2018年8月11日(土) メキシコ3週間よれよれ日記 前の日 次の日


 8時、下田と近所を散歩。石畳の路地を下るとほどなく中心地に出る。そこからプリシリアーノの家の側を通ってホテルに戻った。坂道なので息切れのする散歩だった。

 9時、ホテル併設のレストランで、きのこ、肉、チーズなどの具材をトルティーで包んだ生春巻き状のブリトー、パッションフルーツジュース、コーヒーの朝食。ブリトーの味はなかなかだがかなり重く感じられた。


 皆で悪夢の話。沙也加は、女の子があわや石にぶつかる寸前に母親らしい女性に抱きかかえられる。子供が叫ぶ「ケイコっ」。角、しばらく留守にしていた家に行くと何もかも変わっていたので怒る。などなど。

パツクアロ訪問

 10時過ぎ、エミリアーノの運転する救急車改造ミニバスでパツクアロに向かった。エミリアーノは、蛇行する山道を猛烈なスピードで走らせるので、前席に乗った沙也加と夕紀がカーブを曲がるたびに声を上げる。後席の下田、角、優希子、象くん、ワダスは激しく揺られた。優希子は、途中で天井のバーを手で掴み立った姿勢をとった。そうしないと車酔いしそうだったのだ。
 松や広葉樹の林、トウモロコシ畑、牛の牧場を抜けて平坦な場所になると、まるで蒜山高原を走っているような景色になった。ところどころにリュウゼツランやサボテン、バナナなども見えた。

 12時前にパツクアロの市街に入った。迷いながらようやく横尾さんの姿を見つけて駐車場に車を止め、そこからテント屋根の連なる大きな野外市場へ行く。マンゴー、大きな房のバナナ、りんご、もも、ぶどうなどの果物、名前の知らない野菜も並ぶ。この市場は常設ではなく、毎日作られるという。多くの買い物客が往来しとても賑やかだった。市場の端の古い教会前で記念撮影。


 芝生の緑が美しい大きな広場はタカンバロよりもゆったりしていて広く清潔な印象だ。多くの人が広場で何気なくたむろしている光景はタカンバロと似ていた。


 横尾さんによれば、人口6万のこの町は、特にこれといった産業がなく、ほとんど観光で成り立っているとのこと。政府が進めるプエブロ・マヒコに比較的初期(2002年、全国で7番目)に選定されている。プエブロ・マヒコは地方都市の伝統文化を守りつつ景観に統一性を持たせて観光促進しようというもので、いわば美観都市。店舗や事務所の案内表示は、建物の白い壁面に赤い頭文字に黒い文字を使うべしという規制があり、それが街全体の景観を美しく特徴付けている。

プエブロ・マヒコ

"プエブロ・マヒコとは、そこに、象徴的な建造物等や伝説、歴史、その他突出した特別な(観光)要素を有すると同時に、今もそこで日常生活を送る人々が住んでいる…つまりは、そこの社会文化にあるもの一つ一つ全てが魔法のように魅惑的で、絶好の観光地となる場所のことである。当「プエブロ・マヒコ・プログラム」は、メキシコ国内各地を評価し直し、新しい今までとは違うメキシコ国内の観光地代替案をメキシコ内外の観光客に紹介しようとするものである。"
・・・Wikipediaから

横尾咲子さん

 横尾さんが、サボテンの果汁だけで作った半分発酵した飲み物アグアミエル・コラドが有名だというカフェ・ラ・ハカランダに案内してくれた。ここは地元のミュージシャンやアーティストが共同で経営し、街の文化活動の中心の1つだという。中央の屋根付きパティオでライブもやっている。

横尾さんと角


 パツクアロに住んで8年になるという横尾さんは、髪を後ろに束ね、ほっそりとしながらバネのようなしなやかな体と知的な目が印象的な女性だ。自宅は街の中心部から2キロほど離れた山あいにあるという。ワダスと同じ山形県の東根市出身なので、ワダスがわざと山形語で話すと懐かしい故郷の響きで応答する。お茶の水女子大の舞踊コースを出た後、当時メキシコから学生として来ていた今の夫エスパルタコス・マルティネス・カルデネと出会い結婚。ベンチャー企業の営業をしばらくやったが、お金を得るために働くシステムから離れたいと、麿赤兒の大駱駝艦に加わる。日本よりも夫の故郷メキシコに住む決断をして、8年前にパツクアロに住み始めた。専門は舞踊だが、最近は紙芝居の活動が多い。夫は演劇が専門なので相談しながらメキシコで受け入れられる活動を始めたという。
 店のスタッフの一人であるメガネのひょろっとした知的な青年ハラナがベラクルス地方の歌を歌ってくれた。
 カフェ出口でトルティーヤを売る中年女性が我々を見て「どない」と営業攻勢。「あはは。彼女は6年前から知ってる。押しが強いおばさんよ」と横尾さん。

コピクワ・プラサ(Kopikwa Plaza)

