第19回 源流の邂逅

●とき/2000年11月24日(金)7:00pm
●ところ/ジーベックホール(神戸ポートアイランド)
●出演/七聲会【池上良生(善導寺):聲明、龍笛/池上良賢(光照寺):聲明/伊藤真浄(法雲寺):聲明/清水秀浩(法楽寺):聲明/永田眞弘(天福寺):聲明/南忠信(大光寺):聲明/八尾敬俊(善福寺):聲明/和田文剛(観音寺):聲明、篳篥】::聲明、アミット・ロイ:シタール、クル・ブーシャン・バールガヴァ:タブラー、HIROS:バーンスリー
●主催/(株)TOA
●後援/兵庫県、神戸市、神戸市教育委員会、神戸市民文化振興財
●企画制作/ジーベック、天楽企画

プログラム

■浄土聲明
 笏念仏/四奉請/阿弥陀経/六時礼讃/錫杖/六時詰念仏/回向文/三帰礼
■シタールによるヒンドゥスターニー音楽
■聲明+インド音楽

プログラム掲載文

源流の邂逅

 ここでいう源流とは、古代インドのバラモン教聖典であるヴェーダである。今日のインド音楽伝統も、日本仏教の聲明も、もとをたどればともにこのヴェーダの詠唱と関係が深い。
 以前、インドで暮らしていた頃、バナーラスでバラモン僧の歌うヴェーダを聞いたことがある。明確で美しい旋律と、独特の手の動きを伴うものであった。2000年以上ものあいだ、この詠唱の方法は変わっていないという。
 このヴェーダの詠唱は、最初は、単なる棒読みか、2音で上下する単純な節であったらしい。それが3音になり、最終的には7音を使った旋律にまで成長した。

●自立した音楽へ

 インドの音楽は、このような経典詠唱の節回しなどから発展したものといわれる。世俗音楽の影響も受け、洗練され、自立した芸術様式になった。すでに紀元2世紀頃には体系的な音楽理論が存在していたことは、バラタの著作『ナーティヤ・シャーストラ』からもうかがえる。5世紀には音階型としてのラーガの概念が明確に現れ、さらに13世紀の『サンギータ・ラトナーカラ』に至り、今日のようなラーガ、ターラ、形式、演奏法などが体系的に整理された。現在われわれが聞くインド古典音楽は、おおむねその時代に基礎ができたものである。その後、10世紀から断続的に始まったインドへのイスラーム侵入によって、アラブやペルシアの音楽の影響を強く受けたことで宮廷音楽として洗練され、今日に至っている。

●ヴェーダから聲明

 いっぽうの聲明も、ヴェーダ詠唱の名残りを色濃くとどめている。どちらも、経典に節を付けて読むという点で共通しているので当然であろう。初期の仏教経典には、音楽的に傾斜していく詠唱のやり方を戒める記述がある。これは、聲明が当初から音楽的要素を強く含んでいたことを示している。
 仏教は、さまざまなルートを通り、中国に伝わった。経典に節を付けて読む伝統も当然、含まれていた。ただ、サンスクリット語経典が中国語に翻訳された時点で、詠唱のやり方が中国的に変質していったことは容易に想像できる。こうした中国的変質を経た聲明が日本にもたらされ、さらに日本的に変質していったことであろう。聲明の唱え方は唐僧道栄の唱法を規範とせよ、という詔勅が720年に出されている。このことは、伝来した聲明の節回しが次第に日本的に変容しつつあったことを逆に示している。
 日本の聲明は、8~9世紀に成立した真言聲明と天台聲明によってほぼ現在に近い形になったといわれるが、その後もさまざまな変質を経てきたに違いない。本日、演奏される七聲会の聲明は、浄土宗が天台宗から分かれた関係で天台聲明の伝統を受け継いでいるが、浄土宗独特の大衆にも分かりやすい節回しを含んでいる。
 以上、インド古典音楽と日本の聲明のざっとした流れの要約である。一方は僧侶たちによって、一方は演奏家によって演奏される両者は、まったく異質なもののようにみえる。実際、インドは日本から遠い。しかし上述のように、共に古代インドのヴェーダを源流として現代まで続く音楽様式であるだけに、音楽的な共通点をもっている。このことは、本日の最後のプログラムである両者同時演奏を聞くことで体感していただけるに違いない。