介した。カナダで勉強したことがあるという。

ティエラ・カリエンテ音楽WS

 12時、エル・グスト・ポル・エル・ソンのメンバー、ウリセ青年といっけんインド人のように見える女性アレリによるティエラ・カリエンテ音楽のWS。

ウリセと後ろにアレリ


 ティエラ・カリエンテ(Tierra Caliente、熱い大地)というのはミチョアカンを含め5州にまたがる広い範囲の高地地方のこと。標高によって音楽や舞踊スタイルも変化するという。川沿いに住む人たちには独特の踊りがある。12日に見た、頭に壺を乗せる踊りがそうだった。
 準備運動ということでステップから始まったが、これが足腰にこたえた。タタタタタッ、タタタタタッ、タタタタタッ。ついで彼の小ギターの伴奏で皆が輪になって踊る。上半身の動きがほとんどなくステップだけで踊るのが特徴だ。
 ダンスに使われている音楽のレッスン。ギター、小ギターハラナ、肩掛けドラムなどが参加者に渡される。チューニングが通常のギターとは違うので戸惑う。ストロークでダンスのリズムをかき鳴らす。スピードが速いのでずっと弾き続けるのはくたびれそうだ。ドラムもちょっと触った。太くて短めのものと、細長いスティックで同じリズムを叩く。象くんは流石に直ちにマスターしたようだ。下田のギターも次第に慣れてきた。
 歌の歌詞を教わる。下田がノートを出して書き取る。短い曲だが、当然スペイン語なのですぐ覚えるというわけにはいかないし、また、キーが高い。ワダスは足がくたびれたので参加した教師のベロニカの隣の椅子に座ってなんとなく見物した。「こういうのはくたびれて」と言うと、童顔のわりに下半身が堂々とした彼女が応えた。「そうね。私も」。プリシリアーノも顔を見せていた。
 最後に全員で記念写真。
 くたびれた足腰でホテルに戻る。毎度のことだが最後の坂が実にきつい。

手ぬぐいワークショップの準備

 特別に借りたホテルの大広間で、手ぬぐいワークショップの準備作業。ホテルのマネージャー、オーナーであるマリナの叔母の娘でわずかに英語のできるアルヘンドラの娘ナタリーも手伝い。14歳のナタリーはロスアンゼルスで生まれたが、ほとんど英語はわからない。下田や日々勉強する象くんの通訳もほとんど役に立たない。日本のアニメ、Kポップなどが好きらしい。
 10メーターの布を手ぬぐい大に裁断、プリントしていくための型紙の切り抜き、色を擦り付ける道具のたわしを8つに分断などなどを5時過ぎまで行う。
 下田は下痢と軽い頭痛で調子が良くない。何度かトイレに駆け込む。軽い風邪といってたが。
 6時近くなったので全員で、昼と同じマルコス・ヒメーネス文化館の会場へ。

ウエウエコヨトゥル(Huehuecyótl)WS

 講師は、真っ赤なTシャツをきた40代前半に見える男、ウエウエコヨトゥルの代表のパブロだった。色の濃い童顔、突き出た腹、堂々とした上半身を見ているととてもダンスの教師には見えないが、ステップの指導に全く疲れた様子を見せない。
 単純なステップの組み合わせで次第にややこしくなってくる。スマホの音源をスピーカーで拡大して音楽を流す。ここでもワダスは途中からリタイヤ。角は続けているので、普段の運動量の差がよくわかる。
 昼に指導してくれたウリセが加わり、生音楽がついた。昼と違い取り巻く人々がや参加者が次第に増えてきた。ヒゲをそったばかりのプリシリアーノ、マリナ、カルラらのスタッフの他に、エル・グスト・ポル・エル・ソンの他のメンバー、ホーボーカルロス爺さん。
 黒ずくめの上下に黒の革のコートをつけ、キシロールの強い匂いを振りまく50代後半らしい男がかなり怪しくつきまとってきた。角やワダスに抱きつき耳元で何かを喋るのだが何をいっているのか全くわからない。日本はすごいと言っていたみたいだけど。
 足腰が痛むのでみんなの踊るのを離れて眺めていると、額の広い色黒の男が近づき「日本の哲学について教えてくれ」と英語で話しかけてきた。「西田幾多郎の哲学というのはどういうものか」などといきなり質問。適当にごまかしたけど、絶対矛盾的自己同一なんてどうやって説明したらいいのか。
 メスカルが参加者に配られ、場はしだいに興奮状態になってきた。沙也加、優希子、夕紀の女性三人組が男たちから踊り板に誘われて踊り、それを周りがはやす。角も軽快に踊っていた。やはりダンサーは強い。下田と象くんはバンドに加わって演奏を続けた。終了予定の8時になってもお祭り状態のような興奮状態は変わらない。女の子が描いた我々の似顔絵をバックに記念写真。他にも一緒に写真を撮ってとねだる若い女の子たちが絶えない。
 途中で優希子と広場を横切って「オクサ」に買い物に行った。水、ビール2本13ペソ、カップヌードルで44ペソ。優希子はオレンジジュース。
 再び会場に戻ると、やはりまだお祭り状態は続いていた。我々はなんとなく場を離れて帰途についたが、残った地元の人たちの音楽舞踊の興奮は続くに違いない。
 招待されていたベニートの店「バーガー」でのディナーを全員が断ったのでそのまま全員でホテルに戻った。ビールを飲みつつ、いやあ、くたびれたとおしゃべり。
 激しい雷雨のなか、盆踊りワークショップの構成、盆踊りの意味なんてどう伝えるのかなどを相談した。
 11時過ぎ、就寝。微熱のある下田はすでにベッドに入っていた。

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