2018年8月25日(土) メキシコ3週間よれよれ日記  前の日 次の日


 晴れ。7時起床。
 昨日の日記を書いているうちに11時前になっていた。最後の洗濯物をアレヘンドラに渡す。象くんは散歩に出ていた。ホテルから坂道を下る途中に、今日の天気は6時から90パーセントの確率で雨だとマリナが言う。土砂降りだとヤグラも飾り付けも悲惨な感じになるので晴れることを祈ろうと言う。

キンタ・サウスのブランチ

 11時過ぎ、リゴという田舎っぽい感じの運転手がミニバスで広場に我々を迎えにきた。ブランチのためにキンタ・サウスへ行くのだ。
 キンタ・サウスは、19日の夕食で一度訪れたゴージャスなリゾート施設。同乗したのはマリナ。
 前回訪ねたのは夜だったので見えなかったが、レセプション、売店、スパなどの施設の建物が適度に距離をとって点在し、その間を川や橋、芝生の庭が埋めている。
 前回と同じ離れのレストランで優雅なブランチ。三角錐の形をした精製される前の砂糖を見せてもらう。料理はワカモレを乗せたカナッペから始まった。ついでメインの牛肉、豆などを煮込んだ餡にトルティーヤで何重にも包み込んだもの。サトウキビ畑で働く農民の典型的な弁当だという。外側のトルティーヤを取り、中身を挟み込んで食べる。ねっとりとして塩のきいた肉煮込みはとても美味しい。次に出されたのがカルニタス・デ・セルド。銅なべで煮込んだ豚肉料理だ。メキシコ版アイシュバイン。これもうまい。この料理は晴れの料理らしく、10月にはタカンバロでカルニタス祭りもあるという。人々が持ち寄った自慢のカルニタスを広場で披露して食べる祭りだという。


 トルティーヤを作っている厨房の一部を見せてもらった。花模様のある緑のTシャツに紺の前掛けをしたおばさんが、トウモロコシ粉の生地を丸め成型器で円盤状にした後、薪を燃料としたかまどの上の熱した鉄板の上でトルティーヤを焼いていた。優希子がその過程を試しに体験させてもらった。

盆踊りの本番

 たっぷりのブランチを食べて広場へ戻った。ヤグラの裾を紅白幕で覆い、舞台の柱に紅白の布を巻きつけ、四方に伸びる電線に沿ってWSで参加者が作った短冊や折り紙の作品、パペル・ピカドなどを飾り付ける。予定では4時からは市役所2階の部屋を控え室として使うことになっていたが、ロックされていて使えないため、ヤグラ近くのベンチ付近に荷物を置いての作業だった。ベンチに座ってなんとなく周りを眺める老人たちも、何が起きるのかと我々の作業を見ていた。老人の一人の年齢は94歳と言っていた。


 作業の空き時間にカフェ・アシエンダでトイレを借りる。象くんと優希子も来ていてコーヒー豆を注文していた。
 女子組と角が顔のメークアップのためにフロイランの店に行っている間、象、下田、ワダスはPAのセッティングを待つ。坊主頭の矢作氏はカメラを持って周辺をぶらつく。以前は肩までの長髪だったが、坊主頭は本当に楽なので以来ずっとしているという。
 PAのセッティングが終わったのが、イベント開始時間の6時頃。手際が悪いのか、時間にルーズなのか、ここでは何事も時間通りには進まない。PA設置の指示を出す40代前半の男は自信たっぷりで頼もしいのだが。ギリギリにやってきたガブリエルも加わったリハーサルは短時間で終わり、本番でもとてもバランスのいい音を出していたので、仕事はきちんとしているようだ。
 準備作業の合間にも、次々と写真をせがまれた。
 当初、狭い舞台で歌うことになっていたドゥルセはヤグラまで登るのは嫌だという。ヤグラを取り囲む1mの高さの舞台で歌うことになった。実際、ヤグラの上はあまりに狭く、4人乗ると楽器がぶつかるほどだった。
 ようやくドアの空いた市役所の2階へ荷物を運んだ。上のベランダからヤグラを見下ろすと、紅白幕と提灯で飾られたヤグラはかなり本格的に見えた。
 メークアップを終えた女子3人、角、マリナ、ルビが控え室に来た。死人のメークアップで皆すごい迫力だ。特に角の骸骨顔は真に迫っている。


 会場付近はメークアップした人々が民俗衣装をつけて待機していた。ほとんどはこれまでのWSに参加してくれた人たちだが、誰が誰だかわからない。ベロニカは顔半分、彼女の息子たちは全面、モニも鼻の頭を黒く塗っていてミュージカルのメークアップのようだ。
 いよいよ、まだ明るい7時近くにメイン・イベントが始まった。
 ヤグラを囲んだ壇上に関係者が立ち、マリナが開始アナウンス。建築家のハイメ、ベロニカ、モニ、カルラ、ヴァレンティーナ、カルメロ氏らと我々。マリナが今回の2週間のプログラムや、それがいかに多くの人たちのサポートで実現したか、日墨交流の意義などをスピーチし、我々を含めた人たちに感謝状のようなものを手渡した。舞台から見ると観客は数百人はいただろう。見知った顔も多くあった。カルラの祖父母、スニコも見えた。

