2018年8月23日(木) メキシコ3週間よれよれ日記  前の日 次の日


 晴れ。7時起床。9時半、エステバンが「もう会えないので」とホテルにやって来た。優希子、沙也加はまだ寝ていたようだが、残りのメンバーで最後の別れ。来年は日本と中国に行くという。
 11時、エル・グスト・ポル・エル・ソンのウリセとアレリがやって来た。今日のWSに参加予定だったが、モレリアで演奏予定が入り参加できなくなったからせめて挨拶にと来訪したのだ。
 ウリセが象くんの買ったビウエラの調弦を教えた。新しい弦なので落ち着くまで時間がかかるという。

盆踊り会場の準備

 12時近く、全員でカフェ・アシエンダへ。ほどなく、赤いポロシャツを着た短髪の男がやって来た。彼は、持参した紅白提灯やトルティーヤ提灯に電球を入れて点灯するためのワイヤを張る業者だった。簡単な図面を示して彼に説明した。必要な電球は、ヤグラ代わりの仮設足場に20、足場から四方向に吊るす電線に30個。ソケットと電球は明日購入の予定。

 コーヒーの焙煎をしていたプリシリアーノも説明を聞く。彼は午後から矢作氏を迎えにモレリアへいく予定だった。
 打ち合わせ後、広場へ。足元の基礎補強は残っているものの仮設足場のヤグラはすでに出来上がっていた。思っていたものよりもかなり高い。音楽組の立つ踊り場は4mほど高い位置にあった。そこに登って見下ろしてみると相当高い。広さは1.2m×2mほどなので、下田、象くん、ワダス、ドゥルセの音楽隊が全員乗るとかなり狭くなるに違いない。大きめのスピーカーもどこかに取り付ける必要があるがどうするんだろうか。舞台下の足場に巻きつける予定の10mの紅白幕の長さは問題ないだろう。


 ほぼスキンヘッドとメガネのタカンバロ文化センター館長が様子を見に来た。

モリヤ・ファミリーのランチ

 予定の1時を30分ほど過ぎたが、エミリアーノがマリセとともに我々を迎えに来たので全員乗り込み、モリヤ・ファミリーのランチへ向かう。
 エミリアーノの荒い運転のせいか、車酔いしそうだ。20分ほどで途中から未舗装の農道を抜け農園に到着した。細長い母屋らしいものの他にも何軒か離れて平屋の家が建っていた。
 母屋のひさしの下ではランチの準備中だった。我々が行くとモリヤ・ファミリーや友人たちに次々に抱きつかれ、すごい歓迎ぶりだ。モリヤ・ファミリーのメンバーはどの顔も日本人の顔つきを残していてすぐにわかる。とはいえ人数が多いので誰がどういう名前でどういう関係かまではなかなかわからない。
 最長老が1世のタケシの奥様、90歳になるというマリア・ルイサ。タケシは今から30年ほど前に亡くなった。彼女とは17歳違うので生きていれば107歳という。
 タケシは、21歳のときもう一人の日本人青年と共にタカンバロにやって来た。当時は太平洋戦争中で、日墨が敵対関係だったため、メキシコ人風の名前を名乗っていた。母屋から離れた家に住んでいたマリナの父親にここのサトウキビ工場の仕事を与えられた。マリナの父親は農園の管理の仕事をしていたのだ。
 タカンバロに来てほどなく街角で会ったアンテミオ、数日前にサント・ニーニョ広場の「ドーニャ・マルセ」でブランチ中に会った子供連れ夫婦、ミノ、アイコ、アオキ(0歳)、アルベルカ湖に連れて行ってくれたスニコ、ワークショップを見に来ていた若い女の子たちの姿も見えた。ミノに今日参加している家族の名前を書いてもらった。日本風の名前が多い。アオキ、アイコ、エイシ、スミコ、シズオ、クニコ、スニコ、オユキ、イサム、ヨシオ、ヤエナ、キヨシ、タケシ、ユリコ、ユキなどなど。とても覚えきれない。
 普段は別々に暮らしているが、今回の我々の招待のために一族のほぼ全員が集まったのだという。一族の数家族は周辺の家、最も日本人らしい顔のエルヴィア(アイコの母親)らはプリシリアーノの家に近い市街と、普段は別々に暮らしているのだ。
 我々はテーブル席に案内された。スイカ、パイナップル、オレンジのフルーツ、そして早速メスカル。そして優希子の誕生日ということでケーキが登場した。皆が見守るなか、優希子の最初のひとかじりで盛り上がる。ついで、焼肉、トマトサラダ、焼き玉葱、ワカモレの乗ったトルティーヤ、煮豆、コメを溶いた飲み物などなどが矢継ぎ早に供された。我々と離れた席ではマリナ、エミリアーノ、ルビ、モニ、ファミリーの男たちが食事をしていた。
 食事が進むうち、ギター、ベース、バイオリンの3人組おっさんバンドがやって来て演奏を始めた。そして人々が音楽に合わせて踊り始めた。彼らの演奏はなかなか悪くない。
 宴会は前庭に設営されたテントへ移動して続いた。ダンス、メスカル、ビール、ダンス・・・。延々と続きそうな雰囲気だ。そのうち、激しい雨がテントを叩く。
 4時には戻るということになっていたが、ファミリーの皆が引き止めるのでなんとなく帰れる雰囲気ではない。そして写真、写真、写真。
 5時頃、家族の懇願を振り切り、雨のなか車に乗り込んで帰途についた。