 プリシリアーノが始めたカフェ・アシエンダのあるコピクワ・プラサへ行った。ここで沙也加のWSが行われる予定だった。

「今日は夫もここで紙芝居をするのよ」と横尾さん。
世界の仮面ギャラリー、カフェ、本屋などの入った文化的空間だった。パツクアロには文化関係者が多く住んでいて、この種の場所も多いらしい。
 横尾さんが紙芝居2本を見せてくれた。1つは当時のメキシコ政府が送り出した金星観測隊の話。長崎などで金星観測場所を設営したが横浜以外どこも曇って観測できなかったという。そうした過程で知った日本人や文化に感動した観測隊は、政府に条約締結を提言。明治政府は、平等条約を世界で初めてメキシコと結ぶことになったという話。
 もう1つは、メキシコからフィリピンへ向かう予定だった船が千葉沖で座礁し、地元の漁師が乗組員を救出した話。裸身の海女に抱かれた絵柄が、九死に一生を得た遭難者たちの目に映ったイメージ。
 ポトアの東野さんが彼女の紙芝居を見たら喜んだに違いないし、逆に彼女も東野さんのポトアを見たら感動していただろうなあ、と今は亡き東野さんを思った。

民芸品工房

 ついで近くの民芸品工房や店のある建物に案内された。細かな金箔を使った中国的模様の大皿やひょうたん、トウモロコシを束ねて造形し着色した人形などの工房だった。奥で灰色の長い髪を後ろに束ねた60歳くらいの職人が仕事をしていた。彼の作品はローマ法王にも献上されたといい、その時の写真が飾ってあった。
 しばらくして激しい雷を伴った雨。雨を避けて中庭を見渡すベンチに座っていると、隣に座った犬連れの中年男性が話しかけてきた。英語が少しできた。モレリアから休暇でやってきたという。今、上の店で服を買っている妻を待っている。専門はピアノ演奏だが教会で音楽を教えているという。45歳、妻は46歳、犬の名前がトービーだと教えてくれた。
 建物出口で雨宿りしながらエミリアーノの車を待った。横尾さんの夫マルティネス、長男ジゲン(集中力が散漫であまり勉強もしないと咲子さん)、長女しず(物静かで的確に周囲を観察している)、次女みやび(ペネローペと呼んでほしいと主張する)が合流。マルティネスは5時からコピクワ・プラザで紙芝居をやるため来ていたのだ。

突然の便意

 雨の中、横尾さん家族と別れ、タカンバロに向かう。雨は止んでいた。途中、下腹に圧力を感じ、そのうち緊急事態になってきた。いよいよになったら道端か。下田から正露丸、夕紀から緊急下痢止め薬をもらったが、即座に効くというわけではない。エミリアーノに「バーニョだあ」と行って途中のガゾリンスタンドで車をとめてもらった。間一髪だった。終わって流そうとしたが、何度やっても流れないので焦る。

オープンコンサート

 タカンバロ広場に戻って来た。マルコス・ヒメーネス文化館の広場に面した回廊でコンサートが開かれていた。舞台にあたる踊り場ではピアノ伴奏でテナー歌手が朗々と歌っていた。聴衆の中に黒いドレスを着たカルラの姿が見えた。ゴージャスなお姫様のようだ。

 地元出身の有名な作曲家、ピアニスト、フェルナンド・ラモス・アレラーノのメモリアル・コンサートということだった。
 昨日のパーティーにいたロシオが客席中頃の列に我々を案内した。彼女はタカンバロ商工会議所代表の服飾デザイナーだ。再びもよおしたワダスがトイレの場所を尋ねると、ついてきてと腕を掴まれ広場に面した彼女のスタジオのトイレに案内してくれた。中で仕事していた若い女性が、あ、ヒロシと声をかける。昨晩の宴会にいた娘のキアラだった。
 トイレから戻ってコンサートの客席に再び座った。隣に座るロシオが、司会の挨拶の区切りごとにスマホの画面を見せてくれた。グーグル翻訳による日本語だった。へんちくりんな訳だがなんとなく理解できた。

象くんとホテルに戻る

 途中で全員席を離れ、招待されたディナーへ行くことになったが、下痢気味のワダスはパスすることにした。腹の調子が良くないらしい象くんもパスしたいというので一緒にホテルに戻ろうとしたら、ロシオが「ついてこい」と広場のタクシー乗り場まで案内してくれた。ロシオは自分も乗りこんでホテルまで送ってくれた。小太り姐御タイプの、ちょっとぶっきらぼうなロシオの過剰気味の親切がありがたかった。
 部屋でトイレの後、日記を書く。10時近く、ベニート招待ディナーを終えた下田が戻ってきた。日墨友好ボード、揚げた巻き寿司、蒸し器の中に揚げた春巻きがあったとか、不思議な料理をたくさん食べたといっていた。
 全員で明日の予定を確認。明日は、地元音楽隊、舞踊隊の後、CAPのパフォーマンスが30分予定されている。ワダスの秋田長持唄、下田のギター弾き語り、象くんの太鼓ソロ、それに角のソロが加り最後に盆踊りを披露するという計画にした。
 10時半ころ、下田のいびきが聞こえる前に寝てしまっていた。

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