 開始宣言儀式の後、ヤグラの後ろにある壇でプリシリアーノのウアルクアの儀式。中央の矩形部分に黄色の粉で模様が描かれていた。中心部が渦巻き、四方になんと神戸市の市章。その周りをスティックが円状に並べられていた。観客が移動してプリシリアーノの着火の「儀式」を見守る。プリシアーノが我々にスティックを持ちゲームするよというので、しばしゲームに興じ、それを多くの観客が見守った。火の玉が飛びすぎて観客の一人の足元まで転がり、観客は声をあげる。
 下田、象くん、ガブリエルと共にヤグラの上に登った。上から見ると、広場全体が見渡せる。ヤグラの四方を囲む幅2mほどの舞台では、メークアップをし法被をつけた角を含む女子組が観客に向かって拳をあげる。いよいよ盆踊りのスタートだ。


 ワダスのあしらいで下の角が即興で踊る。そして、象くんのドドンガドンからCAP音頭。5番までの日本語バージョンからEmへ移調して3番までのスペイン語バージョンへ。下のドゥルセが歌うのが聞こえた。時々出だしを間違えたがすぐに修正する。スペイン語バージョンからリズム・パターンが変わり、フリーの即興部分へ突入。ギターもソロで参加するかと思っていたら結局ソロをしたのがワダスだけ。下では象くんのリズムに合わせ、角の動きを真似たり、プレペチャ踊りをしたりとヤグラを囲んでぐるぐる回りながら踊る。前で見ていた子供たちを壇上に乗せると、他の人々も上がってきた。
 象くんのドドンガドンで混沌から再び日本語バージョンCAP音頭に切り替わり、移調してスペイン語バージョン、ついでリズムを変えた再び混沌へ。途中でワダスのラーガ・バイラヴのアーラープで静かになり、それを象くんのソロが引き継いだ。下の様子を見ながら床おき筒型の木製太鼓をバチで叩く。角に言わせるとこの部分が長かったということだったが、象くんにすれば角の動きを見ながらなので長すぎたとはいえず、象くんのパーカッショニストとしての本領発揮の演奏だった。ワダスはマイクで「象一!」と観客に叫んだ。観客から歓声が上がる。
 象くんの「日本語バージョンに戻りますか」で再びドドンガドンで日本語に戻り5番まで歌って移調しスペイン語バージョン3番まで歌い、最後は象くんのドラムがしばらく続き、ドドンで終了。こうして、ほぼ50分の盆踊りが終わった。
 舞台にマリナが登壇し終了宣言。ヤグラの我々も降りて舞台に立ち挨拶した。舞台には次から次と写真をせがむ人たちに取り囲まれる。若い女の子や子供とワダスとの写真なんか後で見るのだろうか。ワダス以外にもメンバーそれぞれがこの写真攻勢にあってしまい、なかなか撤退できなかった。あまりにキリがないので途中で控え室に引き上げたが、誰も戻ってきていなかった。法被を脱いで舞台周辺に戻るとたちまち写真攻勢に捕まってしまった。
 祈りが通じたのか、てるてる坊主の効果があったのか、結局、最後まで雨は降らなかった。
 10時近くにホテルに戻った。帰りの坂道がかなりきつい。

打ち上げを兼ねたディナー

 部屋に戻って間もなく、階上のホールでベロニカが提供する軽食宴会へ。ビールがうまい。スープとトマトだけの食事が優しい。ヴァレンティーナ、プリシリアーノ、妻のアン・テレサ、息子のサビノ、娘、マリナ、矢作氏、ベロニカと2人の息子、ルイス・ロドリゴ一家、我々という面々。
 英語の流暢なルイス・ロドリゴが妻、2人の子供たちと来ていた。ロドリゴの妻は実はベロニカの妹だった。父親と同名の中学生くらいの長男が、いつ持ち込まれたのかエレキピアノを演奏した。ピアノを始めて1年だと言いつつ「G線状のアリア」などの短いクラシック曲を披露した。
 ロドリゴは現在英語の先生。元はメキシコシティーに住んで旅行案内人をやっていた。英語はその時に勉強したという。その後、モレリアに移り現在の妻と出会う。ところが政府の進める麻薬撲滅運動でミチョアカン州の暴力沙汰が原因となり観光客が激減。仕方がないので英語の教師になった。ワダスのレクチャーを聞き、いいレクチャーだったと褒めてくれた。ここで初めてワダスのレクチャーに来てくれていた一人だとわかった。大人しく聞き分けが良さそうな息子たちを見ていて、きっと厳格な父親だろうと推測した。


 メキシコ版ビンゴ遊びをした。細長い紙に9分割された絵が描かれ、読み上げる人の絵と同じであれば通常は豆を置いていき、最初に全て埋まったら勝利。象くんが勝利しCDをもらった。
 ビンゴ遊びセット、フロイランの先端に小さな彫刻のついたボールペン、ロドリゴの次男の撮った写真、地元の音楽のCDを全員にプレゼントされた。
 12時近く、簡単ディナー兼打ち上げが終わった。
 ベッドに入って下田のいびきが聞こえ始めた頃、にわかに便意。下痢だった。

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