盆踊りWS

 WS会場へ行くと、すでに参加者たちが我々を待っていた。皆が集まりだした頃、再び優希子のバースデーケーキと歌。優希子にとって3回目の誕生ケーキだ。


 前夜の打ち合わせの進行のようにWSを進めた。まずAパートがAmの日本語、BパートがEmに転調してCパートで混乱状態、ついで再びA、B、C'+インド音楽、B。
 ドゥルセはまだ完全にスペイン語バージョンのメロディーを把握していないので時々ずれる。
 8時に終了し、全員にてるてる坊主のための布持参を依頼した。

「モリノ」でディナー

 ホテルに戻ってエンチラーダの夕食。ワダスと角はスープだけもらう。そこへマリナとルビが合流してきた。

 

 食事が終わる頃、ガブリエルと男の子連れの息子夫婦がやって来た。本番でのCAP音頭スペイン語バージョンの練習に来たのだ。ガブリエルは下田のギターを追って練習し録音した。帰宅して練習するのだろう。ついで、ガブリエルとバイオリンを弾く息子が歌を披露した。全部、ガブリエルの自作だという。こちらの民俗音楽にはない洗練された曲調だった。ガブリエル自身は楽譜は読めないが、息子をモレリアの音楽学校に通わせて楽譜にすることができたという。失恋の歌、町の名物女性を歌ったものなど。どれもいい曲だ。ただ、息子のバイオリンはかなり音程が狂っていたが。返礼としてワダスは赤とんぼを吹いた。
 しばらくして、ジュディがエキゾチックな目の若い女性を連れて来た。

ジュディ

 ジュディは、現在はLAに住む母の持ち物であるタカンバロの家を維持する責任を押し付けられて悩んでいるという。その家の管理をしているという若い女性を連れてきていた。母が住んでいた頃はその女性の母親がその役割だったが、彼女は2カ月前に母を亡くした、などなど。ものすごい早口のアメリカ英語で、自分がいかに苦労し意に沿わないことを押し付けられているかを涙ながら訴える。ワダスは「問題は理解できるが、あなたは話しすぎる。他者の話も聞くべきではないか」と助言。彼女は「そうですね、いいことを学びました」と言う。

矢作さん

 11時頃、プリシリアーノが矢作さんを連れて登場。坊主のように丸刈りにした顔を見て4年前にQ2で会った時のことを思い出した。とても落ち着いて優しそうな表情だ。今年51歳になるという。メキシコシティーからはバスでモレリアまで6時間だったという。彼が、夕紀の部屋に泊まることになり、夕紀は、優希子、沙也加の部屋のダブルベッドで寝ることになった。
 下田とベランタで今回のことなどを話す。これまでは奇跡的に全てがうまく進行している。我々の企画とマリナたちのプロデュースがうまくいっている、などなど。
 1時、就寝。頭の中を英語が飛び回り、なかなか寝付けなかったが、いつの間にか寝てしまったようだ。

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